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津田梅子の朝鮮人差別

新五千円札(5年も先の話だが)に肖像が使われる予定の津田梅子(1864 - 1929)は、わずか6歳でアメリカに留学し、後に女子英学塾(現在の津田塾大学)を創設した、日本の女子教育・英語教育のパイオニアと言える人物だ。

その津田梅子が18歳のとき(1883年9月30日)にランマン家(アメリカ留学時代のホストファミリー)宛てに書いた手紙をめぐって、これが朝鮮人への差別意識の現れかどうか、ネット上でちょっとした論争が起こっている。

問題の手紙の文面は以下のとおり。[1]

 父が帰ってきました。二、三日前に、思ったより早く着いたのです。朝鮮についてとても興味深くおもしろい話をしてくれました。いくつかの点では、動物の方がこのような汚い朝鮮人よりましだと思いますし、あるところには本当に野蛮な人びとがいるのです。彼らの衣服や食料はとてもよいのですが、粗末に不潔につくられているのです家は掘っ立て小屋のようだし、妻たちは完全に奴隷か囚人のようです。寝食や労働のために一つの部屋からでることもせず、下層階級の人びとだけが日中、日光にあたるくらいのものです。彼女たちは家の外で人に会うことをしないのです。何世代かの女性たちは、隣接した小屋に住んでいるのに、互いの顔を見ることをしません。彼らの習慣は下劣で、何もかもが汚くそして粗野なのです。……父が私に朝鮮について多くのことを話してくれました。あなたの記事のために、聞いたことを書いてまとめたいと思います。きっと、とても関心をもたれると思いますので、書いたら送ります。ある意味で、世界で最悪の国のように思われます。日本で出会った朝鮮の人たちは、人間的にも精神的にも日本人の特徴ととても似ていて、善良で知的で頑強な男性に思われたのですが、どうして人間がそのようになれるのか驚きです。

文面だけを見ても、これが差別意識の現れでないと解釈するのは無理だろう。父の語る「興味深くおもしろい話」への反発や否定的評価はどこにもなく、その差別丸出しの朝鮮像をそのまま鵜呑みにしている。「動物の方がこのような汚い朝鮮人よりまし」「本当に野蛮な人びと」「何もかもが汚くそして粗野」といった表現は父の言葉ではなく、その話を聞いた梅子自身の感想である。

末尾の部分では、自分が出会った朝鮮人たち(恐らく留学生)について「善良で知的…に思われた」と評しているわけだが、現実に見知っている朝鮮人たちから受けた印象よりも、それとは大きく矛盾するにもかかわらず、一度も訪れたことのない他国について語る父の言葉のほうを簡単に信じてしまっているわけで、これはむしろその差別意識の根深さを示していると言える。

さらに決定的なのは、この手紙を出した後で梅子がとった行動だ。[2]

 梅子は、父から聞いた話をもとに “Something About Corea” というエッセイを執筆し、手紙に書いた通りチャールズ・ランマンに送った。そして、それはチャールズ・ランマンの直しを加えて、The New York Daily Tribune(1883年12月9日)に “The Hermit Nation: A Native Japanese Scholar’s Notes in Corea” として掲載された。(略)(注:梅子の父)が話したことを梅子が「口述筆記するにようにして作文した」原稿に、チャールズ・ランマンが手を入れて新聞記事となったのである。梅子は、「朝鮮についてアメリカの人びとが啓蒙されるよう」、自分が書いたエッセイをランマンが記事にすべく役立ててくれればよいと考えていた。日本の知識階層からアメリカのそれをへて、新聞という媒体で侮蔑的な〈他者〉の表象が再生産され流通する一つのルートがここに確認できる。そしてこのなかでも “The Degradation of Woman” という見出しのもとにいかに女性が劣悪な状況におかれているかがきわめて偏見にみちた一面的な視座から述べられている。梅子は、自分自身が体験していた日本文化や女性の社会的地位への疑問や憤慨について、ランマン宛ての書簡で自由に書き表していたが、自分自身の意見や洞察が公表されることにきわめて慎重であった。しかし、朝鮮については仙から聞いた話だけで、短時間の間にエッセイにまとめ、記事になることを期待したのは、これとはきわめて対照的である(ちなみに、梅子は、1882年10月最初の留学から帰国直前、サンフランシスコで出会った中国人に関しても強い蔑視観を伴う内容をアデラインに書き送っている。この手紙のなかでは、白人女性から得た中国人の生活習慣についての情報をもとに、黒人の労働者と対比する視点で述べていた)。

もちろんこれは、津田梅子が特別に差別的な人物だったことを意味しない。当時の日本では、朝鮮や中国への強烈な差別意識が空気のように社会に満ちており、最も高度な教育を受けた知識階層もそうした偏見から自由ではなかったことを示す一例だろう。(もっとも、現代の日本社会も、果たしてそこからどの程度進歩しているのか疑問だが。)

[1][2] 高橋裕子 『津田梅子の社会史』 玉川大学出版部 2002年 P.188-189

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