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『男たちの大和』に出てきた機銃のことなど

 

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男たちの大和』が公開されたのが2005年。

同じ年にドイツで公開されたのが 『白バラの祈り ゾフィー・ショル、最期の日々』 であることを考えると、彼我のあまりの差に絶望的な気分になる。『男たちの大和』に言葉だけ出てきた「敗れて目覚める」とは、こういうことなのに。

『白バラ』と比べるのはあんまり、というのであれば、同じく絶望的状況下での海戦を扱った『Uボート』でもいい。ここでも彼我の差は歴然だろう。

日本の映画人たちよ。仮にも戦争に関わる映画を作るのなら、せめて大先輩である伊丹万作の「戦争責任者の問題」くらい読んだらどうか。

 

ところで、『男たちの大和』は、主に対空機銃を担当した兵や下士官の視点から描かれている。このため、戦闘シーンも機銃まわりの場面が多い。

この機銃が、またひどいのである。

 

私は軍事ヲタではないので詳しいことは知らないが、大和に搭載されていたのは「九六式二十五ミリ高角機銃」というものなのだそうだ。で、この映画の製作時には、実際に大和に乗艦していた生存者から指導を受けたとのことなので、戦闘時の機銃の運用に関する描写も恐らく正確なのだろう。

そういう前提でこの映画を見ていくと、これが実にひどい。

 

この機銃は、両脇の座席に座った二人がそれぞれ左右と上下の動きを担当し、ハンドルを回して角度を変えて撃つのだが、「仰角45度!」「左30度!」とかの命令を聞いてからカチャカチャハンドルを回していたのでは、高速で突っ込んでくる敵機に当てるのは無理だろう。見ていてとても当たる気がしない。

それより何より、この機銃には防弾設備がない。下側は鋼板で囲ってあるものの、上はがら空きである。(大和にはこの型の機銃が50基搭載され、その約半分が盾なしだったとのこと。)

そのがら空きの機銃のまわりに、左右の照準役2名、三連装の機銃に弾倉を突っ込んで押さえている兵士が3名、その後ろに次の弾倉を抱えて控えている兵が3名、指揮官1名と、9名もの人間がたかっている。

この9名が、なにしろむき出しなのだから、敵機の機銃掃射が襲っただけでバタバタと倒れていく。あたりはたちまち血の海である。

 

分厚い装甲で不沈を誇った巨艦大和だが、艦上で戦う兵士は生身のむき出し。

これも旧日本軍の人命軽視の一例だろう。