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雁屋哲氏の戦争体験

歴史認識

 

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美味しんぼ』原作者の雁屋哲氏は、天皇制、戦争責任、原発問題と、この国の抱える重大問題に対して真っ当な認識を持っている数少ないマンガ関係者の一人であり、貴重な存在と言える。

その彼が、どうしてそのような認識を持つようになったか、その原点とも言える体験を語っているので一部を紹介する。

 

雁屋哲 『戦争の記憶』(日本の戦争責任資料センター 『Let’s』 2013年3月号)

私が体験した二つのこと

 

 一九四五年に戦争に負けてから…今年で六八年。

 だから、戦争中のことなど、忘れられている。そこで、かろうじて、僅かな記憶を残している私が、ここに証言したい。
 日本は、中国に対して言い訳のできない残虐なことをした。

 

(一)裸にされた少女

 

 私は一九四一年生まれ。一九四五年に、日本に引き揚げてきたので中国に対する記憶は余り多くはない。

 しかし、その中で、鮮烈に記憶に残っていることがある。

 私の父は、中国で日本人の経営する炭鉱会社に勤めていた。経理専門なので、会社の中ではきれい事しか担当していなかった。

 私たちは、一時、磁県と言う場所にいた。

 そこに、磁県炭鉱という、父の会社の大事な炭鉱があったのである。

 あるとき、その磁県駅に母と姉と行ったときだが、駅の構内が騒然としている。

 中に入って見ると、客車の通るレールの外側の貨物列車の通るレールのあたりで騒ぎが起こっている。

 大人の陰に隠れてみたのだが、そこにいたのは、日本軍の兵士である。ゲートルを巻き、軍帽をかぶり、軍服姿の、如何にも強そうな男達二人である。

 その兵士達の前、列車のレールの間に、真裸にされた中国人の少女が体を丸めて泣いている。兵士二人は、手に墨汁の入った器と、筆を持っている。

 その少女の体を見ると、真っ白な体一杯に「わたしはどろぼうです」「わたしはいやしいどろぼうです」「おくにのざいさんをぬすみました」等と、書かれている。

 その兵士達が、書いたのである。

 兵士達は、にやにやしながら、さらに筆をとって少女の体に何か書こうとしていた。

 その兵士達の、にやにや顔、残虐無比なにやにや顔、それが未だに私の脳裏から去らない。

 母は、私の目を遮って、其の場から、外に連れ出した。

 母は言った、

 「駅で貨車に石炭を積むときに、こぼれる石炭はある。

 それは、線路の両脇に散る。

 それを、中国の貧しい人達が拾いに来る。

 普通はそういうことは大目に見て過ごすのだけれど、ときに、今日のような意地の悪い兵隊がいると中国人はとても辛い目に遭うのよ。」

 

 まだ、三歳の私には深いことは分からなかった

 が、その少女が可哀想だという気持ちは深く湧いてきた。

 それが、それから、六十年以上経っても其の場の光景をまるで映画を見るように思い起こせる原因だと思う。

 しかし、この話には続きがある。

 数年前に、姉と話していて、何かの拍子にこの話になった。

 私が話すと、姉は驚いて「てっちゃん、そんな昔のことをよくおぼえていたわね」と言った。

 「当然だろう、子供だったけれど、その衝撃は大きかったから」と私が言うと、姉は、しばらくおし黙っていたが、しまいに、苦しげに、

 「その子には、まだ毛が生えていなかった」と言った。

 姉は私より年上の分、その場の状況をもっと客観的に見られたのだろう。

 要するに、日本兵は、そんな若い少女を丸裸にして辱めを与えたのだ。

 私の父はそんな会社に働いていたのだから、大きな事は言えないが、その石炭は、中国人の物だろう。

 それを私の父の務めていた会社が掘り出して、日本人の利益のために使っていたのだ。

 これは、泥坊だろう。

 その、土地の元々の持ち主である中国人が、その石炭を取って何が悪いのか。

 しかも、その少女は貨車に積んだ石炭のおこぼれを拾っただけである。

 この嫌な記憶は、三歳の時から、今に至るまで私の脳髄に刻み込まれている。

 

(二) チャンコロの首を切るから見に来い

 

 父は戦後、酒に酔うと良く中国での話をしてくれた。

 いつも、中国は如何に美しいか、素晴らしいか、食べ物がどんなに美味しいかと言う話だったが、中国人の話になると、顔つきが変わった。

 父は言った「中国人は偉大な国民だ。日本人なんか比較にならない。今に日本人は中国人に負けるだろう」

 そして父は何度も語った。

 「私が一番いやだったのは、磁県炭鉱のある磁県にいたときのことだ。

 毎週、土曜日になると、磁県炭鉱の警備のために配属されている軍隊の、あれは、軍曹か曹長か、そいつが夜になると来るんだ。

 酒を飲んで、ホオズキみたいに顔を真っ赤にふくらませて、そいつが言うんだ。

 『これから、チャンコロの首を切るから見に来ないか』

 私はその度に色々口実を作って断ったが、本当にあんな嫌な思いをしたことはなかった」

 父がその度に断るのに苦労したのは、自分は炭鉱会社の社員だ。その兵隊はその炭鉱会社を守備するために送られた部隊の兵隊だ。簡単には、その軍隊の言うことを断れないという事情があった。

 本当に辛かったし、これでは、日本はお終いだ、と思った、と父は語ってくれた。

 毎週中国人の首を落とすのを楽しみにしている日本兵。

 こんなことをする国は駄目でしょう。

 

 以上二つの証言だけでは、あまりに弱いと言われるかも知れない。

 しかし、私という一人の人間にとっては充分すぎた。

 私は肌身で、日本軍とはどんな人間の集団か三歳の時に知った。

 そして、戦争とはどんな意識と感覚を持った人間が引き起こす物なのかその後の人生で理解したが、やはり、三歳の時の自分の体で味わった体験が大きかった。