こんなのはいちいち言うまでもなく当たり前のことで、なぜわざわざ説明しなければならないのか、困惑するしかない。本当に、ウヨい人たちというのはどうしてこうバカなのだろうか。
韓国人が嫌う旭日旗の本当の意味は 天照大御神が由来↓
— Nagasaki★Y.Y(ヨッピー) (@Japan_forever01) September 26, 2014
左写真 天照大御神が御来光
これを基本に日本の国旗が最初に作られたのが右の旭日旗。
後に日の丸が出来る。 pic.twitter.com/n1AqRrSA0C
ドヤ顔で述べられている上記の「由来」が事実かどうかも極めて怪しいが、それはそれとして、韓国人だけでなく、中国人にとってもシンガポール人にとってもフィリピン人にとってもベトナム人にとってもミャンマー人にとってもマレーシア人にとってもインドネシア人にとっても、そんな「由来」など、まったくどうでもいいことだ。
彼らにとって旭日旗とは、その旗を振り立てて彼らの国土に踏み込んできた日本軍がやらかした虐殺、強姦、略奪、放火、強制連行・強制労働、その他あらゆる犯罪行為のシンボルに過ぎない。イメージとしてはまさにこれだろう。
— 横山祥一 (@sICknXi7EwcKLRL) September 6, 2019
さとう、何某は無用につきミュートを致しました。
— 横山祥一 (@sICknXi7EwcKLRL) September 6, 2019
遠くで遠吠えがお似合いと思います。 pic.twitter.com/JIix08A8tO
いや、その軍旗の下に招集され、故郷から何千キロも離れた戦地に連行されたあげく餓死させられたり、たかが布切れにすぎない軍旗を守るために無駄死にさせられた日本軍兵士たちにとっても、こんなものは恨みと憎悪の象徴でしかないだろう。
陸軍では「旭日旗=天皇の分身」という認識でした。軍旗に関する礼式、取り扱いには厳しい規制があり、紛失や奪取されることは言語道断で、敗北や玉砕の際は、連隊長が腹を切り軍旗を奉焼の儀式で灰にしていたんですよね。 https://t.co/mmM7vv5t7f
— 双極凝固鑷子 (@shiso_ume) September 3, 2019
ただの布切れに天皇を象徴させたから、軍旗を守る、軍旗を取り返す、そのために人が死んでいったのですよ。たかが布切れのためにね。「独立愚連隊西へ」はそのバカバカしさを痛快アクションで皮肉った映画です。名作なのでご覧になるといいですよ。
— 町山智浩 (@TomoMachi) September 6, 2019
こんなものを戦後も自衛隊が軍艦旗として使い続けていること自体がどうかしているのだ。
旭日旗ってね、自衛艦旗=要は軍艦旗としては、慣例上国際的に認められているんだけど、これだって戦後しばらくは各国から嫌悪の対象で、冷戦が激化したから合衆国の威光で認められるようになった程度の危うい存在なのよ。
— Hiroshi Makita Ph.D. (@BB45_Colorado) September 6, 2019
それをオリンピックに持ち出せば、強烈な拒絶反応を全世界から喰らうよ。
その「ただの旗」を軍旗に使って侵略の限りを尽くし、戦後も一向に反省しないからだろ。終戦時点で使うのをやめればよかったのにまた持ち出して自衛隊の旗にした。だから怒られる。こんな簡単な経緯がなぜわからない。 https://t.co/HsRuQsdtex
— takeuchi ?????????? (@takeuchi_gr) September 6, 2019
ちなみに、旭日旗はもちろん、「国旗」ということにされている日の丸だってこういう旗であり、まったく同罪だ。[1]
上海完全占領後僅々一ヶ月にして又々南京陥落の凱歌だ。写真は十四日出雲に押しよせた感激の上海居留民団
「ナンキン カンラク ニッポン バンザーイ」(十四日天津に於ける邦人児童の祝賀行進)
旭日旗も日章旗も、ドブに捨て去るべきクソである。
【2019/9/14追記】
丁度いいタイミングで、朝鮮侵略と植民地支配の過程において日章旗と旭日旗がどのように使われていたかを示す良記事がアップされていたので紹介する。
ナチスは自らの象徴としてハーケンクロイツを使用した。戦後ナチスが解散したドイツでは反ナチ法が制定され、これに関連した象徴は徹底して禁止となった。
対して、侵略戦争を起こし世界中に甚大な被害と苦痛を与えた日本は、侵略と戦争の歴史に対して反省せず、これまで日章旗と旭日旗を堂々と使用し続けてきた。アジアの被害諸国は日章旗、旭日旗を侵略と戦争犯罪、帝国主義の象徴と考える。
(略)
旭日旗をはためかせるオリンピックを開催すれば、現在の日本がどのような国なのか、世界中に知らしめる機会になる。
そしてこの議論の根底にある問題は、日本の学校で、不都合な過去の歴史を徹底的に教えなかったこと。日本で教育を受けた多くの人は、いまも自国の戦争やアジア諸国への植民地支配がどんなものだったか知らず、甚だしくは植民地の意味すら理解していない。学校で教えないから、想像すらしたことがなく、疑問もわかない。
また「韓国が好き」で韓国を頻繁に旅行したり、暮らしている人の中にも、日帝の植民地支配の歴史を「知らない」という人が、高い割合で存在していることに驚く。
毎年終戦記念日が近くなると、侵略戦争を美化するドラマが流れる。日帝の植民地支配の歴史、また自国の戦争についてその程度の知識しかなければ、日章旗、ましてや旭日旗がこれまで何を象徴してきたのかを理解することはできない。
日帝の植民地支配の歴史の資料は、韓国には数多く残されている。生き証人の声を聞き、改ざんや修正されていない資料や写真、本を探して読もうとすれば、多くの知識を得ることができる。
反面、インターネットの世界は、価値のない偽物の記事もあふれかえっている。自分自身の目で見て調べたことを信じ、正しく公平な判断を心がけ、客観的に世界を見ることが重要である。
【追記終わり】
[1] 「アサヒグラフ」1938年1月5日号(支那戦線写真第24報)P.13
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