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福島の高校生の絶望の声

既にあちこちで取り上げられているので読んだ人も多いと思うが、朝日新聞(5/27)の読者欄に掲載されたこの福島の高校生の絶望の叫びには、胸をかきむしられる思いがする。

苦しむ教え子にかけるべき言葉を見いだせず、悩みを新聞に投書するしかなかったこの教師の思いも、どれほどのものだったろうか。

 

(声)福島の高校生の絶望聞いて
2011.05.27 東京朝刊 
定時制高校教員 ◯◯◯(福島市)

 

 ある授業で少し原発のことに触れた。「3号機が不調のようだね」と言うと、4年の男子生徒が怒ったようにこう言った。「いっそのこと原発なんて全部爆発しちまえばいいんだ!」

 内心ぎょっとしつつ、理由を聞いた。彼いわく「だってさあ、先生、福島市ってこんなに放射能が高いのに避難区域にならないっていうの、おかしいべした(でしょう)。これって、福島とか郡山を避難区域にしたら、新幹線を止めなくちゃなんねえ、高速を止めなくちゃなんねえって、要するに経済が回らなくなるから避難させねえってことだべ。つまり、俺たちは経済活動の犠牲になって見殺しにされてるってことだべした。俺はこんな中途半端な状態は我慢できねえ。だったらもう一回ドカンとなっちまった方がすっきりする」とのことだった。

 こういう絶望の声は他の生徒からも聞く。震災でアルバイトを失った2年生は吐き捨てるように言った。「なんで俺ばかりこんな目に遭わなくちゃなんねえんだ。どうせなら日本全部が潰れてしまえばいい!」

 こういう声に一教師として応える言葉がない。ぐっとこらえながら耳を澄まし、高校生にこんな絶望感を与えている政府に対する憤りを覚えるばかりだ。

 

この高校生は、現実を正確に見抜いている。

福島市や郡山市まで避難区域にしたら、莫大な経済的損失が発生する。政府も東電もその損失を負担できない(したくない)から、将来確実に多くの人に健康被害をもたらすレベルの汚染であるにもかかわらず、見て見ぬふりをしているのだ。

 

救うには金がかかるから無視する。これを「棄民」という。

 

棄民政策はもともとこの国の得意技だ。お家芸と言ってもいい。

旧満州で、広島・長崎で、沖縄で、水俣で、この国は平気で自国民を見捨ててきた。ボリビアやドミニカへの移民のように、わざわざ海外まで運んで捨ててきた例さえある。

 

しかし、今までの棄民もそうだったが、今回だって、決して救いたくても金がないから涙を飲んで見ているわけではない。

東電の全資産を接収し、発電部門を売却すれば5兆や6兆の金は作れる。

いや、それ以前に、原発というまったく先のない技術に、愚かな自民党政権がどれほどの無駄金を注ぎ込んできたことか。

炉内中継装置の落下という重大事故を起こし、1kwの発電もしないまま今や運転再開も廃炉もできない生殺し状態になっている「もんじゅ」に費やしてきた金だけでも2兆を超える。動かせば膨大な放射性物質を撒き散らすだけで何の役にも立たない六ヶ所再処理工場に費やした金も2兆オーバーだ。

しかも、これからも毎年5000億もの金を原子力関連予算で支出していくのだという。

 

金がないのではない。

金はあっても、被害者の救済などではなく自分たちが利権を維持して甘い汁を吸い続けるために使いたいというだけなのだ。

政権や官僚機構、経済界や学界に巣くうこういう連中を「寄生虫」と言う。

 

これ以上、棄民を繰り返させてはならない。

寄生虫どもをのさばらせ続けてはならない。

 

※自国民でさえ都合が悪ければ平気で見捨てるこの国が外国籍住民にどのような仕打ちをしてきたかは推して知るべしだろう。