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憲法9条を生んだ幣原喜重郎の平和思想

組閣当初から抱いていた戦争放棄の発想

憲法9条幣原発案説の当否を検討する際には、まず幣原自身が「戦争放棄」という発想を生むことができるような思想的背景を持っていたかどうかを考えなければならない。

そういう観点から幣原の著書『外交五十年』(1951年刊)を読むと、敗戦から憲法制定に至る時期において、幣原が十分そのような発想をなしうる境地にいたことがわかる。例えば幣原は、玉音放送を聞いたその日の午後、帰宅途中の電車の中で目撃した光景を、次のように描写している[1]。

 もうクラブ(注:日本倶楽部などにいる気がしない。心中おうおうとして楽しまない。家へ帰ろうと、クラブを出て電車に乗った。そしてその電車の中で、私は再び非常な感激の場面に出逢ったのであった。それは乗客の中に、三十代ぐらいの元気のいい男がいて、大きな声で、向う側の乗客を呼び、こう叫んだのである。

「一体君は、こうまで、日本が追いつめられたのを知っていたのか。なぜ戦争をしなければならなかったのか。おれは政府の発表したものを熱心に読んだが、なぜこんな大きな戦争をしなければならなかったのか、ちっとも判らない。戦争は勝った勝ったで、敵をひどく叩きつけたとばかり思っていると、何だ、無条件降伏じゃないか。足も腰も立たぬほど負けたんじゃないか。おれたちは知らん間に戦争に引入れられて、知らん間に降参する。怪しからんのはわれわれを騙し討ちにした当局の連中だ」

と、盛んに怒鳴っていたが、しまいにはおいおい泣き出した。車内の群集もこれに呼応して、そうだそうだといってワイワイ騒ぐ。

 私はこの光景を見て、深く心を打たれた。彼らのいうことはもっとも至極だと思った。彼らの憤慨するのも無理はない。戦争はしても、それは国民全体の同意も納得も得ていない。(略)もちろんわれわれはこの苦難を克服して、日本の国家を再興しなければならないが、それにつけてもわれわれの子孫をして、再びこのような、自らの意思でもない戦争の悲惨事を味わしめぬよう、政治の組立から改めなければならぬということを、私はその時深く感じたのであった。

その後組閣を命じられた幣原は、総理となった当初から、既に後の戦争放棄条項につながる発想を抱いていたようだ[2]。

 私は図らずも内閣組織を命ぜられ、総理の職に就いたとき、すぐに私の頭に浮んだのは、あの電車の中の光景であった。これは何とかしてあの野に叫ぶ国民の意思を実現すべく努めなくてはいかんと、堅く決心したのであった。それで憲法の中に、未来永劫そのような戦争をしないようにし、政治のやり方を変えることにした。つまり戦争を放棄し、軍備を全廃して、どこまでも民主主義に徹しなければならないということは、他の人は知らないが、私だけに関する限り、前に述べた信念からであった。(略)よくアメリカの人が日本へやって来て、こんどの新憲法というものは、日本人の意思に反して、総司令部の方から迫られたんじゃありませんかと聞かれるのだが、それは私のママ関する限りそうではない、決して誰からも強いられたのではないのである。

 軍備に関しては、日本の立場からいえば、少しばかりの軍隊を持つことはほとんど意味がないのである。将校の任に当ってみればいくらかでもその任務を効果的なものにしたいと考えるのは、それは当然のことであろう。外国と戦争をすれば必ず負けるに決まっているような劣弱な軍隊ならば、誰だって真面目に軍人となって身命を賭するような気にはならない。それでだんだんと深入りして、立派な軍隊を拵えようとする。戦争の主な原因はそこにある。中途半端な、役にも立たない軍備を持つよりも、むしろ積極的に軍備を全廃し、戦争を放棄してしまうのが、一番確実な方法だと思うのである。

非暴力不服従の思想も

戦争を放棄する、それも、「自衛権は放棄していない」などという見せかけだけのものではなく、本当に軍備を全廃してしまうということになれば、当然、「そんなことをして外国が攻めてきたらどうするのか」という批判への回答を迫られることになる。幣原はその回答も用意していた[3]。

 もう一つ、私の考えたことは、軍備などよりも強力なものは、国民の一致協力ということである。武器を持たない国民でも、それが一団となって精神的に結束すれば、軍隊よりも強いのである。例えば現在マッカーサー元帥の占領軍が占領政策を行っている。日本の国民がそれに協力しようと努めているから、政治、経済、その他すべてが円滑に取り行われているのである。しかしもし国民すべてが彼らと協力しないという気持になったら、果たしてどうなるか。占領軍としては、不協力者を捕えて、占領政策違反として、これを殺すことが出来る。しかし八千万人という人間を全部殺すことは、何としたって出来ない。数が物を言う。事実上不可能である。だから国民各自が、一つの信念、自分は正しいという気特で進むならば、徒手空拳でも恐れることはないのだ。暴漢が来て私の手をねじって、おれに従えといっても、嫌だといって従わなければ、最後の手段は殺すばかりである。だから日本の生きる道は、軍備よりも何よりも、正義の本道を辿って天下の公論に訴える、これ以外にはないと思う。

(略)第一次世界大戦の際、イギリスの兵隊がドイツに侵入した。その時のやり方からして、その著者は、向うが本当の非協力主義というものでやって来たら、何も出来るものではないという真理を悟った。それを司令官に言ったということである。(略)今の戦争のやり方で行けば、たとえ兵隊を持っていても、殺されるときは殺される。しかも多くの武力を持つことは、財政を破綻させ、したがってわれわれは飯が食えなくなるのであるから、むしろ手に一兵をも持たない方が、かえって安心だということになるのである。日本の行く道はこの他にない。わずかばかりの兵隊を持つよりも、むしろ軍備を全廃すべきだという不動の信念に、私は達したのである。

まさに、武力闘争なしでインドの独立を成し遂げたガンディーと同様の、非暴力不服従の思想である。

もちろん、戦前何度も外相を務めた保守政治家であり、熱烈な天皇主義者でもあった幣原の思想には一定の限界がある。例えば、朝鮮の植民地支配や中国への侵略についての反省はほとんど見られない。このため、周辺被害国からの信頼を得ることによって将来の安全を確保する、という発想に至ることもなかった。とはいえ、この時代の政治家としては極めて優れた平和思想の持ち主だったことは間違いない。

松本国務相(憲法問題担当)を始めとする幣原内閣の他の閣僚はともかく、幣原本人にとっては、新憲法が「決して誰からも強いられたのではない」というのは、偽りのない本音だったのだろう。


[1] 幣原喜重郎 『外交五十年』 中公文庫 1987年(元本は1951年刊)P.219-220
[2] 同 P.220-221
[3] 同 P.221-223