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『アバター』大ヒットの意味

ジェームズ・キャメロンの『アバター』は、10年以上も首位を守ってきた『タイタニック』(これもキャメロン監督作品だが)の記録をわずか39日で抜き去り、世界興行収入歴代1位を達成した。そして、同じく米国内でも史上最高収入を記録している。

3Dの効果やパフォーマンス・キャプチャー技術については語りつくされている感があるので、ここではこの映画のストーリー、そして、そのようなストーリーの映画が、とりわけ米国で圧倒的ヒットを記録したことの意味を考えてみたい。

(以下、ネタばれを含むので注意、というか、まずぜひこの映画を観てほしい。)

一見して明らかなように、『アバター』に出てくる「ナヴィ」たちは、北米先住民を「パンドラ」という異世界の環境に移しかえて表現したものだ。姿かたちが与える印象だけでなく、彼らのものとして描かれるその世界観や生き方も、北米先住民のそれをなぞったものとなっている。
だからこの映画のストーリーは、極度に単純化して言えば、自らの欲望のために先住民たちの聖なる土地を強奪・破壊しようとする米国軍の末端にいた一兵士が、先住民との交流の中で自分たちの誤りに気づいて苦悩した末に、米軍を裏切って先住民の側に立って彼らとともに戦い、ついに米軍を打ち負かしてパンドラ(=新大陸)から追い出してしまう、という物語なのだ。

かつてこのような映画が、世界、とりわけ米国で大ヒットしたことがあっただろうか?

確かに、『ソルジャー・ブルー』や『ダンス・ウィズ・ウルブス』のように、米国が先住民に対して行った非道を告発する映画はこれまでにも作られてきた。しかしこれらは、良心的白人が非情な米国軍を離れて先住民の味方になったものの、結局何事をも変えられずに敗れ去っていくという物語でしかない。

西部開拓(先住民絶滅政策)の過程で起こった事実を前提として作劇する以上それはやむを得ないというのであれば、『ソルジャー・ブルー』との関係も深いベトナム戦争を扱った映画ではどうか。ベトナム戦争では、膨大な軍事力を投入して焼き尽くし、殺し尽くす侵略を繰り広げたあげく、事実として米国は敗北した。しかし、その事実を前提として作られた映画も、『ディア・ハンター』のような加害者と被害者を逆転させた愚作は論外として、メジャーな映画としてはせいぜい『地獄の黙示録』がある程度ではないか。その『地獄の黙示録』にしても、もちろんベトナムの人々の側に立って戦う物語ではない。

こうして見ると、SFという架空の世界に仮託されてはいるものの、米国的原理そのものを体現する地球人側が先住民に敗れ去る物語であり、それを正しい者の勝利として描くこの映画は、画期的な作品と言えるのではないだろうか。そしてこの物語には、最後に主人公ジェイクが自ら選択したように、傲慢な米国的原理を捨てて北米先住民的世界観を受け入れて生きることが救いと再生への道だというメッセージも込められている。

このような物語を描いた映画が当の米国も含めて世界的大ヒットを記録し、膨大な数の人々に違和感なく受け入れられているという事実に、私は一筋の希望の光を見る思いがする。