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【番組評】ETV特集 「関東大震災と朝鮮人 悲劇はなぜ起きたのか」

9月3日(土)23時から、NHK Eテレで「関東大震災と朝鮮人 悲劇はなぜ起きたのか」が放送された。

1923年の関東大震災。混乱のなか流言が広がり、多くの朝鮮人が殺害された。悲劇はなぜ起きたのか。中央防災会議は2009年に国の機関として初めて事件を分析、報告書にまとめた。それによると軍や警察、新聞も一時は流言の伝達に関与していた。また裁判記録の研究が進み、自警団などが殺害に至った経緯も明らかになってきた。番組では、司法省の一次資料や民間の聞き取り調査などをもとに事件の社会的背景を探っていく。

動画がここでまだ見られるようなので、見逃した方は消される前にどうぞ。

■評価できる点

まずは、今の時代に、関東大震災時の朝鮮人虐殺を事実としてはっきりと認めた番組を、Eテレで、しかも深夜だったとはいえ、NHKが放送できたこと自体を評価しなければならないのだろう。なにしろ、郷土の歴史を未来に伝えることに責任を負っているはずの教育委員会が、子どもたちの目から事実を隠す歴史改ざんに自ら手を染めるような時代なのだ。


虐殺に関する数々の貴重な証言が、生の音声で紹介されたのもよかった。
船橋で虐殺に関与した警防団長の証言(1981年録音):

無線の海軍所長が「浦安行徳に600人の不逞鮮人が来るから、今夜警戒頼む」と来て、銃を渡されて「二声かけて返事をしなければ撃っても良い」と。警備に当たっていますと、朝鮮人が見えますと早鐘打つですよ、当時ですから。で「鮮人は見たら殺せ」と言うんですもの。まあすごかったですよね。

それで、今の競馬場の駐車場の所で2人殺しました。若い鮮人で、針金で縛りまして、狙い撃ちしちゃったんですよ。誰が撃ったか分かりませんけど、その撃った後を、日本刀で首を斬った、倒れているのを。その斬り方が皮だけ残っていたから、これは腕利きのやり方だと。

千駄ヶ谷でコリアンではないかと疑われた経験から芸名を決めた「千田是也」さんの話は有名だが、今回初めてご本人の証言を聞くことができた。

朝鮮人が襲ってくるからね、っていうんで、我々もただ遊んでいたわけじゃなくて、夜警に引っ張り出されたわけですね。千駄ヶ谷の駅から信濃町に向かう、そこへのこのこ上がって、線路に入って(朝鮮人が)来ないかな、来るのかな、とか思って見てたら、むこうの原っぱからね、(自警団の)提灯がばーっとこっちの方に向かって駆けて来るんですよね。それから「歴代天皇の名前を言え」と、こう言うんですよね。まだ中学を出たばかりでしたからね、覚えてましたけど相当のところまでは。でも、だんだん出てこなくて、これは出なくなったらやられるんじゃないか、と思ってね。なにしろね、竹槍は突くし、まさかりを頭から振り上げているんですよ。

最後に、父親から虐殺を目撃した体験談を聞いているさいたま市染谷の方が、孫たちに郷土で起きた惨劇を語り伝えている場面で締めくくったのもよかった。

お盆の日、かつて父とともに参った墓に、高橋さんは孫たちを連れてやって来ました。

(略)

近所に暮らす高橋さんの8人の孫たち。この日初めて、事件について詳しい話を聞きました。

高橋さん:「やっぱり、子どもたちに伝えるのも、分かんなくなっちゃうからね、代がかわっていくと。確かに、染谷の人にしてみれば恥だったんだと思いますけど、我々はそれを乗り越えていかなくちゃいけないんじゃないかな、と思います。」

関東大震災から93年、朝鮮人を襲った悲劇の記憶が薄れゆく中、事実を伝えようとする試みが今も続けられています。

※ 当時染谷で殺された朝鮮人青年の墓。事件後、地域住民が共同で建てたもの。

■評価できない点

一方で、この番組には評価できない点も多い。一番まずいのが、番組紹介にもある「司法省の一次資料」の使い方だ。

番組ではこの資料(震災後に於ける刑事事犯及之に関聯する事項調査書)を朝鮮人虐殺があったことの証拠として使っており、それは確かにそのとおりなのだが、この資料の性格についてきちんとした説明をしていない。

