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軍艦スケッチ事件から見る『この世界の片隅に』のリアリティへの疑問

遅ればせながら(私はいつも遅ればせなのだが)右から左までどこを向いても絶賛の嵐のアニメ映画『この世界の片隅に』を見た。

全体としての感想はだいたい以下に引用したツイートと同じ。一言で言えば「ロクなもんじゃない」ということ。


ところで、この映画を絶賛する人たちが特に強調するのが、周到な考証に裏付けられているというそのリアリティだ。

しかし、町並みや当時の日常生活のデティールはともかく、たとえば次のエピソードなど、当時の出来事としてリアルだと言えるのだろうか?

すずが港の見える丘で軍艦をスケッチしていて、憲兵に捕まる話だ。

このとき憲兵は捕まえたすずを嫁入り先の北條家に連れてきて家族を怒鳴りつけている。

画像出典:https://twitter.com/guillotine_the/status/831748289712226304

だが、ブログ「工場裏の秘密基地」さんでも指摘されているとおり、この話は明らかにおかしい。憲兵がスパイ容疑者を捕えた場合、憲兵隊詰め所に連行するはずで、容疑者の自宅になど連れて行かない。

こうの史代の原作漫画では長谷川町子の『サザエさんうちあけ話』が参考文献としてあげられており、これはこの中の次のエピソード[1]を脚色したものらしい。しかし、現実の長谷川氏は自宅ではなく憲兵隊に連行され、ここで逮捕勾留されているし、釈放されるまでには相当な苦労をさせられている。

「容疑」の内容から考えても、長谷川氏が単に海をスケッチしていただけなのに対して、すずは呉軍港で「あれが利根」「こっちが日向」と、もろに戦艦や巡洋艦を描いており[2]、捕まったら完全にアウトだろう。

ところがこのアニメ(原作漫画も同じ)では、憲兵は玄関先で怒鳴り散らしただけで帰ってしまい、しかもそのあと、神妙に説教を聞いていたはずの家族たちは憲兵をバカにして爆笑しだすのだ。

画像出典:https://twitter.com/guillotine_the/status/838541222620733441

これでは憲兵など、単に「威張り散らしているだけのバカなおっさん」にしか見えない。しかし、治安維持法や軍機保護法を駆使して特高や憲兵が猛威を振るっていたこの時代の状況は、こんな甘いものではなかった。それは、次の事例などを見れば明らかだろう[3]。

 米・コロラド州在住の秋間美江子さん(略)の兄は、戦中に北海道帝国大の学生だった宮沢弘幸さん。太平洋戦争が開戦した1941年12月、軍機保護法違反容疑で逮捕された。
 米国人の英語教師レーン夫妻に「軍の秘密を漏らした」とされた。宮沢さんは、英語をはじめ数力国語を習得し、外国人の知人が多かった。そのため特別高等警察に目を付けられていた。宮沢さんは懲役15年の実刑判決が確定。拷問と過酷な受刑生活で結核になり、敗戦後、釈放されたが、27歳の若さで亡くなった。
(略)
 宮沢さんがこれほどの重罪とされた「秘密」とは、何だったのか。裁判は秘密保持のため非公開で、判決文は破棄されるか、伏字だらけ。詳しい内容が判明したのは90年代になってからだ。小樽商科大の荻野富士夫教授が、戦中の内務省の部内冊子「外事月報」に、地裁判決の全文が掲載されているのを見つけて分かった。
 なんと、主な容疑は「樺太に旅したときに偶然見かけた根室の海軍飛行場を、友人のレーン夫妻に話した」ことだった。この海軍飛行場には31年、米国人飛行士のリンドバーグが北太平洋航路調査の途中で着陸し、国内外の新聞で大々的に報じられ、世間に知られていた。
 軍機保護法は当初、国家の存亡にかかわるような軍事機密を漏らした者を罰する目的で成立した。ところが、戦局の緊迫化とともに、「観光でたまたま撮影した風景に軍事施設が写っていた」といったような軽微な理由で、次々と一般市民が逮捕される事態になった

米国人の友人を持ち、特高に目をつけられていた大学生などとは違って、見るからに純朴そうなただの主婦であるすずがひどい目にあわされる可能性はなかった?

しかし、主婦どころか何も知らない13歳の少女でさえこんな目にあわされたのが当時の実情なのだ[4]。

 私は何もしていません。ほんとうに何もしとらん。なのに特高は私に「非国民」「国賊」「治安維持法違反」「アカ」「ウジ虫」……と数えきれんほどのレッテルをはった。
 当時13歳だった私に、いったい何をやれるというのか。私はものを考える能力もなく、腹を減らして、腹いっぱい食べた夢をみるだけの女の子だった。
(略)
 昭和18年、製糸工場で働いていた私はたまたま数冊の本を買った。そのなかに与謝野晶子の『みだれ髪』(歌集)があった。これを寄宿舎の私物検査で特高に知られるところとなった。私はその本のなかにあった晶子の詩「君死にたまふことなかれ」の一節に赤線を引いていた。
(略)
 しかし私は、それが「ホッキン(発禁)」という本だとは知らなかったのである。捕まったときは、「ホッキン」とはどんな字を書くのか、それさえも知らなかった。つまり、なあんにも知らん女の子の見本だった。
 「オイ、ネエチャン、この本は誰にたのまれたか。相手の名をいえばすぐ帰してやる」と特高はいった。
(略)
 「自分の金で買いました。誰にもたのまれん」と答えた瞬間、私の体は何メートルも先にふっとんでいた。それから先はなぐるのけるのといったもんじゃない。生と死のギリギリいっぱいまでやられた。遠くの方で「死んじゃおらんぞ、まだ生きとる、いまのうちに寄宿舎に引き取らせろ」という声が聞こえた。
 一カ月後、体が動けるようになったらこんどは憲兵隊へよばれた。同じような責めを受けた。私の体は古ぞうきんのようになった。四つんばいの状態で帰された。
 わずかの楽しみで読んだ本が反戦詩だったというだけで特高は私を引きすえて、半殺しにして、おまけに母をも見張った。何がなんだかわからんうちに、私は、「チアンイジホウ」とかいうものでやられ、母は「コクゾク」を生んだ「ゲドウ」だといわれて、どうしようもなかった。
(略)
 「チアンイジホウ」ということばも文字も知らぬ私は、あろうことか「茶わんいじほうって何のこと?」と泣いて寄宿舎の寮長に聞いた。そのことばが幼く哀れだと寮長も泣いた。
(略)
 あれから37年たって私はいま50歳。しかし、このとしで考えても「なぜ捕まったのか」まだ意味がわからん。二年前に死んだ私の母は、「お前のおかげでひでえめにあった」と最後にいって死んだ。

『この世界の片隅に』は、見事にあの時代の闇、どろどろした汚物を消し去って、漂白殺菌された「戦時下でもけなげに生きた庶民の和やかな暮らし」だけをリアルなものとして見せてくれている。

まったく、ロクなもんじゃない。

[1] 長谷川町子 『サザエさんうちあけ話』 姉妹社 1979年 P.29
[2] こうの史代 『この世界の片隅に(中)』 双葉社 2008年 P.6
[3] 『スパイぬれぎぬ 宮沢・レーン事件 悲劇教訓に再来許すな』 東京新聞 2013年10月14日
[4] 「赤旗」社会部編 『証言 特高警察』 新日本新書 1981年 P.93-96

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