高橋源一郎氏による現代語訳
作家・高橋源一郎氏による教育勅語の現代語訳が話題となっている。Twitterで公開されている高橋氏の訳を原文との対訳の形で示すと、次のようになる。
原文 |
高橋源一郎氏訳 |
朕惟おもフニ 我カ皇祖皇宗 國ヲ肇はじムルコト宏遠ニ 徳ヲ樹たツルコト深厚ナリ |
はい、天皇です。よろしく。ぼくがふだん考えていることをいまから言うのでしっかり聞いてください。 もともとこの国は、ぼくたち天皇家の祖先が作ったものなんです。知ってました? とにかく、ぼくたちの祖先は代々、みんな実に立派で素晴らしい徳の持ち主ばかりでしたね。 きみたち国民は、いま、そのパーフェクトに素晴らしいぼくたち天皇家の臣下であるわけです。そこのところを忘れてはいけませんよ。 |
我ガ臣民 克よク忠ニ克よク孝ニ 億兆心ヲ一ひとつニシテ世世厥そノ美ヲ濟なセルハ 此レ我ガ國體ノ精華ニシテ 教育ノ淵源亦また實ニ此ここニ存ス |
その上で言いますけど、きみたち国民は、長い間、臣下としては主君に忠誠を尽くし、子どもとしては親に孝行をしてきたわけです。 その点に関しては、一人の例外もなくね。その歴史こそ、この国の根本であり、素晴らしいところなんですよ。 そういうわけですから、教育の原理もそこに置かなきゃなりません。 |
爾なんじ臣民 父母ニ孝ニ 兄弟ニ友ニ 夫婦相和シ 朋友相信シ 恭儉きょうけん己こレヲ持シ 博愛衆ニ及ボシ 學ヲ修メ業ヲ習ヒ 以テ智能ヲ啓發シ徳器ヲ成就シ 進デ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ 常ニ國憲ヲ重ジ國法ニ遵したがヒ 一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ |
きみたち天皇家の臣下である国民は、それを前提にした上で、父母を敬い、兄弟は仲良くし、夫婦は喧嘩しないこと。 そして、友だちは信じ合い、何をするにも慎み深く、博愛精神を持ち、勉強し、仕事のやり方を習い、そのことによって智能をさらに上の段階に押し上げ、徳と才能をさらに立派なものにし、なにより、公共の利益と社会の為になることを第一に考えるような人間にならなくちゃなりません。 もちろんのことだけれど、ぼくが制定した憲法を大切にして、法律をやぶるようなことは絶対しちゃいけません。よろしいですか。 さて、その上で、いったん何かが起こったら、いや、はっきりいうと、戦争が起こったりしたら、勇気を持ち、公のために奉仕してください。というか、永遠に続くぼくたち天皇家を護るために戦争に行ってください。
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是ノ如キハ獨リ朕ガ忠良ノ臣民タルノミナラズ 又以テ爾なんじ祖先ノ遺風ヲ顯彰スルニ足ラン |
それが正義であり「人としての正しい道」なんです。そのことは、きみたちが、ただ単にぼくの忠実な臣下であることを証明するだけでなく、きみたちの祖先が同じように忠誠を誓っていたことを讃えることにもなるんです。 |
斯ノ道ハ實ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ 子孫臣民ノ倶ともニ遵守スヘキ所 之ヲ古今ニ通シテ謬あやまラス 之ヲ中外ニ施シテ悖もとラス 朕爾なんじ臣民ト倶ともニ拳々服膺シテ 咸みな其徳ヲ一ニセンコトヲ庶幾こいねがフ 明治二十三年十月三十日 御名御璽 |
いままで述べたことはどれも、ぼくたち天皇家の偉大な祖先が残してくれた素晴らしい教訓であり、その子孫であるぼくも臣下であるきみたち国民も、共に守っていかなければならないことであり、あらゆる時代を通じ、世界中どこに行っても通用する、絶対に間違いの無い「真理」なんです。 そういうわけで、ぼくも、きみたち天皇家の臣下である国民も、そのことを決して忘れず、みんな心を一つにして、そのことを実践していこうじゃありませんか。以上! 明治二十三年十月三十日 天皇 |
この高橋氏訳については、くだけた表現で分かりやすいと高く評価する人もいる一方で、これでは勅語独特の、異論を許さない高圧的雰囲気が出ていないという批判もある。
教育勅語(というか明治期に創られた天皇制の思想)には独特の傲慢さがあってそれが現在の視点からみれば色々ヤヴァいのに、頭のおかしなおじさんが喋っているようになると、それが全然伝わって来ないどころか、コミカルに見えてしまうというか。
— 帰社倶楽部() (@kishaburaku) 2017年3月16日
@kishaburaku 熊沢天皇による勅語みたいなw
— こややし (@kova41) 2017年3月16日
私も同感だが、熊沢天皇というより、皇室芸人竹田恒泰あたりが勝手なことをべらべらしゃべりまくっている感じ、というほうが近そうだ。
的はずれな右からの批判
右からの批判は、高橋氏が「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」を「いったん何かが起こったら、いや、はっきりいうと、戦争が起こったりしたら、勇気を持ち、公のために奉仕してください。というか、永遠に続くぼくたち天皇家を護るために戦争に行ってください」と訳した部分に集中している。原文には「戦争」だなんて書いていない、意図的な誤訳だ[1]、というわけだ。
