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それは違うよ斎藤さんヽ(´Д`;)ノ

 

東京新聞に週一で連載されている斎藤美奈子氏の「本音のコラム」。いつも舌鋒鋭く安倍政権の暴挙を批判していて楽しく読んでいるのだが、10月14日掲載コラムの中の下記の記述には驚いた。中国からの申請により、ユネスコ世界記憶遺産に「南京大虐殺」関係資料が登録された件についての文章だ。

 

 南京大虐殺の死者については二十万人説(東京裁判)、三十万人説(中国政府)などがあり、最近は四万人説が有力らしい。が、たとえ四万人でも日本軍が南京攻略に際し、非戦闘員を含む万単位の人を殺戮したのは歴史的な事実である。死者数を是正したければ、歴史を謙虚に受け止め、反省を示すのが先。「気に入らないから金は出さない」では桐喝でしょ。

 

いったいいつから「四万人説」などが有力になったのか。これでは、東京裁判や中国政府の言う被害者数は大幅に過大だという歴史修正主義言説を認めた上で、国際社会の「誤解」を解くには今のようなやり方ではダメだからもっと真摯な態度をとるべきだ、と言っていることになる。

「四万人説」は秦郁彦の主張を指しているのだろうが、秦の主張など、学問的にはとっくに否定された恣意的な過小評価でしかない[1]。

 

 秦は、南京事件の犠牲者数を一般人一万二○○○人、捕らわれてから殺害された兵士三万人、計三万八○○○~四万二○○○人と推計するが、前掲のいわゆる「大虐殺派」の約二○万人と大きく違うのは、戦闘意欲をまったく失っている「敗残兵」や「投降兵」の殺害を「戦闘の延長と見られる要素もある」として、虐殺とは見ないこと、また軍服を脱ぎ棄てて民間人の服装に着替えて難民区に逃げ込んだ兵士を「便衣兵」とみなして、その殺害を「処刑」と考えたことである。

(略)

 この「虐殺少数説」の論理にたいして吉田裕「一五年戦争史研究と戦争責任問題―南京事件を中心に」(『一橋論叢」第九七巻第二号、一九八七年二月)がつぎのような明確な批判をおこなった。

(略)

 ②投降兵の殺害について、畝本正巳、板倉由明、秦郁彦への批判。

 虐殺否定論者は、集団投降捕虜、個別投降捕虜で収容後に殺害された者だけを「不法殺害」として、個別的に投降したが殺された者を「準戦死者」とみなし、秦郁彦は、投降兵の殺害には戦闘の延長と見られる要素もあるとして、「戦意を失い、武器を棄てて、集団または個人で投降した中国兵をその場で殺害した例」を「不法殺害」から除外している。しかし、投降兵の殺害は、「兵器を捨てまたは自衛の手段尽きて降を乞える敵を殺傷すること」を禁じた一九○七年の「陸戦の法規慣例に関する条約」等にたいする明白な侵犯行為であって、「不法殺害」を虐殺とみなす立場をとる以上、明らかに虐殺に分類されるべき性格のものである。

 ③「不法殺害」だけを虐殺とみなす畝本正巳、板倉由明、秦郁彦への批判。

(略)明文をもって禁じられている行為以外はすべて正規の戦闘行為であって「合法的」殺害であるといわんばかりの主張は、「陸戦の法規慣例に関する条約」の前文に、あくまでも人道主義の立場に立って行動するよう呼びかけている理念にも反する。南京攻略戦は「完全なる包囲殲滅戦」であったため、中国軍部隊は急激に潰走し、組織的統制と戦闘意欲とを完全に喪失した中国軍将兵が、武器を棄て、ときには武器を所持したまま、無力な群れとなって南京城の内外を徘徊した。ところが日本軍はすでに戦闘の帰趨が完全に決していたにもかかわらず、投降の勧告すらしないまま、これらの中国軍将兵に襲いかかり、その多数を殺害したのである。そうした日本軍の行動を正規の戦闘行動とみなすのには、やはり大きな無理があり、その非人道的実態において虐殺にふくめるべきであろう。

 南京事件でもっとも犠牲者数が膨大であったのは、中国軍の投降兵、捕虜、敗残兵の殺害であったから、以上の吉田の批判を受け入れれば、「まぼろし説」「虚構説」さらに「虐殺少数説」も成り立たなくなる。これらの批判を理論的に整理したものが吉田裕「南京事件国際法」(洞富雄・藤原彰本多勝一編『南京大虐殺の研究』晩聾社、一九九二年、ならびに吉田裕『現代歴史学と戦争責任』青木書店、一九九七年、に収録)である。

 

現時点で被虐殺者数に関する(日本国内での)最も有力な説は、

 以上の犠牲者数についての資料状況と本書で叙述してきた南京事件の全体状況とを総合すれば、南京事件において十数万以上、それも二○万人近いかあるいはそれ以上の中国軍民が犠牲になったことが推測される。日本軍側の資料の発掘・公開がさらに進み、中国側において近郊農村部の犠牲者数の記録調査がもっと進展すれば、より実数に迫る数字を推定することが可能となろう。

という、笠原十九司氏の説[2]あたりだろう。90年代以降に発掘・収集された新史料の精査も国際法の正しい解釈もできない秦の言説など、話にならないのである。

 

こんなところにまで虐殺否定論の害毒が及んでいるのは実に嘆かわしい。誰か斎藤氏に、学問的に正しい説を教えてあげて欲しい。

 

[1] 笠原十九司 『南京事件論争史 日本人は史実をどう認識してきたか』 平凡社新書 2007年 P.169-171

[2] 笠原十九司 『南京事件』 岩波新書 1997年 P.227-228

 

南京事件 (岩波新書)

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南京事件論争史―日本人は史実をどう認識してきたか (平凡社新書)

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「百人斬り競争」と南京事件―史実の解明から歴史対話へ

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