読む・考える・書く

マスコミやネットにあふれる偏向情報に流されないためのオルタナティブな情報を届けます。

チェルノブイリとフクシマの祈り

8年前、『チェルノブイリの祈り』の著者、スベトラーナ・アレクシエーヴィチさんのインタビューを、「ふぇみん」(2003年11月15日号)で読んだ。

その中で、特に記憶に引っかかっていたのが、次の一節だ。

 汚染地域から疎開させられた人々の心の傷になったのは、家を残し墓を残して新しい生活を始めなければならなかったこと。そして、それまで一緒に暮らしてきた動物たちを残していかなければならなかったことだ。

 ある女性が疎開の情景として思い出すのは、人々が最低限のものだけを持ってバスに乗り込もうとしているとき、バスの周りを猫や犬が取り囲んでじっと見ていた。自分の猫が涙を流して泣いている。それを見るのが恐ろしかったとその女性は言っている。

猫が涙を流して泣くことがあるのかどうか私は知らない。しかし、飼猫を置き去りにして避難しなければならなかったその女性には、確かにそのとき、猫が泣いているように見えたのだろう。

動物たちには何の罪もない。読んでいて胸が痛んだが、このときは、まさか同じことがこの国で、それもこれほど早く起こることになるとは、想像もつかなかった。


しかし、それは起こってしまった。

野田雅也 福島原発レポート(8)「原発から20km圏内の動物たち」


3月12日、田村市の避難所で大熊町(原発から3km圏内)の女性からこんな話を聞いた。「地震の翌早朝、大熊町では原子炉のベントを行うという理由で、緊急避難指示が出されました。朝7時に駅前のバスのりばに集合し、田村市に避難してきました。バスには最低限の荷物しか持ち込めず、ペットを連れて行くことは出来ませんでした。2、3日で自宅に戻れると思っていたので、ネコちゃんには少し多めのキャットフードとお水を置いてきました。あ〜、連れてくればよかった...本当に心配です」。(4月1日 双葉郡浪江町幾世橋 原発から約10km地点)


チェルノブイリでは、置き去りにされた動物たちの多くは射殺されたという。(「ふぇみん」2003.11.15)

 私自身、事故直後に汚染地域に行き、ウサギや鹿、コウノトリ、小さな鳥を見たとき、私たち人間は取り残された動物たちすべてを裏切ってしまったのだという気持ちを持った。その後警官や兵士の特殊部隊が汚染地域に入って、動物たちを射殺したが、人に慣れていた犬や猫たちは、彼らの声がすると自らそちらに走っていった。動物たちを埋めた場所はベラルーシの汚染地域だけでも3000カ所くらいある。


フクシマで取り残された動物たちの運命も、チェルノブイリに劣らず過酷なものだった。畜舎に閉じ込められたままの家畜たちには、射殺されるより苦しい餓死が待っていた。(野田レポート(8))

酪農牛舎に近づくと腐臭が強くなった。牛舎の中では100頭ほどのホルスタイン牛が柵のなかでバタバタと餓死していた。あまりにも残忍な光景。(4月18日 南相馬市小高区 原発から約20km地点)



まだ命ある牛もいた。立ち上がることができずに糞尿を垂れ流していたが、力を振りしぼり、私を振り返った。そして「モー、ホー」とかすかに鳴いた。助けをもとめる声に聞こえたが、人間への怨恨の声だったのかも知れない。(4月18日 南相馬市小高区 原発から約18km地点)



顎を引いて大きく息を吸いこむ。これが最後の呼吸。牛の集団死に直面し、私は人間を恥じた。(4月18日 南相馬市小高区 原発から約18km地点)


外に放された動物たちはまだ生きている。野生化した家畜については政府が殺処分を指示したが、まだ捕獲された数は少ないという。しかし、これから厳しい冬を迎えて、その多くが死んでいくのではないだろうか。

犬猫については救出活動が行われている。可能な人は里親になるなど、協力して欲しい。


チェルノブイリの祈り――未来の物語 (岩波現代文庫)

チェルノブイリの祈り――未来の物語 (岩波現代文庫)

チェルノブイリの祈り―未来の物語

チェルノブイリの祈り―未来の物語