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「建国記念の日はなに天皇が即位した日?」 正解は「そんな天皇はいない」

「しらべぇ」というサイトが、今年の「建国記念の日」に、「【悲報】7割の国民が『建国記念日に即位した天皇』を知らない」という記事を掲載した。

しらべぇ編集部が全国の男女1331人に「建国記念の日はなに天皇が即位した日?」と調査を行ったところ、もっとも多かったのが明治天皇で40.4%。以下、その他が28.8%、昭和天皇が20.4%、大正天皇が7.2%、今上(平成)天皇が3.2%と続いた。(略)じつはこのアンケート、ひっかけ問題である。正解はその他に含まれていたのだ。

(略)

じつは建国記念日は神武天皇の即位日が由来となっている。神武天皇は日本神話の登場人物であり、古事記や日本書紀で初代の天皇とされている。

その即位日である旧暦紀元前660年1月1日を、明治に入ってから新暦に換算、1967年(昭和42年)に制定されたというわけ。

紀元前660年の旧暦1月1日に神武天皇が即位し、それを新暦に換算すると2月11日に当たるから、この日が「建国記念の日」になったと言うわけだが、この話は少なくとも二重におかしい。

まず、神武の即位に関する日本書紀の記述は、次のとおりである[1]。

辛酉かのととり年の春正月の庚辰かのえたつの朔ついたちに、天皇、橿原宮かしはらのみやに即帝位あまつひつぎしろしめす。是歳を天皇の元年とす。

「辛酉」は60年に1回やってくるので、これだけではいつのことか分からない。そこで、ずっと後の、年代の確定できる時点から出発して、歴代天皇の在位年数などを手がかりに時代を遡り、紀元前660年にあたる「辛酉」に辿り着いたわけだ。

だが、日本書紀に記された初期の天皇たちの在位年数は、まったく信用できない。それは次の表を見れば明らかだろう。

 

天皇

在位年数

死亡年齢

1

神武

76

127

2

綏靖

33

84

3

安寧

38

57

4

懿徳

34

88

5

孝昭

83

113

6

孝安

102

137

7

孝霊

76

128

8

孝元

57

116

9

開化

60

115

10

崇神

68

120

11

垂仁

99

140

12

景行

60

143

13

成務

60

107

14

仲哀

9

52

 

神功皇后

69

100

15

応神

41

111


神武をはじめ、古代ではおよそあり得ない長寿の天皇が連続している。死亡時の年齢が信用できないとなれば、当然在位年数も信用できない。つまり、神武が即位したとされている「辛酉」年が紀元前660年だとは考えられないのだ。年が違うのだから、「春正月の庚辰の朔」が新暦の2月11日に当たるとする根拠もないことになる。

第二に、私は記紀に「神武天皇」として説話が記載されている人物は実在した歴史上の人物(弥生後期、3世紀頃の人)と考えているが、しかしその人物は到底「天皇」などと呼べるような存在ではなかった。こちらの記事にも書いたとおり、後に「神武」という諡号を贈られることになるこのイワレビコという男は、九州から出てきて近畿に侵入し、血みどろの殺戮戦を繰り広げたあげく、ようやく奈良盆地の一角に拠点を確保した一豪族に過ぎない。客観的に見れば、「天皇」どころか「王」と呼ぶのさえ無理である。後の近畿天皇家の祖先に当たる人物ではあったとしても、この男自身は「天皇」などではあり得ず、従って「即位」などしているはずがないのだ。

これは、次の事例と比べてみれば分かりやすい。

中国最初の皇帝である秦の始皇帝は、列国を滅ぼして中国全土を統一して初めて「始皇帝」を名乗った。それ以前の彼は単なる「秦王政」である。また、彼は秦国の初代でもない。始皇帝は紀元前3世紀の人だが、諸侯の一つとしての秦国の始まりは前8世紀の襄公、更にその祖先は初めて秦の地に領地を得た前10世紀頃の非子までたどれるという。

要するに、後に日本を支配した大和朝廷の祖先だからといってイワレビコを初代の「天皇」だなどと言うのは、非子を最初の中国皇帝だと言うのと同程度のこじつけ、極端な誇張なのだ。仰々しい記紀の記述は、大和朝廷絶対化のイデオロギーに基づく歴史の捏造、古代的歴史修正主義と言ってもいい。

まあ、客観的に見れば、実質的に「天皇」と呼んでいいのは、坂上田村麻呂の遠征によって初めて東北地方まで支配を広げた桓武(50代)あたりからだろう。

「建国記念の日」が、「神武天皇が即位した」とされている日(紀元前660年の2月11日)に由来しているのは事実だが、神武は「天皇」などではなかったし、従って「即位」もしていない。さらに、神武紀の言う「辛酉年」は紀元前660年ではないので「春正月の庚辰の朔」を新暦2月11日とする根拠もない。要するに、すべてが架空の作り事なのだ。だから、「建国記念の日はなに天皇が即位した日?」という問いへの正解は、「そんな天皇はいない」なのである。

[1] 坂本太郎・家永三郎・井上光貞・大野晋校注 『日本書紀(一)』 岩波文庫 1994年 P.240

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