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日本の情報公開度は中国以下

 

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1965年、北朝鮮が再度の韓国侵攻を企て、中国に軍事支援を要請していたことが分かった。

 

東京新聞(10/25)

「第2の朝鮮戦争」65年に準備 北が派兵要請 中国機密文書

 

 【ソウル=篠ケ瀬祐司】中国・人民大教授の成暁河氏(国際政治学)が二十四日にソウルで行われた国際学術会議で、公開された中国の機密文書を引用し、北朝鮮が一九六五年に戦争を計画し、中国側に派兵を求めていたとの資料を提出した。

 

 機密文書は、北朝鮮駐在の中国大使と故金日成(キムイルソン)主席との会話記録。金主席は大使に対し「間もなく戦争を起こす。これは不可避だ。南朝鮮人民(韓国民)たちの階級闘争や葛藤が高まったら(戦争を)する」と話し、韓国との「第二の朝鮮戦争」を準備していると説明した。

 

 また金主席は、戦争になった場合「中国には軍隊を派遣してくれることを望む」と派兵を要請した。

 

 韓国は六四年からベトナム戦争に韓国軍の派遣を開始。韓国の米韓軍が手薄になった時期を狙った可能性がある。

 

このニュース自体は、まあ十分あり得ると予想できる内容で、大きな驚きはない。

驚いたのは、この事実が機密解除された中国の外交文書によって明らかになったことだ。

 

大方の日本人の持つイメージとは違い、中国はかなりの程度、過去の機密情報を公開している。

 

中国通信(2006/5/14)

日本人戦犯免訴の内情が明らかに、中国の機密解除外交文書


(中国通信=東京)北京12日発新華社電は、中国の機密解除外交文書によって、日本人戦犯の起訴免除の内情が明らかになった、と次のように伝えた。

 

1956年、中国政府は侵略戦争で大罪を犯した日本人戦犯の起訴放棄を決定したが、この決定をしたのはどのような理由によるのか、これらの戦犯は当時中国でどんな扱いを受けたのか。……新華社記者は12日、外務省が最近開放した機密解除公文書から、答案を見つけ出した。

 

中国が日本人戦犯の起訴を放棄した理由について、この覚書ははっきり説明している。「第2次世界大戦終結からすでに10年が経ち、中日両国の置かれた地位が大きく変化していることを考えて、中国政府は近いうちに、寛大の方針に従って、これらの日本人戦争犯罪者を処理することを決定した」

 

「中国政府は、現在の国際情勢の下で、寛大な処理の方針をとることは、中日関係の正常化と国際情勢の一層の緩和に役立つと考える」

 

なお中国外務省は10日から、1956〜60年の機密解除公文書を一般に公開した。今回開放された公文書はこの時期の外交文書総数の60%にあたる。

 

機密解除されているのは外交文書だけではない。核開発に関わる重大な軍事機密でさえ、機密解除されているものがある。

 

中国通信(2007/5/4)

中国の「原爆の里」が機密解除で観光地に

 

(中国通信=東京)西寧27日発新華社電によると、中国初の核兵器開発基地で、中国の「原爆の里」(原語は「原子城」)とされる、旧国営221工場地下指揮センターの機密が解除され、このほど正式に一般公開された。かつては謎に包まれていたこの地下指揮センターを、今後誰もが間近に見学できるようになった。

 

中国の「原爆の里」は青海省海北チベット族自治州西海鎮にあり、以前は「国営221廠」と呼ばれていた。ここは1958年に建設された中国初の核兵器開発・実験・生産基地で、中国初の原爆、水爆はいずれもここで開発された。原爆の里の地下指揮センターは、通信がしっかり確保された地下の遮蔽体で、地表から9・3メートルの地下に、鉄筋コンクリートで造られている。核兵器開発期間中、この地下指揮センターは、基地で最も重要な通信連絡・指揮機能を担っていた。

 

ひるがえって、日本はどうか?

例えば沖縄返還に伴う日米密約など、米国での機密解除により密約を明記した公文書の存在が明らかになっても、その公文書に署名をした当人である元外務省アメリカ局長が証言をしても、政府はその存在を否定し続けてきたではないか。(ちなみに、2006年、国会で公然と「密約はない」と嘘をついたのが、当時外相だった麻生太郎である。)

 

自衛隊に関する「防衛秘密」に至っては、機密を解除されて公開されているものは1件もない。一方、防衛省内の勝手な判断で既に廃棄されてしまったものが、2007年から2011年までの5年間だけで3万4300件にものぼる。

 

毎日新聞(10/14)

防衛秘密:公開ゼロ 省判断で廃棄3万4000件超

 

 自衛隊に関する機密「防衛秘密」のうち、秘密指定の解除後に国立公文書館に移され保管されている文書が一件もないことが分かった。公文書館は歴史的に重要な文書を保存、公開する施設だが、防衛秘密は2002年以降、一件も公開されていない。専門家は「歴史的に重要文書が検証できない」と批判している。【青島顕】

 

 防衛秘密は02年施行の改正自衛隊法で定められ、防衛相が防衛上特に必要な文書を指定する。自衛隊の運用や計画▽防衛力整備計画▽武器や航空機、船の種類・数――などで11年末現在、3万752件ある。

 

 防衛省の内規では、保存期間は1件ごとに異なり1年未満〜30年(延長可能)。期間の途中で「秘密の要件を欠く」と判断すれば、秘密指定を解除し、歴史的に重要なものを公文書館に移管できるが、これまでに移された文書は一件もない。

 

 一方、保存期間を終えた文書は省幹部の承認を得たうえで廃棄するか期間を延長する。廃棄数は07〜11年の5年間で計約3万4300件に上る。

 

 自衛隊に詳しいジャーナリストの前田哲男さんは「想像するしかないが、日米合同や自衛隊の訓練のシナリオや検討過程も廃棄されてしまっているだろう。欧米なら保存し年限が来たら公開する」。NPO法人情報公開クリアリングハウス理事長の三木由希子さんも「秘密文書ほど指定が正しかったのかなど、歴史的検証が必要だ。防衛に関する秘密についても公文書管理法の趣旨に沿い、重要文書を廃棄しない仕組みを作るべきだ」と話す。

 

はっきり言って、日本の情報公開度は中国以下である。

「特定秘密保護法」が存在していない現在でさえこのザマなのだ。何が秘密なのかも秘密、何をいつまで秘密にするかは「行政の長」(実質的には官僚)が勝手に決める、秘密かどうかも分からない情報を知ろうとしようとしただけで厳罰、というこの稀代の悪法が成立したらどうなるか。

もはや日本は民主主義国どころか近代国家とさえ言えなくなるだろう。