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「朝鮮人が井戸に毒を入れた」という流言の実態

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関東大震災時の朝鮮人に関するデマの中に、「朝鮮人が井戸に毒を投げ込んでいる」というものがあった。

 

常識的に考えて、来るかどうかもわからない、仮に来るとしてもいつどこに来るか見当もつかない大災害時の混乱を狙って大量の毒物を用意しておくなど、あり得るはずがない。

これは今だから後知恵で言えることではなく、当時の時点でも既に明確だった。医療評論家の橋爪恵(橋爪檳榔子)氏が震災後の新聞に書いている。

 

読売新聞 1923年11月2日 よみうり婦人欄

汲んでも汲み尽せぬ 井戸に入れる毒 流言蜚語の優等賞

橋爪恵(上)そんな毒薬は手に入らぬ

 

 今度の災害で、先ず何よりも多くの人々の脳裡にきざみ込まれたのは、化学品の恐るべく、あなどるべかさるの一事であった。(略)

 更に奇怪極まる化学力の脅威は、鮮人や主義者が、未曾有な天変地異を利用して、井戸の水に毒薬を投げ込んだといふ言葉であつた。蜚語も茲(ここ)まで来ると滑稽を飛び越えて何とも言ひやうもあるまい。何処の誰が言ひふらした言葉であるか知らぬが、馬鹿気た巧妙さだと思つてゐる。浮説も茲まで来ると優等賞であり、この浮説に左右されて異常な虐殺を敢へてした我日本人は何といふ劣等生なのだ。

 なるほど日本薬局方に収載されてゐる毒薬は二十種ほど。そして劇薬は八十種ぐらゐはある。汲めども汲めども尽き果てぬ井戸水にこれらの毒劇薬を投げ込むことによつて、果たしてどれだけの実効があるのか。毒薬のうちで一番凄い極量を示してゐるのは、カンタリヂンとアコニチンとそしてブローム水素酸スコポラミン。これらは何れもその〇・〇〇〇五瓦(グラム)が極量とされてゐる。然しいくら抜目のない鮮人や主義者のひどい奴だからといつて生一本な毒薬の壷を手に占むることも出来なければそれを供給する人間も無い筈(はず)だ。

 読売新聞 1923年11月3日 よみうり婦人欄

汲んでも汲み尽せぬ 井戸に入れる毒 常識で判断し得る事

橋爪恵(下)提灯の反射を燐光と早合点

 

 面白かつたのは、私の町の自警余談である。私は或る人に頼まれて、どこそこの井戸水は素敵に光つてゐるが、あれは確に毒薬が入つてゐるから見てくれといふのであつた。馬鹿々々しいとは思つたが兎に角言はれるままに或井戸へ行つた。井戸水が光つてゐるのならこいつは恐らく黄燐か猫いらずがあるんだなと思つた。私はその水を試験管にとつて検査したが黄燐でもなければ猫いらずでも無かつた。その人は自分の提灯の反射を見て水が光つたと思つたらしい。(略)

 あのどさくさ紛れに、かてて加へて薬品の払底した頃、どうして毒劇薬を買占めることが出来よう。況して石炭酸とか硫酸重クローム酸昇水などを汲めども尽きぬ井戸水に投げ込んだからとて効くかどうか常識によつて判断されることである。厳めしいダイナマイトの投入はどうだか一向知らないが井戸に毒薬を入れたらしい犯人としてこれを直に主義者と見てとつた上に善良な人々を絞殺(しめころ)したり斬り殺したのは何たる文化の逆行、何たる反道徳、何たる非立憲の行為、何たる無政府主義、何たる血に飢ゑたもの共であるのか。サンフランシスコやロンドンの災害には断じてこの種の非科学的妄動は一も無かつた筈(はず)だ。

 

だが、「反道徳」的で「血に飢ゑた」「劣等生」の日本人大衆は、やすやすとこの浮説を信じ込んだ。

その結果、何が起こったか。『横浜市震災史』にその実例が記録されている[1]。

 

 九月三日夜、中村町植木会社構内避難民、附近井戸毎に覗き居たる一鮮人を発見し、毒物を投入せるものと信じたる附近住民は激昂の余り、殴打・殺害せる事実あるも、毒物を投入したるや否や判然たらず。其後該井水を使用しつつあるも何等異常なきに見るも、全く毒物の投入にあらずして、渇を覚え水を飲まんとして井戸を覗けるものと思惟せらる。

 九月五・六日頃午前十一時前後、年齢二十八九歳の鮮人服を着用せる商人体の鮮人男一名、横浜市山の手、根岸町字猿田に於て、路傍の井戸の蓋を開き、井戸を窺ひ居りたるを、附近の者の発見する所とな り、時節柄不逞の徒が井戸に毒物を投入せるものとして附近住民集合して鮮人を逮捕し身体検査を行ひたるも、何等毒物を所持しあらず、井水を分析試験せるも、毒物の混入せる状況なく、全く誤解と思料せらる。市民は之を山手署警官の手に渡せり。

 

渇きに苦しむ朝鮮人被災者が水を求めて井戸を覗いているだけで、毒物を投入していると見なされてなぶり殺しにされたのである。当時の日本人には、朝鮮人もまた被災者だという認識すらなかったようだ。

 

[1] 横浜市役所市史編纂係 『横浜市震災史』 第4冊 1926年 P.36

 

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