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小林よしのり徹底批判(2)偽りの「アジア解放」「大東亜共栄圏」

「日本はアジア解放のために戦った」、とはっきり言えない『戦争論』

侵略戦争を実行するには、それを正当化する大義名分が必要となる。アジア太平洋戦争の場合、日本は「大東亜共栄圏」の建設を戦争目的として掲げた。すなわち、アジアの諸民族を欧米列強による植民地支配から解放し、独立諸国からなる平等・互恵的なアジア国家連合を実現する、というものだ。

小林もこの線に沿って戦争の正当化を図っている。しかし、マンガの特性を生かして絵で盛んに雰囲気を盛り上げようとはしているものの、テキストを抜き出してみると、言っている内容は意外なほど控えめというか、尻すぼみなことがわかる[1]。

「八紘一宇」「大東亜共栄圏」といえば 日本が戦争をする言い訳用のスローガンだと 昔はわしも思っていた

そんな言葉 持ち出すやつは右翼だと わしも思っていた

八紘一宇というのは 「天皇の下ですべての民族は平等」 ということだが この政治的主張は 単なるフィクションではなかった

じつはかなり本気の主張であることが証明されてきているのだ

第二次大戦で日本はドイツと同盟国だった

ドイツは「日本もユダヤ人を排斥しろ」と再三圧力をかけてきたが 日本政府は「全面的にユダヤ人を排斥するは八紘一宇の国是にそぐわない」と はねつけたのである

民族差別をしないという八紘一宇の主張を日本は貫いていた!

(略)

東アジアでも日本はアジア人と戦ったのではない

アジアを植民地化していた差別主義者・欧米人と戦ったのだ

「八紘一宇」の政治的主張のもとに 日本は敵国の人種差別とも同盟国の人種差別とも戦っていた

そして戦争が終わってみるとアジアは次々と独立し 白人は黄色人種からの収奪ができなくなってしまった

アジアでの戦争の話をしているのに、「八紘一宇」精神で民族差別をしなかったという主張の根拠がなぜヨーロッパのユダヤ人の扱いなのか(朝鮮人や中国人はどうした?)とか、中国で日本が戦っていた相手も欧米人だったのか?、といったあたりでまずお話にならないのだが、ここで注目すべきは最後の部分である。

あいまいで断片的な表現と全体の流れから何となく誤解しそうになるが、実はここで小林は、日本がアジア解放のために欧米列強と戦った、とは言っていない。これは、日本が欧米相手に戦争をしたおかげで、結果的にアジア諸国は独立できた(植民地支配から解放された)、という主張だ。

戦争当時の日本政府の主張、例えば明確に戦争目的としてアジア解放を掲げた大東亜共同宣言(1943年11月)などと比べると、ずいぶん後退してしまっている。

大東亜各国は相提携して大東亜戦争を完遂し、大東亜を米英の桎梏より解放してその自存自衛を全うし、左の綱領に基き大東亜を建設し、もって世界平和の確立に寄与せんことを期す。

一、大東亜各国は共同して大東亜の安定を確保し道義に基く共存共栄の秩序を建設す

一、大東亜各国は相互に自主独立を尊重し互助敦睦の実を挙げ大東亜の親和を確立す

「アジア解放のための戦争」という嘘

なぜ当時の政府・軍部と同様にアジア解放のための戦争だったとはっきり主張しないのか? 戦後の歴史研究によって、そんなものは大嘘だったことが既に立証されているからだ。

開戦直前の1941年11月20日、大本営政府連絡会議は次のような「南方占領地行政実施要領」を決定した。もちろん機密文書であり、対象とされる「南方占領地」の人々はもちろん、日本人でも政府・軍部の中枢にいる一部の者たち以外は知ることができなかった。

南方占領地行政実施要領

第一 方針

占領地に対しては差し当り軍政を実施し治安の恢復、重要国防資源の急速獲得および作戦軍の自活確保に資す
占領地領域の最終的帰属ならびに将来に対する処理に関しては別に之を定むるものとす

第二 要領

(略)

七、国防資源取得と占領軍の現地自活の為民生に及ぼさるるを得ざる重圧は之を忍ばしめ、宣撫上の要求は右目的に反せざる限度に止むるものとす

八、米、英、蘭国人に対する取扱は軍政実施に協力せしむる如く指導するも、之に応ぜざるものは退去其の他適宜の措置を講ず
枢軸国人の現存権益は之を尊重するも、爾後の拡張は勉めて制限す
  華僑に対しては蒋政権より離反し我が施策に協力同調せしむるものとす
  現住土民に対しては皇軍に対する信倚観念を助長せしむる如く指導し、其の独立運動は過早に誘発せしむることを避くるものとす

開戦前の段階で既に、東南アジアの占領目的は戦争のための資源獲得であること、そのために現地住民に課すことになる重圧は耐え忍ばせること、日本が解放しに来てくれたなどと誤解して独立運動が起きないよう抑制することが明記されている。

