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米倉斉加年さんとモランボンの「ジャン」

名優、米倉斉加年(よねくら・まさかね)さんが亡くなられた。

米倉さんといえば、「モランボンのジャン」のCMを抜きには語れないと思うのだが、主要メディアの訃報でこれを取り上げたものがあっただろうか?

Web上では、かろうじて次の二つが見つかっただけだ。

スポーツ報知(8/28)

◆米倉 斉加年(よねくら・まさかね)1934年7月10日、福岡県生まれ。西南学院大在学中に演劇に目覚め、57年に中退。劇団民藝に入団する。60年に常田富士男らと劇団青年劇場を結成して一時は退団も、65年に民藝に復帰。以降、2000年に退団するまで劇団の中心人物の1人として活動しながら映画、テレビなどにも出演。食品メーカー「モランボン」の焼き肉のたれ「ジャン」のCMも話題となった。絵本作家としても知られ、83年の「おとなになれなかった弟たちに…」は中学1年の国語の教科書に採用された。

 zakzak(夕刊フジ)(8/27):

テレビや映画でも活躍し、映画「男はつらいよ」シリーズ、NHK大河ドラマ「花神」(77年)、同局の連続テレビ小説「ちりとてちん」(07年)などに出演。食品メーカー「モランボン」の焼肉のタレ「ジャン」のCMなどでお茶の間に親しまれた。

黙ってスルーした他のメディアよりはましだが、これらの書き方も実態からはかけ離れている。

米倉さんが「ジャン」のCMに出たのは1979年だ。当時、「朝鮮」を正面に掲げた食品のCMに出ることが巻き起こす嵐は、「話題となった」とか「お茶の間に親しまれた」などという言葉で表せるようなものではなかった。

辛淑玉さんの文章[1]から引用する。

 焼肉のタレといえば「モランボンのジャン」がすぐ思い浮かぶ。スーパーの肉コーナーには欠かせない一品だろう。

 そのジャンのコマーシャルには、今では想像もできないほどの産みの苦しみがあった。

 今から、30年ほど前だと思う。

 当時、キムチは朝鮮人だけが食べるもので、ニンニク臭いとされ、一般のスーパーでは見かけることもなかった。なにしろ「チョーセン」という言葉を口にすることさえはばかれた時代だ。まして放送の中ではタブーを超えていたと言ってもいい。

 そんな中、「朝鮮の味、ジャン!!」というナレーションと共に、美しい映像がテレビ画面いっぱいに流されたのだ。

 私は、その映像に釘付けになった。

(略)

 モランボンのコマーシャルは、何度となく放送局から拒否された。また、「朝鮮」を掲げた企業のコマーシャルに出演してくれる俳優を探すのも困難を極めた。それこそ、俳優生命の終りを意味するほどの差別感情が社会に蔓延していたからだ。

 抜擢されたのは、CMには決して出ることのなかった名優、米倉斉加年さんだった。

(略)

 その彼が、30年前、全鎮植氏(注:モランボン創業者)の求めに応じて、朝鮮風のパジチョゴリを着てコマーシャルに出演したのだ。

 そのせいで米倉さんが受けた仕打ちは凄まじいものだった。まず、すべての役から下ろされ、メディアへの出演も断られた。仕事がまったくなくなったのだ。朝鮮人の味方をする者への兵糧攻めである。

 もちろん米倉さんの子どもも無事ではいられなかった。学校で「チョーセンジン」といじめられて帰ってきて、「ねぇ、お父さん、私の家は朝鮮人なの?」と尋ねたそうだ。

 その時、米倉さんは微動だにせず「そうだ、朝鮮人だ。朝鮮人で何が悪い?」という趣旨の言葉を子どもたちにかけた。

 米倉さんは、1934年に福岡で生まれた日本人である。しかし彼は、自分は日本人だとは決して口にしなかった。それは、このコマーシャルを引き受けるときの彼の覚悟でもあったのだろう。

 当時を振り返って、「あのとき、このコマーシャルはただ焼肉のタレの宣伝ではない、社会意識への挑戦であり、文化を伝える作業だと認識していたのは、全さんと私と、あなた(私のこと)だけだったかもしれませんね。わっはっは」と愉快そうに語ってくれた。

 朝鮮人と共に生きるということは、日本人の側にも相当の覚悟が必要なのだ。それは今でも変わらない。

日本人である米倉さんの、「そうだ、朝鮮人だ。朝鮮人で何が悪い?」という言葉は、植木等さんの父親、徹誠(てつじょう)さんが、「ヒトシ、俺は部落民じゃない、と言ったその瞬間からそれは部落差別なんだ」と語ったという話を思い起こさせる。これらの言葉は、マイノリティのみならず、マイノリティの側に立とうとする者にまで向けられれるこの社会の異常な敵意に対して、どのように向き合わなければならないかを教えてくれている。

改めて、米倉さんのご冥福をお祈りします。安らかにお休みください。

[1] 辛淑玉 「サバイバル手帳:踏み絵としての朝鮮人」 (社)子ども情報研究センター 「はらっぱ」 2010年6月号

 
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