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戦前の教科書は神話をそのまま歴史として教えていた・・・わけではない。

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戦前(敗戦までの戦中を含む)の教科書では、神話をそのまま歴史として教えていた、とよく言われる。

これは、確かに間違いではないのだが、正確な表現とも言いがたい。


まだ国定化される前の、初期の段階の教科書では、確かにほとんど記紀のダイジェスト版のような内容を載せていた。たとえば、明治中期に使われた『帝国小史』(1893年)[1]は、こんなふうに「神代の概略」から始まる。

 


しかし後期になると、教科書の記述は近畿天皇家の正当化を目的としていた記紀の単なる繰り返しではなくなってくる。どのように変化したのか、「神功皇后の三韓征伐」説話の描写を例にとって、その違いを見てみよう。


こちらは前述の『帝国小史』(1893年)での描写。ほぼ日本書紀での記載をそのままなぞった内容となっている。

 

 


これに対して、皇国史観に基づく歴史教科書の、いわば最終進化形と言える『初等科国史』(1943年)[2]での描写はこうなる。

 


ポイントは、「三韓征伐」そのものというより、その後の状況についての描写にある。

 こののち、熊襲がしづまったのはいうふまでもなく、百済や高句麗までも、わが国につき従ひました。日本のすぐれた国がらをしたって、その後、半島から渡って来る人々が、しだいに多くなりました。このやうに、国内がしづまり、皇威が半島にまで及んだのは、ひとへに、神々のおまもりと皇室の御恵みによるものであります。

(略)

 天皇の御恵みのもとに、国民はみな、楽しくくらしてゐました。半島から来た人々も、自分の家に帰ったような気がしたのでせう、そのままとどまって、朝廷から名前や仕事や土地などをたまはり、よい日本の国民となって行きました。中には、朝廷に重く用ひられて、その子、その孫と、ながくお仕えしたものもあります。学者や機織・鍛冶にたくみなものが多く、それぞれ仕事にはげんで、御国のためにつくしました。


《太古の昔から朝鮮は劣った国であり、朝鮮人は日本人によって支配されるべき存在なのだ。「三韓征伐」のときそうだったように、朝鮮人は良き臣民として日本の利益のために奉仕せよ。》 韓国強制併合以前の1893年にはなかったこの内容は、植民地支配を正当化し、朝鮮人への差別を温存したまま彼らを二級国民として同化・統合していくために付け加えられたのである。

[1] 山縣悌三郎 『帝国小史 巻之1』 文学社 1893(明26)年

[2] 文部省編 『初等科国史 上』 文部省 1943(昭18)年