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南京大虐殺紀念館に行ってきたよ

念願だった紀念館をようやく訪問

3月19日、前から行きたいと思いつつなかなか機会のなかった南京大虐殺紀念館(侵华日军南京大屠杀遇难同胞纪念馆)を、ようやく訪れることができた。南京大学を卒業し、今は上海で働いている友人が南京の街を案内してくれて、その一環で行くことができたのだ。

南京大虐殺紀念館は、南京市街中心部から西に数キロ離れた、地下鉄云锦路駅近くにある。

南京大虐殺

南京大虐殺

被害者たちの彫像

駅からすぐのところに入口があり、入場は無料。展示館までの道で最初に来館者を迎えるのは、様々な被害者たちの姿を表現した彫像群だ。

南京大虐殺

死んだ子を手に嘆く母の像。

南京大虐殺

南京大虐殺

レイプされ、銃剣で刺された妻を抱えて逃げようとする夫の像。

南京大虐殺

死んだ母の胸にとりすがり乳房を吸う赤子の像。

南京大虐殺

殺された孫を抱えて、なすすべを知らず彷徨う老人の像。

南京大虐殺

怯えと怒り。今まさに銃殺されようとする人々の像。

南京大虐殺

館内展示

残念ながら館内は撮影禁止なのだが、館内展示では主に写真パネルを使い、上海戦、南京渡洋爆撃から首都防衛戦、大虐殺、そして戦後の南京軍事裁判に至る全過程を丁寧に説明している。パネルのほか、各種の戦争遺物(斬首に使われた日本刀など)の展示や、蛮行の行われた室内の状況を再現した展示などもあった。また、南京安全区国際委員会の人々をはじめ、危険を承知で大虐殺下の南京にとどまり、少しでも多くの人々を助けようと努力した外国人たちの活動についても詳細に解説されている。なお、展示の解説文はすべて中国語、英語、日本語の三ヶ国語併記となっている。

虐殺関連写真のうち、最も大きなサイズで展示されていたものがこちら。これは輜重兵として南京戦線に従軍した村瀬守保氏が揚子江岸で撮影したものであり、ニセ写真だの何だのとケチのつけられないものである。後ろ手に縛られている死体が複数確認でき、戦死した中国兵の死体などではないこともわかる[1]。(下はパネルを写したものではなく、村瀬氏の写真集から[2]。)

南京大虐殺

揚子江岸には、おびただしい死体が埋められていました。虐殺した後、河岸へ運んだのでしょうか、それとも河岸へ連行してから虐殺したのでしょうか。

本多勝一氏のカメラと取材関係資料

館内は撮影禁止とはいえ、まわりの中国人たちを見ると、みんなスマホで盛んに写真を撮っている。そこで私も後半少しだけ撮らせてもらった。

こちらは1972年に本多勝一氏が『中国の旅』の取材を行った際に使ったカメラとペン。取材ノートやネガなどとともに2006年に本多氏から寄贈されたもの。

南京大虐殺

江東門万人坑

大虐殺は、市内の至るところにその爪痕を残している。そして、この紀念館の敷地内にもそれはある。

まず1984年、館の建設中に多数の遺骨が発見された。このとき収集された遺骨が、展示館内の「犠牲者同胞遺骨陳列室」に展示されている。さらに、1998年から1999年にかけて再び敷地内から遺骨が出土し、発掘調査の結果、何層にも重なり合った200体以上の遺骨が見つかった。こちらの遺骨は、発掘現場をそのまま保存した「万人坑遺跡保存館」として公開されている。この紀念館自体、江東門付近に放置されていた一万体余りの遺体を集めて埋葬した「江東門万人坑」の上に建っているのだ。[3]

南京大虐殺

「30万人」は象徴的数字

この紀念館でなければ見られない展示の一つが、虐殺の犠牲者一人ひとりの名前を刻んだ壁だ。(この他、館内には各犠牲者の名前、遺体の発見場所や死因等を記録した犠牲者名簿を並べた巨大な棚もある。)

南京大虐殺

とはいえ、ここに刻まれている名前は現在でもわずか一万程度で、被害者全体から見ればほんの一部でしかない。現実問題として、自宅で死体が見つかったようなケースを除けば、遺体の身元を確定するのは困難だったろう。集団で虐殺され万人坑に埋められた遺体の身元など、どうにも確認しようがないはずだし、揚子江に流されてしまったケースなどはなおさらだ。

ところで、この紀念館では、あちこちに犠牲者数を示す30万という数字が刻まれている。これに対して日本の右派は、この数字は過大だ、中国は被害を水増しして世界の同情を買っていると、盛んに非難を浴びせてきた。

否定派の言う1万だの4万だのという数字は論外としても、日本の歴史学者の研究によれば、被虐殺者の総数は軍民合わせて15万から20万人程度と推定されており[4]、30万は確かに多すぎるようにも見える。

南京大虐殺

しかし、だからといって、右派の言うような非難は正当とは言えない。それは次の例と比べてみれば明らかだろう。

広島原爆の犠牲者数は、以前は約20万人とされており[5]、私も学校でそう習った記憶がある。だが、いま広島市のサイトを見に行くと、犠牲者数は約14万人と、ずいぶん目減りしている。では、以前の数字は水増しした過大な数字だったのか?

また、Wikipedia英語版によると、広島での死者数は9万人から14万6千人で、これは軍人2万人を含むとされている。投降した捕虜の処刑すら合法だと強弁する右派の論理に従うなら、軍人が爆撃で死ぬのは単なる戦死に過ぎず、犠牲者とは言えないだろう。すると広島原爆による殺戮の犠牲者は7万人程度だったかも知れないことになるわけだが、この数字を盾に、日本は犠牲者数を水増しして被害者面しているとアメリカ側が非難するのは正当だろうか?

もちろんそんな非難は正当なものではない。そもそも、南京にせよ広島長崎にせよ、人道に反する大殺戮を行った加害者側が、被害者側の人数の数え方にケチをつけること自体がどうかしている。犠牲者数の議論をするのなら、まずは加害責任をきっちりと認めて謝罪するのが先だろう。

和平(平和)

南京大虐殺紀念館の見学コースの最後は和平公園区という広場になっており、そこには「平和の像」が立っている。これは、戦争とは必然的に残虐行為を生み出す大災厄であり、戦争を遠ざけるためには歴史の教訓を忘れてはならないという、この紀念館の基本理念を具象化したものだ。

もし南京を訪れる機会があれば、この紀念館には必ず行ってみることをお勧めする。

南京大虐殺

南京大虐殺

[1] タラリ 『南京事件の真実 写真判定の杜撰-村瀬守保撮影写真編』 2004.1.14
[2] 村瀬守保 『私の従軍中国戦線』 日本機関紙出版センター 1987年 P.48
[3] 青木茂・舟橋精一 『万人坑を知る旅2017 南京江東門万人坑
[4] 笠原十九司 『南京事件』 岩波新書 1997年 P.228
[5] 江口圭一 『日本の歴史(14) 二つの大戦』 小学館 1993年 P.441

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