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ブータンは「幸せな国」なのか?

引き続き、安原和雄の仏教経済塾『「国民総幸福」をめざす国・ブータン』から。

 国民総幸福(GNH)は、ブータンの国民全体の幸福を意味し、政府が目指すべき基本的な考えとして、国王が生み出した。幸福の実現は物質的なものと精神的なもののバランスを取って初めて達成される。
 政府は「GNHの柱」と呼ばれる、次の四本柱の戦略によって、国民の幸福を追求できるような環境を整えることに注力し、実行してきた。
(1)持続可能かつ公平な経済社会の発展
(2)ブータンの脆弱(ぜいじゃく)な山岳環境の保全
(3)文化・人間の価値の保存と促進
(4)良きガバナンス(統治)
 われわれは近代性と伝統、物質と精神、用心深い成長と持続可能性のバランスを取って運営してきた。


一見もっともらしい政策ではある。
しかし、国家権力が「伝統」だの「精神」だのと言い出してロクな結果になったためしはない。日本でもアメリカでもそうだったのに、ブータンだけは例外などということがあるだろうか。


では、「文化・人間の価値」を重んじ、「近代性と伝統、物質と精神」のバランスをとると称して、実際には何が行われてきたのか。


もともと多民族国家であったブータンで、北部の山岳地帯に住むチベット系民族の伝統文化を全国民に強制したために激しい抵抗運動が発生、その弾圧過程で恣意的逮捕や強姦・拷問が横行した結果、ついには総人口の約2割にあたる12万人もの難民が流出するという事態に至ったわけです。

 いささか単純化された説明になるかも知れませんが、1989年に導入されたブータン北部の伝統と文化に基づく(南部の民族にとっては強引な内容、例えば暑い南部で北部の民族衣装の着用を強制)国家統合政策により、誘発された南部の民主化運動(暴力的な事件もあったと言われている)を口実に、行政機関をあげての「民族浄化」が行われたためです。

 このような強硬な同化政策(文化的に統合は不可能であったことは最初から明らかであったので、実質的には異文化の排除つまり「民族浄化」を意味する)を行ったドゥルクパはチベット系とされています。そのチベットは中国により併合されてしまい、漢民族により文化・宗教的にも政治的にも抑圧された状況にあります。同じチベット系の人々が漢民族に受けた抑圧を、今度はブータンチベット系の民族がネパール系の民族に対して行っているのはなんとも悲しい現実です。

 また、見逃してはならないのは、ブータン政府の弾圧が民主化を要求する同じ仏教徒である東部ブータンに住むツァンラ/ツァンラカ(シャルチョプカとも呼ばれる。チベット文化の影響を受ける前より東部ブータンに定住していた)に対しても、1997年以降激しくなっているということです。


民族浄化政策によって大量の難民を生み出すような国が、「国民総幸福」を目指す幸せな国なのか?
いい加減、貧しくても幸せな国から生き方を学ぶ、とかいう妄想からは醒めたほうがいい。