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読む・考える・書く

マスコミやネットにあふれる偏向情報に流されないためのオルタナティブな情報を届けます。

「暴力装置」発言に関する興味深いエントリーいくつか

情報流通促進計画 by ヤメ記者弁護士(ヤメ蚊)さん:

 自衛隊暴力装置だという仙石氏の発言が大いに注目されたようだが、自衛隊や警察が暴力装置なのは当たり前の話であり、そんなことが失言と称されること自体、日本が現実から逃避している社会であることを示している。中学や高校で社会の現実の仕組みをきちんと学ぶ機会がないから、暴力装置という言葉を聞いたことがないような人が増えるわけだ。

 暴力装置という言葉に反発する人は、レッテル張りが好きで、それ以上に物事を考えようとしていないのではないか、と思われても仕方がない。別の言葉で封印すれば、自衛隊や警察が安全な組織になるとでもいうのだろうか…。

 暴力装置をも行使する権力だからこそ、国家は憲法によってきちんと縛らなければならないわけだ。

 暴力装置という名称をつけることによって、その抑制について真剣に検討することができるわけだ。

         (中略)

 また、暴力装置という言葉に反発する人は、靖国神社が好きなのではないだろうか?

 戦略戦争を自衛戦争と言い換え、虐殺・略奪行為を戦争遂行に必要だったと正当化し、敗戦が固まった後の特攻攻撃が犬死であることを認めない…。

 現実を見据えたうえで一体何をするべきか、それができない社会となっている…。戦後、現実を見据えて反省し、失敗に学ぶというプロセスを踏まなかったつけが回ってきているのかもしれない。

現実逃避は、確かに日本社会の大きな特徴の一つかもしれない。

たとえば、全滅を「玉砕」という耳障りの良い言葉に言い換えたばかりか、必要もないそれを前線の将兵に強制して恥じなかった愚かで傲慢な「味方殺し集団」大本営。その責任を追及することもなくずるずると反省なき再軍備を許してきた結果が今なわけだ。

 

自分自身、軍隊は暴力装置だと言っていたにもかかわらず、この期に及んで言い逃れをする石破茂を批判する法華狼さん:

 建前として自衛隊は軍隊ではないのかもしれない。しかし、警察は日本にも存在している。ついでに自衛隊の前身も「警察予備隊」だ。タイトルにも書いたが、自衛隊に対して失礼で警察に対して失礼でないという論理を構築できないと、釈明として形式的にすら成り立たないよ。

 それに、国会の答弁で政治学上の言葉を使ってはならないとでもいいたげな論調も何なのだろう。国会は政治の場ではなかったのか。いや、政治学上の難解な言葉をことさら用いるべきではないという考えもあっていいとは思うが、国会で使ってはならないのならどこで使えるのだろうか*2

 あと、「国を守る責務を黙々と果たす」という評価は、地味に現実を直視できていない発言だよね。自衛隊やその関係者から政治に対する発言が折りにふれて飛び出してきた経緯があり、そのことへの対応がまさに仙谷長官の「失言」を引き出したわけなのだから。

まったくそのとおり。石破氏の言うとおりなら、自衛隊暴力装置ではないが警察は暴力装置だということになる。この場合、それこそ命をかけて「社会を守る責務を黙々と果たしている」警察官への敬意はどうなってしまうんだろうか?

 

ついでなので、改めて石破氏の言い分そのものも見てみよう:

 「自衛隊という暴力装置」という仙谷長官の発言が問題となっています。

 一部報道にもありますとおり、私自身、昨年三月の朝日新聞でのシンポジウムで「国家の定義というのは警察と軍隊という暴力装置を合法的に所有するというのが国家の一つの定義(原文のまま)」と述べております。

 原典はマックス・ウエーバーの「職業としての政治」なのですが、外国語による著作を引用するときは、原文にあたらないと、訳語のニュアンスで誤解を招きかねないので、これからもっと私も注意しなくてはなりません(ウエーバーの著作には他にも「装置」という訳語が多く出てきます)。

 私の発言はあくまで政治学上の定義を引用したうえで、「何故北朝鮮で、あのようなテロ行為が起こるのか」を論じたものであり、国会において、自衛隊を、名指ししたものではありません。

 しかし、政治の側が、「ことに臨んでは身の危険を顧みず」国を守る責務を黙々と果たす方々に対する敬意を示しつつ、わが国における「自衛隊とは何か」を正面から論じてこなかったこと自体が、大きな問題なのだと思っています。

まず、「国家の定義というのは警察と軍隊という暴力装置を合法的に所有するというのが国家の一つの定義」という氏の発言は、国家の定義についての一般論を述べているのだから、当然日本をも対象として含んでいることになる。いくら北朝鮮について論じていたとか言ってもダメである。

石破氏自身が述べたこの定義を前提とした上で自衛隊を「暴力装置」ではないと主張するには、自衛隊は軍隊ではない、とするしかない。しかしそうなると、「軍隊という暴力装置」を所有していない日本は「国家の定義」を満たすための要件の一部を欠いている、つまり国家ではないことになってしまう。それでいいのか?石破さん(笑)

まあ、自衛隊を軍隊ではないことにしたい人々はたくさんいるようだが、たかだか小火器しか持たない警察をも暴力装置とする文脈で戦車だの戦闘機だのまで所有する自衛隊暴力装置でないとするのは無理な話だ。名称やタテマエではなく実質が問題なのだから。

というわけで、石破氏の言い分は実にみっともない言い逃れでしかない。氏には、「男らしくないよ。男らしくない。男なら、やはりずばっと言ったらどうですか」((C)石原伸晃自民党幹事長)という言葉を贈りたい。(笑)