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日中会談記録は本当に改竄されていた

 

関連記事:尖閣「棚上げ合意」は事実。日本政府はいい加減に詭弁を弄するのをやめよ。

 

上記記事の中で、私は外務省による日中国交正常化時の会談記録に不自然な部分があることを指摘し、疑問を呈しておいた。

備考:周発言の後で田中が改めて同意を表明したかどうか、それは日中両国の外交記録を突き合わせてみれば明らかになるだろう。ちなみに、上に引用した会談記録で、周恩来尖閣問題を棚上げすると言った直後、田中の応答も待たずに突然大使館を置く時期の話など始めているのはどうも胡散臭い。文章が何行か「意図的に欠落」しているのではないか?

 

すると、こんなメンションが飛んできた。

 

まあ、こういうのはお約束の反応だろう。

 

一方、はてブではid:haruhiwai18さんから、「尖閣騒動――頂門の一針」というページを紹介していただいた。

読んでみると、これが非常に興味深い内容だった。

 

1972年の日中国交正常化交渉に同席していた橋本恕外務省アジア局中国課長が、2000年になって、次のような証言をしているのだ。

 

資料2.橋本恕の第4回[実は第3回]首脳会談1972年9月28日[実は27日]の回想。

 

「台湾問題が結着したあと」、周首相が「いよいよこれですべて終わりましたね」と言った。ところが「イヤ、まだ残っている」と田中首相が持ち出したのが尖閣列島問題だった。周首相は「これを言い出したら、双方とも言うことがいっぱいあって、首脳会談はとてもじゃないが終わりませんよ。だから今回はこれは触れないでおきましょう」と言ったので、田中首相の方も「それはそうだ、じゃ、これは別の機会に」、ということで交渉はすべて終わったのです。

 

――橋本恕の2000年4月4日清水幹夫への証言、大平正芳記念財団編『去華就実 聞き書き大平正芳』2000年。『記録と考証、日中国交正常化岩波書店、2003年、223-4ページに再録。

 

田中は周に対して、改めて同意を表明しているではないか。

これは、同じく日中国交正常化交渉に同席していた張香山中国外交部顧問の回想とも整合している。

 

田中首相 「私はやはり一言言いたい。私はあなたの側の寛大な態度に感謝しつつ、この場を借りて、中国側の尖閣列島(=釣魚島)に対する態度如何を伺いたい」。

周総理 「この問題について私は今回は話したくない。今話しても利益がない」。

田中首相 「私が北京に来た以上、提起もしないで帰ると困難に遭遇する。いま私がちょっと提起しておけば、彼らに申し開きできる」。

周総理 「もっともだ!そこは海底に石油が発見されたから、台湾はそれを取り上げて問題にする。現在アメリカもこれをあげつらおうとし、この問題を大きくしている。

田中首相 「よし!これ以上話す必要はなくなった。またにしよう」。

周総理 「またにしよう。今回我々は解決できる基本問題、たとえば両国関係の正常化問題を先に解決する。これは最も差し迫った問題だ。いくつかの問題は時の推移を待ってから話そう」。

田中首相 「一旦国交が正常化すれば、私はその他の問題は解決できると信じる」。

 

                張香山 『中日復交談判回顧』 《日本学刊》1998年第1期

 

会談に同席した日中どちらの外交当局者の回想でも、田中角栄周恩来尖閣問題を「棚上げ」とすることで合意し、お互いの意志を明確に確認しあっている。疑問の余地はない。

この会談の記録を恣意的にカットし、田中が「棚上げ」に同意していなかったかのような解釈(会談全体の流れを見ればそのような解釈は成立できないのだが)の余地を与える改竄を行ったことの責任は、会談記録の作成者である外務省アジア局中国課、とりわけその課長であった橋本恕が負わなければならない。橋本の罪は極めて重い。