さらに、1943年5月31日の御前会議で決定された「大東亜政略指導大綱」(こちらも機密文書)には次のように書かれている。

大東亜政略指導大綱

第二 要綱

(略)

四、対緬(ビルマ=ミャンマー)方策

  昭和18年3月10日大本営政府連絡会議決定 緬甸独立指導要領 に基づき施策す

五、対比(フィリピン)方策

  成るべく速に独立せしむ
  独立の時機は概ね本年10月頃と予定し、極力諸準備を促進す

六、其他の占領地域に対する方策を左の通定む
  但し(ロ)(ニ)以外は当分発表せず

(イ) 「マライ」「スマトラ」「ジャワ」「ボルネオ」「セレベス」は帝国領土と決定し、重要資源の供給源として極力之が開発ならびに民心の把握に努む

(ロ) 前号各地域に於ては、原住民の民度に応じ努めて政治に参与せしむ

(ハ) 「ニューギニア」等(イ)以外の地域の処理に関しては、前二号に準じ追て定む

(ニ) 前記各地に於ては当分軍政を実施す

七、大東亜会議

  以上各方策の具現に伴ひ、本年10月下旬頃(比島独立後)大東亜各国の指導者を東京に参集せしめ、牢固たる戦争完遂の決意と大東亜共栄圏の確立とを中外に宣明す

マレーシアとインドネシア主要部(スマトラ島、ジャワ島、ボルネオ島、セレベス海域)は、解放どころか日本の領土に編入してしまう方針が明記されている。ニューギニア等の地域もいずれ日本領にするつもりだった。ちなみに、現地住民を「原住民」「土民」呼ばわりする日本が彼らを差別していなかったなどという主張は笑うしかない。

この「大綱」でビルマとフィリピンは独立させるとしているが、いずれも傀儡政権であり、「独立」は見せかけだけのものだった[2]。

 日本は43年8月ビルマの、10月フィリピンの「独立」を認め、両国での軍政は形式上は廃止された。しかし42年8月の「軍政総監指示」は「この独立は軍事、外交、経済等にわたり帝国の強力なる把握下に置かるべき独立なる点特に留意を要する」としており、日本の軍事的支配という実態はかわらなかった。

 この両国および満州国・汪政権・タイなど対日協力政権の代表者を東京にあつめて、43年11月、大東亜会議が開かれ、「大東亜共同宣言」を発表したが、占領の実態からかけ離れた美辞麗句をならべたものであった。

軍事、外交、経済のすべてを他国に握られている国のことを、普通は独立国とは呼ばない。また、フィリピンは日本が「独立」させるまでもなく、以前から米国が1946年7月に独立を与えると約束しており、戦後はその約束どおりにフィリピン第三共和国として独立した。

ビルマに関しては、「独立」直前に東条英機が語った次のような発言が残されている[3]。正直な本音の吐露である。

ビルマ国は子供というより寧ろ嬰児なり。一から十迄我方の指導の下にあり。それにもかかわらず本条約が形式上対等となり居るはビルマ国を抱き込む手段なり

「日本のおかげ」論も成立しない

以上のように、日本が欧米植民地主義からアジアを解放するために戦ったという主張は到底成立し得ない。では、日本が強大な欧米列強に戦いを挑んだおかげで戦後アジア諸国は独立できたのだ、という主張の方はどうだろうか。

改めて『戦争論』からこの線に沿った主張をしている部分を抜き出してみると、次のようになる[4]。

それでも 有色人種を下等なサルとしか思ってなくて 東アジアを植民地にしていた差別主義欧米列強の白人どもに…

目にもの見せてくれた日本軍には拍手なのである!

開戦当初 日本軍は それはそれは ものすごく 強かったらしい

(略)

当時のアジア人は 白人に勝てるなどとは夢にも思ってなかった

すっかり屈服して奴隷状態だった

(略)

欧米白人帝国主義者どもとは いっぺんアジアのどこかの国が戦ってみせなきゃいけなかった

日本がそれをやったのである

(略)

昭和20年8月15日 終戦

しかし その後アジアは 黄色人種が白人に抵抗していいんだと気づき 次々 独立戦争を起こし

インドネシアでは 日本兵がこれを助け

アジアから欧米侵略軍を追っ払ってしまった

アジアの地図は 日本が起こした大東亜戦争の前と後では すっかり変わってしまったのである

アジアの人々は、白人の軍隊を圧倒した日本軍の強さを見て、アジア人だって白人と戦えるのだという勇気をもらい、次々と独立戦争を起こした…のだそうだ。

だが、この理屈は明らかにおかしい。日本軍が勝っていたのは奇襲と電撃戦で何の準備もしていなかった欧米諸国の軍を出し抜いた最初のうちだけで、開戦後半年も経つと形勢は逆転、あとはひたすら押しまくられ、餓死者の山を築きながら敗退を重ねて、最後はみじめに無条件降伏したではないか。もし本当にアジアの人々が「強い日本軍」を見て勇気をもらったのなら、そんなものは「惨敗する日本軍」を目の当たりにして雲散霧消、「ああ、やはりアジア人ではどうやっても白人には勝てないのだ」と意気消沈して独立戦争どころではなかったはずだ。

