九州から近畿に侵入した初代神武から2代目綏靖への代替わりは、兄殺しによる地位簒奪だった。そして、肉親殺しを伴う簒奪行為は、これが近畿天皇家で唯一の例というわけではない。 仲哀(14代)の二人目の后だった息長帯日売(オキナガタラシヒメ 紀:気長…
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