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東電社長の自殺を警戒せよ

東京電力清水正孝社長が、昨日初めて福島を訪れ、県民に謝罪した。

 

読売新聞

東京電力社長、福島県民に謝罪…知事には会えず

 

 東京電力清水正孝社長は11日、訪問先の福島市で記者会見し、福島第一原子力発電所の事故について、「心身両面でご苦労をおかけして深くおわび申し上げる。申し訳ない思いでいっぱい」と県民に謝罪した。

 

 清水社長は記者会見に先立ち、県庁を訪れたが、「事前に『知事は不在にしている』と面会を断られた」として、知事室前で名刺を県職員に手渡して退去。続いて県庁内にある政府の原子力災害現地対策本部に入り、一連の事故処理について「敬意の気持ちをお伝えしたい」と謝意を述べた。

 

 記者会見で、被災者に直接会わない理由を問われた清水社長は、「近々のうちに直接お目にかかって、(謝罪を)申し上げる機会を作りたい」と話した。

 

(2011年4月11日19時29分  読売新聞)

 

清水社長は事故後ほとんど公の場に顔を見せず、3月29日には「高血圧やめまい」で入院。4月7日に復帰したばかりだ。この未曽有の原発事故を引き起こした責任をどの程度感じているかは不明だが、どうやらだいぶストレスには弱いらしい。非常時の経営トップには向かないタイプである。

 

こうなると心配になってくるのが、清水氏(とは限らないが東電の経営幹部)の自殺だ。

 

私は別に清水氏の身を案じてこんなことを言っているわけではない。そうではなくて、事件の関係者が自殺などすると、まるでそのことで「責任をとった」かのように追求を鈍らせてしまう悪い癖がこの社会にはあるからだ。

 

例えば、今から7年前にもこんなことがあった。

 

辛淑玉「山椒のひとつぶ」(マスコミ市民2004年4月号):

 2004年春、鳥インフルエンザが発生した京都の養鶏場の会長夫妻が心中した。前日までの嵐のような報道はピタリと影を潜め、 「責任をとった」からという理由で、この会長に対する非難は急速にしぼんでいった。

 

 問題は何も解決されていない。

 

  しかし、テレビの画面は、まるで何もなかったかのように別の話題で盛り上がっている。

 死んだらみんないい人になってしまい、それ以上追求もされない。

 事の発端は、故意に鳥インフルエンザの発生報告を怠り、その間、 ウィルスに感染した鶏を出荷し続けたことではないか。初期の対応の遅れで感染は周囲に広がった。 致命的な対処ミスだった。それが内郭告発されて社会に明らかになると、非難に耐えられず、心理的においつめられて自殺した。

 厳しい言い方だが、こういう責任のとり方をする人間が経営トップであるということが日本企業の特徴でもある。

 

 死んで問題が解決するわけはない。

 

清水社長の周囲は、間違っても彼が自殺などすることのないよう、厳重に注意を払うべきだ。

そして、万一彼が死んでも、決して東電が行なってきた組織的犯罪行為への責任追及を緩めてはならない。