実際にはどうだったのか? そもそも勇気をもらうこともなかったし、だから意気消沈もなかったのだ。

具体的に見てみよう。

繰り返しになるが、まずフィリピンの状況。アメリカはフィリピンに1944年には独立を与えると約束しており、1935年時点で既に自治政府が成立していた。ここに日本軍が攻め込んだわけだが、その結果もたらされたのは凄まじい支配と収奪だった。だからフィリピン人民はユサッフェ・ゲリラやフクバラハップ団といった抗日組織を作って(小林によれば憎むべき白人帝国主義者だったはずの)アメリカ軍に協力し、大戦末期にマッカーサーが戻って来るとこれを歓呼の声で迎えた。そして戦後、フィリピンは約束通り1946年に独立した。[5]

マラヤ(マレーシア・シンガポール)でも、日本軍に抵抗する激しいゲリラ活動が行われた[6]。

 マラヤにおいても状況はフィリピンに酷似していた。抵抗運動の核はマレー系華人である。彼らはシンガポール防衛戦にあたって義勇軍を組織し、もっとも勇敢に戦った。そのことが、シンガポール入城後の日本軍によるマレー系華人大量虐殺事件のひきがねになったといわれる。この虐殺事件は、結果としてマレー系華人たちの抵抗運動をいっそうつよめ、彼らの多くはジャングルに潜伏して破壊活動をつづけていった。

日本軍占領下のシンガポールの状況についてはこちらの記事を参照のこと。シンガポール以外のマレーシア各地でも華僑虐殺が行われ、約10か所にその慰霊碑が建てられている[7]。

華僑虐殺慰霊碑

ビルマ(ミャンマー)では、1930年に反英独立を目指す秘密組織タキン党が結成され、農民による武装蜂起も発生している。これだけでも、「すっかり屈服して奴隷状態」への反証と言えるだろう。このタキン党のリーダーが建国の父アウンサンで、日本は彼を懐柔して利用しようとしたが、日本による収奪はイギリス以上にひどかったため、アウンサンはひそかに抗日組織(反ファシスト人民自由連盟)を作り、1945年3月27日にアウンサン指揮下のビルマ国民軍がいっせいに蜂起、日本軍と傀儡政府を追い出した。この日がビルマ国軍の建軍記念日である。[8] その後、ビルマは戻ってきたイギリスとも戦い、1948年に独立を勝ち取った。

ベトナムでは、1910年代から反仏独立運動が始まり、1930年には複数の武装蜂起が発生している。これも「すっかり屈服して奴隷状態」への反証である。そして、日本がベトナムを占領すると、ホー・チ・ミンはただちにベトナム独立同盟会(ベトミン)を組織して対日武装闘争の準備を始めている。日本はフランスの植民地政府をそのまま利用してベトナムを支配し、膨大な食糧を収奪した。その結果1944年から45年にかけて空前の大飢饉が発生し、100万から200万の餓死者が出た。1945年9月2日にホー・チ・ミンが発したベトナム民主共和国独立宣言は、日本の略奪により200万人のベトナム人民が餓死したと述べている。[9]

歴史修正主義者たちが好んで取り上げたがるインドネシアでは、宗主国オランダによる独立運動への弾圧が激しかったため、日本軍がやってくると独立運動の指導者たちはこれに協力した。しかしそれは日本軍を信用したからではなく、民族独立運動に役立つ場合に限って日本軍に協力する、というものだった。運動のリーダーだったスカルノ、ハッタ、シャフリルは役割を分担し、スカルノとハッタが表面に立って日本軍に協力し、シャフリルは非協力者として地下活動に入った。そして日本が敗北すると、今度はシャフリルが首相となってオランダとの交渉にあたった。インドネシアは1949年、アメリカを中心とする国連の介入によりオランダからの独立を果たす。[10]

どの国も、強い日本軍から勇気をもらって白人への抵抗を始めたわけではない。「日本のおかげ」論も、やはり成立し得ないのである。

備考 本記事で当時の政府文書を引用させていただいたサイト「1945年への道」は、史料の充実度、解説ともに非常に優れている。引用部分以外もぜひ参照していただきたい。



[1] 小林よしのり 『新ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論』 幻冬舎 1998年 P.35-36
[2] 江口圭一 『日本の歴史(14) 二つの大戦』 小学館 1993年 P.411-412
[3] 上杉聰 『「アジア解放戦争論」の系譜』 戦争責任研究 No.26(1999年冬季)P.28
[4] 小林 同 P.30-32
[5] 江口圭一 『日本の侵略と日本人の戦争観』 岩波ブックレット 1995年 P.35
[6] 小林英夫 『日本軍政下のアジア』 岩波新書 1993年 P.168
[7] 江口 『日本の歴史(14) 二つの大戦』 P.409
[8] 江口 『日本の侵略と日本人の戦争観』 P.35-37
[9] 同 P.44
[10] 上杉 同 P.30-32

 

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