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南京の日本軍は中国軍負傷兵を助けたか?

南京で日本軍が中国軍負傷兵を看護していたという嘘

南京での日本軍プロパガンダ写真の嘘、2枚目はこちら。

これはアサヒグラフ臨時増刊支那事変画報第11輯(1938年1月26日)に掲載された1枚で、こんなキャプションがついている。

暴虐無頼な抗日支那軍乍ながら傷けば、皇軍が敵をも隔てぬ間仁の慈翼に抱かれ、ここ南京外交部の野戦病院に我が衛生隊の手厚い看護を受けつつ明け暮れ悔恨と感謝の涙に咽んでゐる支那負傷兵(12月20日 林特派員撮影)

手当を拒否し、犬のように怒鳴っていた中島師団長

では、実際はどうだったか。

南京外交部の野戦病院といえば、上海派遣軍隷下で南京攻略戦に参加した第16師団の中島今朝吾師団長その人の日記に出てくる。南京が陥落した当日、12月13日の日記である[1]。

一、中央大学、外交部及陸軍部ノ建築内ニハ支那軍ノ病院様ノモノアリ支那人ハ軍医モ看病人モ全部逃ゲタラシキモ一部ノ外人ガ居りテ辛フジテ面倒ヲ見アリ
 出入禁止シアル為物資二欠乏シアルガ如ク何レ兵ハ自然二死シテ往クナラン
 此建築ヲ利用セルハ恐クハ外人(数人アリ)ト支那中央部要人トノ談合ノ結果ナルベシ
 依リテ師団ハ 使用ノ目的アレバ何レヘナリト立除[退]クコトラ要求セリ
 又日本軍ガ手当スルコトハ自軍ノ傷者多キ為手ガマワリ兼ヌルトシテ断リタリ

処刑や虐待こそしなかったが、食糧も医薬品も与えず、手当もせず、どうせ死んでいくから放っておけばよい、と言っているわけだ。どこに「我が衛生隊の手厚い看護」などがあるのか?

この日、外交部の建物に現れた日本軍兵士や将校の振る舞いを、南京国際赤十字委員会の米国人宣教師フォースターが記録している。[2]

 つぎの日(13日)の午前、私は救急車にいっぱい負傷兵を乗せて、外交部の建物に運びこんだ。ちょうど負傷兵をたすけて階段をのぼらせていたとき(担架で運ぶ必要があった者もいた)、日本軍の一部隊がやってきた。一部の日本兵は野獣と同じだった。私はひとりの若い兵士が激痛をこらえながら歩くのを助けていた。すると日本兵は私の手からその負傷兵を引き離すと、傷ついた彼の腕を乱暴にねじあげて後ろ手に縛り、同じく縛りあげた別の負傷兵の後ろ手と合わせてくくった。

 さいわい、その時日本人の軍医将校がやってくるのを見つけ、縛られた兵士たちの血の惨んだ服を指さした。彼はドイツ語が話せたので、わたしは貧弱なドイツ語で、ここは、負傷兵のための病院であると説明した。すると軍医は、日本兵に命じて負傷兵を釈放させた。

(略)

 安全区委員会の本部にもどると、そこに一群の負傷兵がいた。そこで、彼らを二つにわけて外交部の建物を使った旧野戦病院に運ぶことにした。

(中略)

(第一回目の運送中に会った高級将校は、二回目の搬入も許可してくれた)二回目も運びおわって外交部から出ようとしたところで、門にいたある将校に行き合った。彼は我を忘れて激怒していた。私はそのような人間をいままで見たことがない。彼は犬のようにどなり、私を見たその目つきは、もし私が短気ならば怒りだしたにちがいない。彼はコラに向かって、このアメリカ人(私のこと)を二度とこのあたりに来させないようにしろ、アメリカ人はじつにけしからん、と言った。そこでコラが「私たちは、さらに運びこむことを許可されている」というと、彼は「わしが南京の司令官だ」と叫んだ。さらに大変な目にあいながら私たちはなんとか救急車にもどることができた(「フォースター文書」)。

※ 白系ロシア人コラ・ポドシボロフ。日本語が話せた。

この、犬のように怒鳴っていた将校が中島師団長である。

ちなみに、この日の中島今朝吾日記には、剣道の達人に捕虜7人の試し斬りをさせ、自分の刀も首二つを見事に斬った[3]とか、「大体捕虜ハセヌ方針ナレバ片端ヨリ之ヲ片付クル」ことにし、この日だけで一万数千人の捕虜を「処理」した上、さらに七八千人を片付ける予定だ[4]といった異常な内容が平然と書かれている。

下は南京攻略戦当時の中島師団長を撮影した貴重な写真[5]。左脚に立て掛けているのが、捕虜二名の首を斬った軍刀だろう。どうも様子が普通でなく、異様にテンションが上がっているように見える。

ところで、外交部の建物に収容された数百名の中国軍負傷兵たちは、幸いにも生き延びることができた。もちろん慈悲深い日本軍のおかげではない。南京難民区が食糧その他を提供し、中国人の軍医や看護婦が手当をしていたからである。[6]

[1] 『南京戦史資料集』 偕行社 1989年 P.325
[2] 笠原十九司 『南京難民区の百日』 岩波書店 1995年 P.148-150
[3] 『南京戦史資料集』 P.324
[4] 同 P.326
[5] 『初めて世に出た南京大虐殺の実相』 国際文化画報 1952年9月号
[6] 笠原 P.293

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