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朝鮮人虐殺の加害性を否認する小池都知事

小池百合子東京都知事が、これまで毎年出してきた関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式への追悼文送付を断った。[1]

 東京都の小池百合子知事が、都立横網町(よこあみちょう)公園(墨田区)で九月一日に営まれる関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式への追悼文送付を断ったことが分かった。例年、市民団体で構成する主催者の実行委員会が要請し、歴代知事は応じてきた。小池氏も昨年は送付していたが方針転換した。団体側は「震災時に朝鮮人が虐殺された史実の否定にもつながりかねない判断」と、近く抗議する。 (辻渕智之、榊原智康)

あの石原慎太郎でさえ出してきた追悼文をなぜ出さないのか。8月25日の記者会見で、小池は記者からの質問に次のように答えている。[2]

――朝鮮人犠牲者の追悼式典に関して追加で。知事から「犠牲者全体への追悼の意を込めて」説明があったが、主催者側からは「一般の犠牲者、震災の犠牲になられた方と、不幸にして流言などによって虐殺をされた、人の手で殺された犠牲者の方に追悼というのは意味が違う」というような意見が出ている。

それぞれ主催をされる方々のお申し入れというのは、なんと言うんでしょうか、切り口は異なっているかと思います。
いずれにしても、不幸な死を遂げられた方に対しての慰霊をする気持ちには変わりません。
3月、それから9月、都知事として、また都として全ての方々への哀悼の意を表するということは大変意味の深いことだというふうに思っております。

――民族差別が背景にあるような形で起きた不幸な悲劇について、特別にその追悼の辞を述べる、送るということについて、何かしら特別な意味というのは見出されないか。

民族差別という観点というよりは、私はそういう災害で亡くなられた方々、災害の被害、さまざまな被害によって亡くなられた方々に対しての慰霊をしていくべきだというふうに思っております。

(略)

――昨年の追悼文の一節を読むと「この極度の混乱の中、多くの在日朝鮮人の方々がいわれのない被害を受け、犠牲になられたという事件はわが国の歴史の中でもまれに見る誠に痛ましい出来事でした」とある。ご自身として内容についてどのようにお考えか。内容に違和感があるのか。

基本的に関東大震災という大変大きな災害があり、そしてそれに付随した形で、関連した形でお亡くなりになった方々というのは、なんて言うんでしょうか、国籍を問わず多かったというふうに思っております。
(略)
これまで毎年出していたということについては、そういう見方もあるだろうというふうに思いますけれども、私は、今回はその全ての方々への法要を行っていきたいという意味から、今回、特別な形での追悼文を提出するということは控えさせていただいたということでございます。多くの方々が被害に遭いました。以上です。

小池が言っているのは、関東大震災時の朝鮮人虐殺は、なんら特別に追悼を要するような出来事ではなく震災関連死の一部に過ぎない、だから震災による死者全体への追悼を行えばそれで十分だ、ということである。

だが、「震災関連死」とは、地震が原因ではあるが圧死や焼死など直接的な被害ではなく、避難生活による病状悪化などの間接的な被害で死亡する場合を指すものだ。軍や警察、自警団による虐殺は、到底このような、震災に「付随した形で、関連した形でお亡くなりになった」などとくくれるものではない。

今回、追悼文の送付をあえて拒否した小池の意図は、朝鮮人虐殺の加害性を否認し、それが震災に伴って不可抗力的に発生した様々な現象の一つに過ぎないかのように見せかけることだ。都議選にも大勝し、もはやレイシスト・歴史修正主義者としての正体を隠す必要がなくなったのだろう。放置しておけば必ずエスカレートする。

決して許してはならない。

[1] 『関東大震災の朝鮮人虐殺 小池都知事が追悼文断る』 東京新聞 2017/8/24
[2] 吉川慧 小池知事、関東大震災の朝鮮人犠牲者めぐり持論⇒「虐殺の事実から目を背けるもの」と批判の声』 HUFFPOST 2017/8/26

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