だが、この点については、高橋氏自身による以下の反論がまったく正しい。
「原文に『戦争』の語はない」との指摘に対し、高橋さんは「『緩急』が震災などを意味するのなら、まず現地で被災者を救うことが求められる。しかし、天皇を護れというのだから、戦争以外にはあり得ない」と語る。
繰り返すが、原文は「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」である。当然ながらこれは日本書紀神代紀の以下の一節、いわゆる「天壌無窮の神勅」[2]を踏まえたものだ。
葦原の千五百秋ちいほあきの瑞穂みつほの国は、是これ、吾が子孫うみのこの王きみたるべき地くになり。爾いまし皇孫すめみま、就いでまして治しらせ。行矣さきくませ。宝祚あまのひつぎの隆さかえまさむこと、当まさに天壌あめつちと窮きはまり無なけむ
古事記・日本書紀を読めばわかるとおり、豊かな「瑞穂の国」は、もともと天照たちの支配領域下にはなかった。この「神勅」は、軍事力で奪い取ったばかりの土地に、その新たな支配者として孫のニニギを送り込む段階で発されている。この「神勅」は、良い土地を手に入れたことを喜び、永遠に支配せよと命じる侵略戦争の勧めなのだ。
「天壌無窮」と言っている時点で「緩急」は戦争以外あり得ない。これもまた、右派ほど日本の伝統も歴史も知らないというサンプルの一つだろう。
Yet another 教育勅語現代語訳
教育勅語には、「緩急」以外にもどう訳すべきか困惑する部分が多いのだが、これには絶好のガイドブックがある。
@hayakawa2600 デジタル化された資料へのリンクはこちらであります。https://t.co/7uOz2vvB1t
— 早川タダノリ (@hayakawa2600) 2017年3月15日
この「児童読本」を参考にしつつ、原文の文脈やニュアンスを損なわないように現代語訳を試みたところ、以下のようになった。この勅語本来の傲慢さと思い上がりがよく分かると思うのだが、どうだろうか。
原文 |
現代語訳 |
朕惟おもフニ |
天皇たる我はこう考える。お前たち臣民は心して聞くように。 |
我カ皇祖皇宗 國ヲ肇はじムルコト宏遠ニ 徳ヲ樹たツルコト深厚ナリ |
この国は、はるかな昔にわが天皇家の始祖が作り、歴代の天皇は深く厚い徳をもってこれを統治してきたのである。 |
我ガ臣民 克よク忠ニ克よク孝ニ 億兆心ヲ一ひとつニシテ世世厥そノ美ヲ濟なセルハ 此レ我ガ國體ノ精華ニシテ 教育ノ淵源亦また實ニ此ここニ存ス |
お前たち臣民は、代々みな心を一つにして、主君たる天皇には忠義を、親には孝行を尽くしてきた。 この美わしいあり方こそが、わが国を他に比類のない国にしてきた価値の真髄であり、ゆえに教育の根本もまたここにこそある。 |
爾なんじ臣民 父母ニ孝ニ 兄弟ニ友ニ 夫婦相和シ 朋友相信シ 恭儉きょうけん己こレヲ持シ 博愛衆ニ及ボシ 學ヲ修メ業ヲ習ヒ 以テ智能ヲ啓發シ徳器ヲ成就シ 進デ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ 常ニ國憲ヲ重ジ國法ニ遵したがヒ 一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ |
だからお前たち臣民は、 親には孝行し、兄弟は仲良くし、夫婦は和やかに、友は互いに信じ合いなさい。 また、常に慎み深くし、周囲の人を広く愛しなさい。 勉学に励み、仕事を習って、知識能力を向上させ、人徳を磨きなさい。 進んで世の中のためになることをし、社会の進歩に貢献しなさい。 もちろん、そこでは常に我の定めた帝国憲法を重んじ、国の法律に従わなければならない。 そして、いったん戦争など国家の重大事が起きたときは、勇気をふるって大義に身を捧げ、永遠に続くべき皇室の繁栄を手助けしなさい。 |
是ノ如キハ獨リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラス 又以テ爾なんじ祖先ノ遺風ヲ顯彰スルニ足ラン |
お前たちがこの教えを守ることは、お前たちが我の忠実順良な臣下であることを示すだけでなく、お前たちの祖先の同様な行いを讃えることにもなるのだ。 |
斯ノ道ハ實ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ 子孫臣民ノ倶ともニ遵守スヘキ所 之ヲ古今ニ通シテ謬あやまラス 之ヲ中外ニ施シテ悖もとラス 朕爾なんじ臣民ト倶ともニ拳々服膺シテ 咸みな其徳ヲ一ニセンコトヲ庶幾こいねがフ 明治二十三年十月三十日 御名御璽 |
ここまで説いてきたことはどれも、わが天皇家の始祖と歴代天皇が遺してきた教訓であり、その子孫である我や皇族も、臣民も、ともに守らなければならない教えである。 この道は永久不変の真理であり、国の内外いずれに施しても間違いのない正しい道なのである。 だから天皇たる我も、お前たち臣民とともにこの教えをよく守り、皆でその徳を同じくしたいと願っているのだ。 明治二十三年十月三十日 睦仁 |
[1] 『教育勅語くだけた口調で 「内容知ろう」 高橋源一郎さん現代語訳』 東京新聞 2017.3.27
[2] 坂本太郎・家永三郎・井上光貞・大野晋 『日本書紀(一)』 岩波文庫 1994年 P.132
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