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管総理談話が無視しているもの

前の記事では管総理談話に何が書かれているかを見てきたが、ここでは何が「書かれていないか」について考えてみる。


すぐ気がつくのは、在日韓国・朝鮮人に関する言及が一切ないことだ。
彼らは、過酷な植民地支配の結果として故郷を離れ、日本本土で生きることを余儀なくされた人々とその子孫である。
朝鮮半島の人々が、曲がりなりにも戦後は自らの国家と民族性を回復できたのに対して、在日は戦前以来本質的には変わることのない差別的ホスト社会の中で生き続けてきた。彼らこそが最も「国と文化を奪われ、民族の誇りを深く傷付けられ」た人々であることは、今でもその約9割が出自を隠し、日本名で生活していることからも明らかだろう。
にもかかわらず、自らの足元にいる在日を、まるで存在しないかのように無視する。
「痛切な反省と心からのお詫びの気持ち」などと言う管総理こそが、「痛みを与えた側は忘れやす」いという、その典型ではないのか。


管総理談話について聞かれた在日女性たちは「「何も感じない」「パフォーマンスのような印象」と答えたそうだが、まあ当たり前ですね。