東京新聞(8/14)掲載のコラムで、山口二郎氏がなかなかいいことを言っているのでメモ。
歴史から学べるか 山口二郎
3.11の傷がいえない状態で、八月十五日を迎えようとしている。この時期になるとNHKで戦争を振り返るドキュメンタリーが放映され、いろいろと考えさせられる。
満州事変以後、戦争に突入した過程を検証した番組を見て、私たちは歴史から学ぶ能力を持っているのだろうかという疑問を覚えた。3.11以降、新しい戦中を経験しているのではないかとも思う。
もちろん、私たちは今戦争をしているわけではない。しかし、平和の時代でも、政策決定の仕方やものの考え方に、戦中的なるものが浸潤してくる。福島第一原発の事故以来、日本には新たな大本営が出現した。この大本営も、官僚、専門家、メディアの結合によってでき、真実を国民の目から隠蔽しているように思える。新たな原発事故対策にしても、竹やりでB29を迎え撃つ類の政策がまじめに議論されている。そして、放射線被曝より被曝ストレスの方が体に悪いなどという精神主義も横行している。
菅首相は大本営に風穴を開けようとしたようだが、あえなく退陣することとなった。枝野官房長官は尖閣諸島防衛のために自衛隊を送り、あらゆる犠牲を払うとまで言った。政治家のこわもて競争は亡国の兆候である。
ポスト菅の政治家の品定めより、私たちの民主政がどの程度のものか沈思黙考する時である。
(北海道大学教授)
枝野が言う「あらゆる犠牲」とは、自分たち(既得権益集団)以外のこの国の住民が支払うことになるあらゆる犠牲、という意味だ。
「お前のものは俺のもの」というより、「お前の犠牲が俺の利益」ということ。