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読む・考える・書く

マスコミやネットにあふれる偏向情報に流されないためのオルタナティブな情報を届けます。

国家主義では解決不能

自炊の一環として、古い『週刊金曜日』から必要な部分だけをスキャンして現物は捨てている。

今日、たまたま作業中に尖閣問題関連の記事[1]に行き当たったのだが、その中に載っていた、あるウチナーンチュの老人の言葉が目を引いた。事の本質をうまく言い当てている。

日本政府も中国も口を開けば『尖閣は自分のものだ』と言い張っとるけど、わしら庶民の感覚からすれば なんか変なんですね。あの島々は昔からウチナーンチュも台湾の人も中国の人も誰でも自由に使ってきたんですよ。漁に疲れたら上陸して身体を休め、海が時化れば何日でも避難したもんなんです。それでいいではないですか

尖閣諸島は、近代国家の概念が成立するずっと前から、中国(明・清)と琉球の両側から、航海上の道しるべや避難所として使われてきた。つまり、どちらの「領土」というわけでもなく、双方が共同利用していたわけだ。

 沖縄が独立国として大陸と交易していた一四世紀から一七世紀にかけて、ここは沖縄と中国を結ぶ“海のシルクロード”ともいえる「海上の道」であった。その距離七〇〇キロ。この長大な航路を沖縄からは進貢船が、また中国からは御冠船と呼ばれた帆船が互いに往き来した。進貢船には中国皇帝への貢ぎ物などが、また御冠船には琉球王の代替わりの都度、明や清の皇帝が沖縄に派遣する冊封使が乗っていた。
 その航路のちょうど中間に尖閣諸島はある。どちらの船も港を出ると進路を尖閣諸島に向け、久場島付近に達すると進路を変えて目的地を目指した。那覇と福州はほぼ同緯度。 このため進貢船は秋から冬にかけての北風を、また御冠船は春と夏の南風を利用して航海した。尖閣諸島は風任せ、星まかせの長い航海に不可欠な“道しるべ”として大事な役割を果たしつづけた。

こうした歴史的経緯のある尖閣諸島を、特定の国の「固有の領土」として線引きしようとすること自体に無理がある。日中台いずれの「領土」としたところで必ず火種が残り、国家間の力関係が変化するたびに火を吹くことになる。国家主義の枠を超えて、かつて実際に行われていたような平和的な共同利用を可能にすることを目指して知恵を絞る必要があるのだ。

そういう意味で、日中国交正常化以来、中国側が「尖閣問題の解決は次世代で」と問題の棚上げを提案し、これを日本側も受け入れて事を荒立てないようにしてきたのは、解決に向けての第一歩として重要なステップだったのだ。これを単なるええかっこしいでぶちこわしにした前原の愚かさには怒りを通り越して暗然たる思いがする。

 

[1] 森口豁 『尖閣日中友好の島に』 週刊金曜日 2001.5.25