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関東大震災時の朝鮮人虐殺 -- 否定論者がこの史料を避けて通ることは許されない

 

加藤康男著『関東大震災朝鮮人虐殺」はなかった!』(ワック 2014年)(以後、「なかった」と略す)は、朝鮮人による暴動は実際にはあったのに、これを後藤新平内相を中心とする政府が隠蔽したのだと主張している。

この主張をもっともらしく見せるため、「なかった」は、まるで見てきたかのように後藤の心理を描写してみせる。

 

国体=摂政宮の安全を維持するのが自分の使命だと後藤は腹を決めていた。そのためには宥和策を選び、一時しのぎをする作戦に切り換えるのが得策だと考えたに違いない。この点は震災と朝鮮政策を考えるうえで見逃せない政策変更の要である。おそらくこの選択は、後藤新平が下したこれまでの裁断のなかでも際立って難解なものといえるだろう。(P.180)

 

朝鮮人の襲撃自体は事実だが、新内閣の内務相・後藤新平はある決意と策謀をめぐらせて親任式に臨んでいた。

 その後藤の腹のうちとは、現在進行形の朝鮮独立運動家たちの主導によるテロと凶悪犯罪は戒厳令の軍力で凌ぎつつ、自警団を武装放棄させ、民心の安定を図ることにあった。後藤はこのままの状況では、朝鮮人と自警団の内戦状態すら想定しなければならなかったのかもしれない。

 そうなれば、最も憂慮されるのは摂政宮に何らかの危害が及ぶことだった。その恐れを後藤は感知していた。したがって、ここは強引に新聞などの操作をもって自警団を引かせる以外に策はない、そう腹を括ったに違いない。(P.209)

 

しかし、これらの描写には何の裏付けもないばかりか、「なかった」自身の主張する自警団の有り様とも矛盾することをこちらで指摘しておいた。また、後藤による暴動隠蔽の唯一の根拠として挙げられている正力松太郎の発言は、「なかった」の著者加藤康男氏とその妻工藤美代子氏が、工藤氏の父親である池田恒雄氏から聞いたと言っているだけで、同じく何の裏付けもないことがこちらのサイトで暴露されている。[1]

 

というわけで、政府が朝鮮人暴動の存在を隠蔽したという「なかった」の主張には根拠がまったくないわけだが、逆に政府がありもしない朝鮮人暴動をあったかのように見せかけようとした根拠は厳然として存在する。

 

震災発生翌日の9月2日、総理大臣を総裁、内務大臣を副総裁とする臨時震災救護事務局[2]が設置された。官制公布は加藤内閣(内田康哉臨時兼任首相)によるが、同日中に山本権兵衛内閣(内相:後藤新平)が成立し、事務局もこちらに引き継がれている。

臨時震災救護事務局警備部は、朝鮮人対策に関して9月5日に関係各方面と協議し、次のような協定[3]を結んでいる。

 

〈参考〉 朝鮮問題に関する協定 [極秘]

                            警 備 部

鮮人問題に関する協定

一、鮮人問題に関し外部に対する官憲の採るべき態度に付、九月五日
  関係各方面主任者事務局警備部に集合取敢へず左の打合を為したり。

 第一、内外に対し各方面官憲は鮮人問題に対しては、左記事項を
    事実の真相として宣伝に努め将来之を事実の真相とする
こと。

     従て、(イ)一般関係官憲にも事実の真相として此の趣旨を通達し、
    外部へ対しても此の態度を採らしめ、(ロ)新聞紙等に対して、
    調査の結果事実の真相として斯の如しと伝ふること。

          左   記

     朝鮮人の暴行又は暴行せむとしたる事例は多少ありたるも、
    今日は全然危険なし、而して一般鮮人は皆極めて平穏順良なり。

     朝鮮人にして混雑の際危害を受けたるもの少数あるべきも、
    内地人も同様の危害を蒙りたるもの多数あり。

     皆混乱の際に生じたるものにして、鮮人に対し故らに大なる迫害を
    加へたる事実なし。

 第二、朝鮮人の暴行又は暴行せむとしたる事実を極力捜査し、
    
肯定に努むること。

    尚、左記事項に努むること。

  イ、風説を徹底的に取調べ、之を事実として出来得る限り肯定することに
    努むる
こと。

  ロ、風説宣伝の根拠を充分に取調ぶること。

 第三、ゝゝゝゝゝゝ(ママ)

 第四、ゝゝゝゝゝゝ(ママ)

 第五、ゝゝゝゝゝゝ(ママ)

 第六、朝鮮人等にして、朝鮮、満洲方面に悪宣伝を為すものは
    之を内地又は上陸地に於て適宜、確実阻止の方法を講ずること。

 第七、海外宣伝は特に赤化日本人及赤化鮮人が背後に暴行を煽動したる
    事実ありたることを宣伝するに努むること。

 

救護事務局が極秘に起案し、少数の関係者にだけ配布したこの文書(ガリ版刷り、一部ペン書き)は、政府が朝鮮人虐殺事件をどのように矮小化し、隠蔽しようとしたかを如実に示している。

朝鮮人虐殺事件の真相が明らかになれば、官憲自らがデマを流布して被害を拡大したこと、さらには軍隊をはじめ官憲が直接虐殺に加担したことへの国家責任を問われる事態となり、朝鮮の植民地支配や諸外国との外交上、重大な障害が発生する。だから何としても朝鮮人による暴動の存在を肯定して殺された側にも問題があったことにし、また虐殺は震災による混乱の中で一部の民衆の手によって行われただけだと宣伝する必要があったのである。

実際、10月20日の虐殺関連記事の解禁と「朝鮮人の犯罪」に関する司法省発表は、まさにこの協定で取り決めたシナリオ通りに行われている。[4]

 

加藤・工藤夫妻は、著書の中でこの文書を収録した『現代史資料6 関東大震災朝鮮人』を参考文献として挙げているばかりか、次のようにわざわざ謝辞まで述べている。

 

 間もなく日韓併合の日から百五年になる。これでは余震百年、いまだに日韓の地震は治まっていないと言うべきだろう。

 本書を執筆するにあたっては、みすず書房『現代史資料6』を特に参考にさせていただき、多くの示唆を得た。明記して謝意を表したい。

 今後、さらにこの問題について、より精緻な実証が多くの史家によってなされ、新たな日韓関係が構築されることを願いつつ筆を擱く。(P.372)

 

当然、彼らがこの重要史料の存在を知らなかったはずがないのである。にもかかわらずこれを無視するのは、歴史の「実証」を目指すと称する者として、到底許されることではない。

 

[1] 工藤美代子/加藤康男「虐殺否定本」を検証する -- トリックその2

[2] 臨時震災救護事務局官制

[3] 姜徳相・琴秉洞 『現代史資料6 関東大震災朝鮮人』 みすず書房 1963年 P.79-80

[4] 山田昭次 『関東大震災時の朝鮮人虐殺 ― その国家責任と民衆責任』 創史社 2003年 P.92-93

 

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