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韓国強制併合に関する内閣総理大臣談話を読む

というわけで、まずは問題の談話を前から順に読んでみる。

 本年は、日韓関係にとって大きな節目の年です。ちょうど百年前の八月、日韓併合条約が締結され、以後三十六年に及ぶ植民地支配が始まりました。三・一独立運動などの激しい抵抗にも示されたとおり、政治的・軍事的背景の下、当時の韓国の人々は、その意に反して行われた植民地支配によって、国と文化を奪われ、民族の誇りを深く傷付けられました。

「その意に反して行われた植民地支配」であったことを認めたのは、まあ一歩前進か。
しかしそれなら、「日韓併合条約が締結され」と、正常な条約締結の結果として起こったかのように言うのはいかがなものか。

 私は、歴史に対して誠実に向き合いたいと思います。歴史の事実を直視する勇気とそれを受け止める謙虚さを持ち、自らの過ちを省みることに率直でありたいと思います。痛みを与えた側は忘れやすく、与えられた側はそれを容易に忘れることは出来ないものです。この植民地支配がもたらした多大の損害と苦痛に対し、ここに改めて痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明いたします。

例によって、「謝罪」ではなく「お詫び」
その点を批判されると、日本政府は常に「謝罪とお詫びは同じ意味だ」といった類の弁明をしてきた。
だが、同じならなぜ「謝罪」すると言えないのか?
本当は意味が違うからだ、というのは小学生にでも分かる理屈。

 このような認識の下、これからの百年を見据え、未来志向の日韓関係を構築していきます。また、これまで行ってきたいわゆる在サハリン韓国人支援、朝鮮半島出身者の遺骨返還支援といった人道的な協力を今後とも誠実に実施していきます。さらに、日本が統治していた期間に朝鮮総督府を経由してもたらされ、日本政府が保管している朝鮮王朝儀軌等の朝鮮半島由来の貴重な図書について、韓国の人々の期待に応えて近くこれらをお渡ししたいと思います。

また出た「未来志向」
「未来志向」とは常に、過去は曖昧なままにしてこれから(も)うまくやっていこうぜ、という権力者同士の馴れ合いを示す言葉でしかない。植民地支配によって実際に被害を受けた人々に対しては、もうお前たちのことは忘れるからな、と宣告するのに等しい。
管総理が本当に「歴史に対して誠実に向き合いたい」と思っているなら、安易にこんな言葉は使えないはずだ。

 日本と韓国は、二千年来の活発な文化の交流や人の往来を通じ、世界に誇る素晴らしい文化と伝統を深く共有しています。さらに、今日の両国の交流は極めて重層的かつ広範多岐にわたり、両国の国民が互いに抱く親近感と友情はかつてないほど強くなっております。また、両国の経済関係や人的交流の規模は国交正常化以来飛躍的に拡大し、互いに切磋琢磨しながら、その結び付きは極めて強固なものとなっています。

 日韓両国は、今この二十一世紀において、民主主義や自由、市場経済といった価値を共有する最も重要で緊密な隣国同士となっています。それは、二国間関係にとどまらず、将来の東アジア共同体の構築をも念頭に置いたこの地域の平和と安定、世界経済の成長と発展、そして、核軍縮や気候変動、貧困や平和構築といった地球規模の課題まで、幅広く地域と世界の平和と繁栄のために協力してリーダーシップを発揮するパートナーの関係です。

 私は、この大きな歴史の節目に、日韓両国の絆がより深く、より固いものとなることを強く希求するとともに、両国間の未来をひらくために不断の努力を惜しまない決意を表明いたします。

で、もう終り?
あとは単なるお題目だけでしたね。


そもそも日本が植民地支配したのは朝鮮半島全域であって今の韓国の領域だけではないのに、北朝鮮に対しては何も言うことはないのか? という根本的な問題は一応脇に置いておくとしても、これではほとんど中身のない空疎な言葉の羅列としか言いようがない。

この程度の代物を「併合100年談話―新しい日韓協働の礎に」(朝日)、「日韓併合談話 未来志向の両国関係に弾みを」(読売)、「併合100年談話 未来へ向け日韓の礎に」(毎日)などと礼賛するマスコミのレベルの低さにもあきれる。

近隣諸国から総スカンを食ったのはむしろ当然の結果だろう。