確かに、この資料には震災後に立件された朝鮮人殺傷事件がすべて記録されている。しかし、膨大な数の虐殺事件のうち、実際に立件されたものはごく少数であり、また、事件を矮小化し、国家責任を隠蔽するという意図のもとに、何を立件するかが決められたのだ。

当然、軍隊や警察など官憲が直接手を下した虐殺は一切が不問に付された。また、自警団の犯行についても、警察署を襲撃して収容されていた朝鮮人を殺戮するなど官憲に反抗した事件や、死体が残っていて隠蔽しようがない事件など、ごく一部が形式的に裁かれたに過ぎない[1]。

 朝鮮人暴動をでっち上げることが日本国家の免責の第一の手段とすれば、朝鮮人を虐殺した自警団員の一部を形式的に裁判にかけて法治国家としての責任を果たしたように見せかけるのが、国家責任免責の第二の手段だった。

 臨時震災救護事務局警備部司法委員会は9月11日、自警団検挙の方針を下記のように決定した。
 
  「一、今回の変災に際し行われたる傷害事件は、司法上これを放任するを許さず。これを糾弾するの必要なるは閣議に於て決定せる処なり。しかれども情状酌量すべき点少からざるを以て、騒擾に加わりたる全員を検挙することなく、検挙の範囲を顕著なるもののみに限定すること。

   二、警察権に反抗の実あるものの検挙は厳正なるべきこと。(略)」
 
 この方針を見ると、自警団の検挙はするが、朝鮮人殺傷に参加した自警団員全員の検挙は最初から放棄していることがわかる。理由は情状酌量すべき点が少なくないというのだが、これは官憲自身が流したデマを信じて朝鮮人を殺傷した自警団員が少なくないからである。もし官憲が自警団員をきびしく検挙すれば、逆に官憲のデマ流布責任が自警団からきびしく追及されることは明らかだ。(略)

 こうした危険を察知したにもかかわらず、官憲がまがりなりにも自警団員検挙を決定した理由は何か。その理由は、たとえ朝鮮人虐殺をした自警団員に対する形式的な法的処分であっても、法治国家としての責任を果たしたような外観をつくることで植民地支配に対する反抗を緩和し、また朝鮮人虐殺に対する諸外国からの国際的な批判を防ごうという思惑があったからであろう。

その裁判の結果はどうだったか。そもそも、警察署襲撃や日本人の誤殺を除いた「純粋な」朝鮮人虐殺で立件されたのはわずか17件97名でしかない。うち、一審で実刑判決を受けた者は16名に過ぎず、81名は執行猶予となった。実刑もごく軽いものが大部分で、懲役3年以上は2名しかいない。さらに、控訴審まで争われたケース(2件5名)では、結局全員が執行猶予となった。朝鮮人の命はこれほどまでに軽かったのだ[2]。

このように問題のある司法省資料に依存し過ぎた結果、番組が描き出す事件の全体像は、実際よりはるかに矮小化されたものになってしまった。例えば、番組では地図上に朝鮮人殺害数を棒状に積み上げる印象的な画像が示されたのだが、実際には東京以上に虐殺がひどかった横浜の惨状などは、ほとんど無視されている。

また、恐らく右派から叩かれるのを嫌って意図的に避けたのだろうが、番組では朝鮮人虐殺の総数についてまったく触れていない。その一方で、司法省資料に記載された231名という被害者数は画面にも出てくる。

確かに、政府が朝鮮人被害者の遺体を「速やかにその遺骨を不明の程度に始末」して事件を隠蔽しようとしたことは説明されるし、現場で遺体処理を行った当事者の証言も紹介されてはいる。しかし、そうした隠蔽工作がどの程度広範に行われたかが示されないので、恐らく予備知識のない視聴者が受ける印象は、実際の虐殺規模(数千人)よりはるかに小規模なものになってしまうだろう。

全体として、有意義ではあるが残念な部分の多い番組だったと言わざるを得ない。

[1] 山田昭次 『関東大震災時の朝鮮人虐殺 その国家責任と民衆責任』 創史社 2003年 P.97-98
[2] 同 P.99-101

 

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