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日本人だって状況が許せば略奪くらいする。当たり前だが。

 

東日本大震災の後、実に気持ち悪かったのが、発災後まだ10日も経っていない頃から、「日本人はこれほどの災害の中でも略奪もせずにきちんと並んでいる。外国人が褒めてる。日本人すごい!」といった自画自賛がネットを中心に溢れていることだった。しかも、被災もしていない人間が、安全な場所からそうした言説を垂れ流して悦に入っていたのだからなおさらである。

しかし、日本人だって、もちろん物資が欠乏した状況下で警察力が崩壊しているような事態となれば、略奪でも何でもやらかす。その典型的な事例を、関東大震災時の横浜に見ることができる。

 

内閣府中央防災会議 『1923関東大震災報告書 第2編』:

2  略奪事件と警備

 大災害に際して略奪事件が発生することは、その後の外国の災害に際してもたびたび報じられる。関東大震災時に、略奪が広範囲に発生したのは横浜であった。『横浜市震災誌  第一冊』によれば、9月2日に焼け残った税関倉庫で略奪が始まり、根岸、本牧、神奈川その他にも波及したという。『横浜市震災誌  第三冊』の税関の記事によれば、略奪を行ったのは飢餓に苦しむ被災者と無警察状態を良いことにする暴徒で、一部は凶器を携え、凶器を持たないものも興奮していて、非武装の税関吏は多くは避難のために四散し、残ったものも家族や自分の安全を保つのがやっとであった。警察に応援を求めたものの全く余力がなかった。その結果、陸軍が展開する5、6日ころまでに構内の貨物の大半が持ち去られた。9月27日の神奈川警備隊司令官斉藤少将の報告によれば、治安回復後の子供たちの遊びは東京では朝鮮人迫害の真似であったが、横浜では「分捕ゴッコ」という略奪の真似であった。また、当時軍事教練のために各中等学校に備えられていた小銃が略奪あるいは貸し出しの形で500丁以上流出し、震災から半月ほど経てからようやく回収が本格化している(同第四冊)。横浜では、軍隊の到着が遅く、警察も被害が深刻であったため、震災直後には無秩序状態が続いたのである。

 

神奈川警備隊司令官奥平俊蔵少将は、その様子をさらに具体的に、生々しく描いている[1]。

 

 横浜市に於て顕著なる出来事は税関倉庫及政府米を貯蔵せる横浜倉庫の掠奪である。震災の為無一物となれる市民等は最初食を求めて此等倉庫に殺到せるが如く税関吏等は自己の災厄の為現場に在る者少く、併しかも災厄に気狂ひ、食ふ為に命懸けとなれる群集の気勢に呑まれ其の為すが侭ままに放任したのは事実であらう。最初は当座の食を求むる外他意なかりし災民も、人間の慾には限りなく屈強の者共は遂に荷車を以て莫大の物資を搬出するに至り、如此かくのごとくは寧むしろ家を失ひたる者に非ずして焼残りたる家屋居住者である。而して最初は食料品のみを掠奪せるも次第にあらゆる品物に及び遂には鉄製の重大なる器械類等に及び、一日より四日に至り物資を充満していた是等倉庫は全く空虚に帰するに至った。横浜倉庫には当初四十万人を二十日給養するに足る米を貯蔵せりと謂ふ上、他方面より救助米を送付せるを以て却って平時よりも多量の米が存在することとなったのであるが、掠奪米は一部の者の手に入り、救助米も配給不十分の為食に欠乏せる者少くなかったのは事実である。

 四日朝、予の上陸当初焼跡を往復する群集は各自に皆荷物を手にしあり、予は彼等が自己の所有物を手にせるものなりと当時観察せるも、径約二尺位の白き玉を携へたる者甚はなはだ多し。後に聞けば是れ税関倉庫より掠奪せる羊毛の精製品及輸出絹糸の玉であった。彼等の盗賊性は遺憾無く継続せられ、個人所有の焼残り土蔵や金庫は続々破壊せられ、警備部隊より衛兵を配置せる倉庫に潜入し掠奪を行はんとし衛兵の為取押へられたる者数名を算するに至った。

 警備救護の事業整備し警備部隊の余裕あるに至り予は斯かかる天災に投ずる不良行為を看過するは将来に悪例を残すものたるを感じ警察部長と協議し、軍隊を支援とし憲兵をして不良者と目する者及び運河等に繋留しある小船を捜索せしめた所、九尺二間にも足らざる家に米が十数俵も積んであり、羊毛絹糸の玉、各種の反物等無数に貯蔵しあり、船も亦同様の関係であった。依って此等は取調の上総て官に没収するの手続を取った。独り横浜のみならず六郷川の下流及浅野造船所ドック等でも同様の貨物満積の和船数十隻を取押へるに至った。此捜索を開始するや毎夜歩哨や軍隊駐屯所の近辺に掠奪品の投棄しあるもの頗る多きを見たのである。又各中等学校備附の銃器は全部掠奪せられたるを以て其回収を図りしも約三分の二を蒐集し得たるのみ。

 

当たり前だが、人種や民族が違うからといって、人間の質に差などないのである。

 

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[1] 奥平俊蔵著・栗原宏編 『不器用な自画像 ― 陸軍中将奥平俊蔵自叙伝』 1983年 柏書房

 

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