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わたしを離さないで

 

日系英国人作家カズオ・イシグロの同名小説の映画化作品。

 

架空の世界の物語である。

舞台は現代(おおむね1970年代から90年代まで)のイギリスなのだが、この世界では、ある画期的な医療技術の開発により、既にほとんどの病気が克服されており、人は事故死さえしなければ老衰で天寿を全うするまで生きられるようになっている。平均寿命はすでに百歳を超えた。

ただし、SFではないので、その医療技術の詳細が説明されることはない。

 

物語は、キャシー・Hという若い女性の独白、そのほとんどは過去の回想という形で進んでいく。

 

彼女が子ども時代を過ごした、美しいイギリスの田園地帯の中に建つ、懐かしい母校ヘールシャム。

そこで育んだ、二人の親友トミーとルースとの、生涯途切れることのない絆。

 

しかし、この学校は何かがおかしい。

全寮制の寄宿学校のように見えるが、子どもたちの誰も、一度も親元に帰る様子がない。それどころか、そもそも学校の敷地の外に一歩も出ようとしない。外から訪ねてくる人もほとんどいない。

異常なほどの健康管理、不思議な熱心さで奨励される、美術や詩作などの創作活動。

そして、校長をはじめとする教師たちの、学校を押し潰そうとする外からの圧力に必死で抗っているかのような、不可解な言動。

 

やがて、この学校を「卒業」していく生徒たちを待ち受ける、過酷な運命が少しずつ露わになっていく。

 

あまりにも理不尽で、不条理な運命。

最後まで見終えたとき……それは、最後まで見続けることができればの話だが……自分の両目から流れる涙に気づかない人はいないのではないだろうか。

 

この映画を観て、哀しみや憤りといった感情とないまぜになって感じることは、人それぞれだろう。

 

私が強く感じたのは、これは差別の物語であり、マイノリティの物語だということだ。

 

もちろんこれは架空の物語であり、このような差別にさらされているマイノリティが、いま現実にいるわけではない。

 

しかし、差別の構造は、いつだって同じだ。

マイノリティは、いつも「見えない存在」とされ、たとえ目の前で向き合っていても、その苦悩に気づかれることはない。

いや、差別する側は、常に「差別していい理由」を見つけ出し、自己欺瞞という毒で自らを麻痺させることで、彼らにも自分と同じ魂があることに気付かないふりをする。

そして、相手を徹底的に利用する。

 

最後のシーンで、車を降りたキャシーが、手を振って自分を呼ぶトミーの幻影を思い描きながら、呟いた言葉。

その言葉の意味を、しっかりと考えて欲しい。

 

そして、この映画で描かれた差別と、本質的には何も変わらない不条理が、自分自身のまわりにもあるのではないかということを、冷静に考えてみて欲しい。


わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫)

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