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幸せそうだったミャンマーの野良犬たち

■ どこにでもいる野良犬たち

ミャンマーでは、いたるところに野良犬がいる。路上はもちろん、駐車場や建物の敷地内にもごろごろしている。

逆に、はっきり飼犬とわかる犬を見かけることはほとんどない。今回の二週間の滞在でも、飼い主に連れられて散歩している犬を見たのは朝のカンドージ公園での一例だけだった。欧米のようなスタイルで犬を飼っているのはまだ一部の富裕層だけなのだろう。

狂犬病が怖いのでうっかり近づいてはいけないのだが、見たところヤンゴンの野良犬たちはおとなしく、空腹そうな様子もなく、のんびりとしている。

たとえば某大学で見かけたこの子は、いつ行ってもいる常連で、だいたい通路に置いてあるベンチの下あたりで昼寝していた。座っている学生のほうも、犬のことなどまったく気にしていない。

こちらは昨年撮影した写真だが、通路どころか学生食堂にまで平気で野良犬・野良猫が出入りしている。(上の写真の子とよく似ているが、こちらはメスで別の犬である。)

食堂の中で仔猫におっぱいをあげている母猫までいた。

仏教ミャンマーでは、動物に餌を与えるのは、寺に寄進をしたり托鉢の僧侶にお布施をするのと同様、功徳を積む行為とされているため、多くの人々が野良犬・野良猫にゴハンをあげているらしい。いわば、ミャンマーの野良犬や野良猫たちは、日本で言う「地域猫」のような扱いをされているわけだ。

■ 日本の犬猫は幸せか?

ひるがえって、日本ではどうだろうか。


家族の一員として愛されている犬や猫たちは、確かに幸せかもしれない。

しかし、いったん捨てられたり迷子になったりした犬は、たちまち捕獲・収容され、短期間のうちに引き取り手が現れなければ殺されてしまう。ミャンマーの野良犬たちのように飼い主がいなくても穏やかに生きていくことなど許されない。こちらのブログで日々記録されている多摩川河川敷の猫たちのように、野良猫の生活もまた過酷である。

文化的背景が違うので、ミャンマーのように野良犬を「地域犬」化するのは無理だろうが、少なくとも「捨てない(最後まで責任を持って飼う)」「生体展示販売の犬猫を買わない(パピーミル引き取り屋商売に加担しない)」ことによって、不幸な犬猫を減らしていくことはできるはずだ。今の日本の現状は、とても先進国とは言い難い。

ちなみに、ミャンマーでも野良犬の増加や狂犬病に悩む政府によって、殺処分は行われている。しかし、毒入りの餌を撒くという乱暴な方法で、しかも毒餌を撒くと付近の住民が野良犬をかくまったりするので、あまり効果が出ていないらしい。一方で、野良犬に予防接種や避妊処置をする活動も始まっているという。(←「働楽グループ」さんのサイトより。)

最後に、こちらは不思議な夢判断の絵があったチャウッタヂー・パゴダで見かけた猫。お前、そんなところに座っていていいのか?という気もするが、もちろん猫だからいいのである。

 

日本の犬猫は幸せか 動物保護施設アークの25年 (集英社新書)

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