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それは違うよ梅原さん

 

梅原猛氏は、東京新聞にコラムを持っている。5月27日の夕刊には「平和憲法について」という文章を書いているのだが、これがなかなか困った内容なのだ。氏は「九条の会」の呼びかけ人になっているほどの護憲派であり、それはいいのだが、そうした思想のベースとなっているはずの歴史認識が甘すぎる。

突っ込みどころはたくさんあるが、ここでは主なポイントだけ見ていく。

 

 改憲論議が盛んであるが、私は、必ずしも政治的意見が一致しない加藤周一氏や井上ひさし氏らとともに「九条の会」の呼びかけ人に名を連ねたほどの頑固な護憲論者である。戦後、日本は憲法九条の下で大きな躍進を遂げ、アメリカに次ぐ世界第二位の経済大国になった。その輝かしい時代の政治を司ってきたのは主として自民党であり、私はほぼ自民党を支持し続けてきたが、その自民党憲法九条を変えるとは、長年の友人に裏切られたような気持ちである。

改憲自民党結党以来の党是である。その自民党を長年支持し続けておいて、今になって「その自民党憲法九条を変えるとは、長年の友人に裏切られたような気持ち」とはどういうことか?いったい氏は自民党のどこを見ていたのか。

 

 憲法九条は日本の伝統に沿ったものであると私は思う。日本の歴史を見ると、平安時代に約三百五十年、江戸時代に約二百五十年の戦争も内乱もない平和な時代があった。日本が大陸から離れた島国であるせいでもあるが、そのような国家が他にあろうか。戦後約七十年間平和が保たれているが、平和の時代はまだ百年も二百年も続いてほしいと思う。

平安時代については、平安京遷都(794年)から保元の乱(1156年)あたりまでを指して約三百五十年と言っているのだろう。しかしこの間にも、アテルイの処刑(802年)に終わった「蝦夷征伐」、平将門藤原純友の乱(939年〜941年)、前九年の役(1051年〜1062年)、後三年の役(1083年〜1087年)などがあった。これらは「戦争・内乱」ではないのか。

たとえば前九年の役は、東北地方に独立勢力を築いていた安倍氏を滅ぼした戦いであり、奈良時代以来執拗に進められてきた朝廷による東北侵略の重要な1ステップである。これを無視して平安時代を「平和な時代」などと呼ぶのは、自らの侵略性から目を逸らす行為ではないか。

 

 また日本は、攻めてくる外国との戦いでは、元寇といい日露戦争といい、赫々たる勝利を収めたが、外国に攻めた戦争は敗戦に終わった。白村江の戦い、秀吉の朝鮮出兵、及び満州事変に始まる十五年戦争、ことごとく惨敗であったといえよう。

 しかし、外国からの攻撃に対しては万全の備えをするが決して外国を攻撃しない軍隊をもつことこそ日本の名誉ある伝統である。それゆえ、自衛隊こそまさに日本の伝統に沿う軍隊であろう。またそれはカントの「永久平和論」に沿う軍隊でもある。カントの「永久平和論」は国際連合の思想的原理になっているが、国際連合は真に永久平和を実現する機関になっていない。

防衛戦争も侵略戦争もどちらも日本の戦争であるし、日露戦争は「攻めてくる外国との戦い」などではなかった。朝鮮および中国東北部の支配権を争った侵略者同士の戦いである。明治維新以降の日本は、侵略戦争でない戦争など、一度もしていない。

なにより、自国の歴史の中から、自らの主張に都合のいい部分だけを抜き出して「伝統」と呼び、それ以外の部分は「伝統」から外れた例外、本質とは関係ない一時的な過ちと見なすのは、文字通りのご都合主義だろう。

 

哲学者として歴史から平和思想を紡ぎ出そうとするのなら、まずは正確な歴史認識から始めなければならないのではないか。このようなご都合主義に支えられた「護憲」では、なんとも危うい。


日露戦争 (中公新書 110)

日露戦争 (中公新書 110)