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白髪三千丈 VS 一百七十九万年

唐代の詩人、李白の五言絶句『秋浦曲』の中に、「白髪三千丈」という著名な一節がある。

嫌中排外主義の皆さんはこれを、「中国人はものごとを誇張する」「嘘つきである」ことの証拠のように言い立てる(例えば これ とか これ とか これ)が、実際の詩を読んでみればわかるように、これは憂いの深さを伝えるための見事な詩的表現なのだ。オレの髪の毛の長さは三千丈だなどと主張しているわけではない。

漢詩と中国文化

李白の五言絶句(秋浦曲其十五「白髪三千丈」):壺齋散人注


  白髪三千丈  白髪三千丈

  縁愁似個長  愁に縁って個(かく)の似(ごと)く長し

  不知明鏡里  知らず明鏡の里(うち)

  何處得秋霜  何れの處にか秋霜を得たる

 

白髪の長さは三千丈、憂いのためにこんなにも長くなったのだ、明るく清んだ水面にうつる、この真っ白な秋の霜はいったいどこから降ってきたのか

 

李白の詩の中でももっとも有名なもののひとつ、誇大表現の鑑のようにいわれてきたが、李白の老いの嘆きがよく伝わってくる

 

ところで、日本書紀の中に、次のような一節がある。神武紀の冒頭だ。

神日本磐余彦天皇(かむやまといわれびこのすめらみこと)  神武天皇

 

 神日本磐余彦天皇、諱(ただのいみな)は彦火火出見(ひこほほでみ)。彦波瀲武鵜萱草葺不合尊(ひこなぎさたけうがやふきあへずのみこと)の第四子なり。…年四十五歳に及(いた)りて諸の兄及び子等に謂(かた)りて曰はく、「昔我が天神(あまつかみ)、高皇産霊尊(たかみむすひのみこと)・大日霊尊(おほひるめのみこと)、此の豊葦原瑞穂国(とよあしはらみつほのくに)を挙げて、我が天祖(あまつみおや)彦火瓊々杵尊(ひこほのににぎのみこと)に授けたまへり。是に、彦火瓊々杵尊、 天関(あまのいはくら)を開(ひきひら)き雲路を披(おしわ)け、仙蹕驅(みさきはらひお)ひて戻止(いた)ります。…皇祖皇考(みおや)、乃神乃聖(かみひじり)にして、慶(よろこび)を積み暉(ひかり)を重ねて、多(さは)に年所(とし)を歴たり。天祖(あまつみおや)の降跡(あまくだ)りましてより以逮(このかた)、今に一百七十九万二千四百七十余歳。而(しか)るを、遼遡(とほくはるか)なる地(くに)、猶未(なほいまだ)王沢(みうつくしび)に霑(うるほ)はず。…」とのたまふ。

 

天孫降臨から神武が東征を決意するまでの間が、179万2470年余りだ、というのだ。

ひゃくななじゅうきゅうまんねん?

天降ってきたニニギは、現生人類ではなくホモ・ハビリスだったのだろうか?

しかもこれは詩や小説の一節ではない。大和朝廷が総力を傾けて編纂した正史『日本書紀』内の記述なのである。その上、初代天皇である神武その人の発言として語らせているのだ。

ちなみに、日本書紀が完成したのは720年、李白の没年が762年とされているから、時期的にもだいたい同じ頃の話。

 

詩の中の表現を理由に他国民を嘘つき呼ばわりする人たちは、自国の史書に明記されたこの最大級の誇大表現を、いったいどう言い訳するつもりなのだろうか。


※本記事中に引用した日本書紀の読み下し文は、坂本太郎・家永三郎・井上光貞・大野晋校注 『日本書紀(一)』(岩波文庫 1994年)による。

 

李白詩選 (岩波文庫)

李白詩選 (岩波文庫)

  • 発売日: 1997/01/16
  • メディア: 文庫