一方は「政治と金」をめぐる小沢バッシング問題、他方は調査捕鯨問題と、扱っている問題はまったく別個ながら、今日たまたま、世論をミスリードするマスコミの問題を指摘した記事が二つ出ていた。(強調部は筆者による)
■田中良紹の「国会探検」 この国の「政治文化」をどう変えるか
民主党代表選挙が始まり、日本記者クラブが主催した討論会を聞きに行った。菅総理は小沢氏の「引き立て役」を演じているというのが私の印象である。菅総理が様々な角度から小沢氏を挑発・批判すると、それがことごとく小沢氏を引き立てる効果を生む。
ところがそういう見方をする新聞・テレビがない。小沢氏の総理就任はあってはならないと考えているかのようだ。日本記者クラブで質問をしていた記者のレベルもひどいもので、政治を分かっていないと思わせる質問が相次いだ。ところがその記者たちが「社説」を書いていると言う。そんな「社説」を読まされている国民は政治を判断出来なくなる。
考えてみれば新聞は戦前も戦後も国民の判断を誤らせるために存在している。戦前は軍部という権力の手先として、戦後は霞ヶ関とアメリカの手先として国民を洗脳する役割を担っている。この国の支配者である霞ヶ関とアメリカにとって国民は「知らしむべからず」だから、新聞には判断を誤らせる情報が流され、国民の代表である政治家が貶められるのである。
■安禅不必須山水 『イルカとクジラの話』(5) 本質シャット・アウトはマスコミの使命?
明日、9月6日、青森地方裁判所では、イルカ・クジラ問題にかかわる、判決が下されます。
…略…
要するに、 南氷洋で行なわれている捕鯨調査船が不正に鯨肉持ち帰ったことを、告発したというニュースです。
第1義のニューステーマはそこにあったのです。
ところが1ヵ月後マスコミは一転して、「グリーンピース逮捕」報道一色に転じて、捕鯨調査船の不正という本質を隠蔽してしまったのです。
マスコミにリークされた、窃盗容疑の逮捕。よくじつは、連行されるグリーンピース職員の逮捕劇ニュースで一杯となりました。
<逮捕>のおつりは、くじら肉横領の方は<不起訴>です。
マスコミが<逮捕劇>を書き立てることによって、問題の本質である、調査捕鯨における不正という本質は、完全にシャットアオトされてしまいました。
マスコミが<逮捕劇>を書き立てることによって、問題の本質を完全にシャットアオト、葬り去った有名な事件としては、沖縄密約すっぱ抜き西山記者事件、というものがあります。<逮捕劇>と情報源となった外務省の女性と記者との男女関係というスキャンダルによって、国民の目から<沖縄密約>という国家の大問題を、隠蔽してしまったのです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E5%B1%B1%E4%BA%8B%E4%BB%B6
まったく、これらは、「マスコミの大罪」と言わずに、なんといったらいいのでしょうか?
最近では、映画「ザ・コーヴ」の問題があります。
問題の本質は、イルカ漁の是非でありながら、映画の手法とかドキュメンタリー映画論に摩りかえってしまった、NHK。そして、「イルカ漁とイルカ食肉文化は400年の伝統」という、デマゴギーに相乗りしてしまった朝日新聞。
いまでは、イルカをと殺するあの「隠された入り江」なんか、ないんだ、とばかりのシャット・アウト振りです。
マスコミの機能は、派生した副次情報を氾濫させることによって、メインストリームの問題を覆い隠すことに有るようです。
実際、テレビにせよ新聞にせよ、そこから有用な情報が得られるというより、そうした情報に身をさらしているほど混乱させられ、とんでもない方向に流されてしまう危険のほうが大きい。
この国では、ビジネスとしてのマスコミはあっても、ジャーナリズムと呼ぶに値するものはほとんど育っていないのだ。