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関東大震災時の朝鮮人虐殺 -- 司法省が発表したとおりの「朝鮮人犯罪」があったわけでは……もちろんない。

前回記事で説明したとおり、10月20日の司法省発表は、「いくら調べても朝鮮人による犯罪はこれしか見つかりませんでした」という宣言であり、震災直後の派手な「朝鮮人暴動」記事は全部嘘だったと司法当局が公式に確認したことを意味している。

朝鮮人による暴動と呼べるような組織的犯罪行為などなかったことは当局も認めたわけだが、では司法省が「しかしこれだけはあった」と主張する「朝鮮人の犯罪」には、どの程度の信憑性があるのだろうか。

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司法省の「朝鮮人犯罪」捜査方針

ここで、この司法省発表に至る犯罪捜査がどのような方針のもとに進められたのかを確認しておく必要がある。

こちらの記事で紹介したとおり、臨時震災救護事務局警備部は9月5日に関係各方面と「朝鮮問題に関する協定」[1]を結び、次のような捜査方針を定めている。

 第二、朝鮮人の暴行又は暴行せむとしたる事実を極力捜査し、
    肯定に努むる
こと。

    尚、左記事項に努むること。

  イ、風説を徹底的に取調べ、之を事実として出来得る限り肯定することに
    努むる
こと。

  ロ、風説宣伝の根拠を充分に取調ぶること。

要するに、風説でも何でもいいから、朝鮮人が震災に乗じて犯罪を犯したと言えそうなものは、極力これを事実だったかのように見せかけよ、ということである。

9月5日の段階で既に、「朝鮮人暴動」が事実無根の流言に過ぎないこと、またその流言のせいで軍隊・警察や民衆による朝鮮人の虐殺が行われていることを当局は把握していた。官憲まで加担して無辜の朝鮮人の殺戮を繰り広げたことが明るみに出たら、朝鮮の植民地支配や諸外国との外交上、重大な障害が発生しかねない。だから当局は、虐殺の規模を極力矮小化し、また官憲による殺害を隠蔽するとともに、何とかして殺された朝鮮人の側にも問題があったことにしたかったのである。

ではこれから、司法省発表で挙げられた個々の犯罪事例にはどの程度の信憑性があるのか、発表のベースとなった内部文書(司法省『震災後に於ける刑事事犯及之に関連する事項調査書(秘)』[2])をもとに、具体的に見ていくことにしよう。

強姦・殺人

日時 九月一日午後十一時過
場所 本所区柳島元町電車終点付近
犯人氏名 金孫順
罪名 強盗強姦
犯罪事実 避難中の氏名不詳一内地婦人を強姦せんとし遂げざりし為、女物衣類十二点、他雑品在中の「バスケット」を強奪す
亀戸署に拘禁せられたるも、同署類焼に瀕したる為め、二日解放せられ所在不明

罪名は「強盗強姦」だが、仮にこの記載の通りだとしても強姦は未遂である。しかも被害者が氏名不詳ということは、被害者証言自体取れておらず、被害の確認はできていないことになる。その上容疑者本人も所在不明というのだから、加害者も被害者も存在が確認できない幻のような事件と言わざるを得ない。また、「〇順」は朝鮮では普通女性の名前であり、このような事件の犯人名として不自然との指摘もある[3]。

さらに不審なのは、容疑者がいったん亀戸署に拘禁された後解放された、という記述である。亀戸署は震災では焼けておらず、捕らえた容疑者を解放せざるを得ないような切迫した状況下にはなかったはずだ。実際には、亀戸署には警官隊に検束された朝鮮人中国人や保護を求めてきた朝鮮人が続々と収容され、署内はすし詰め状態となっていた。そして3日から5日にかけて、ここで労働組合の活動家10名の殺害(亀戸事件)、また少なくとも数十名とみられる朝鮮人の虐殺事件が起こっている[4]。仮にこの容疑者が実在し、その後行方不明になっていたとしても、それが「解放」された結果であるかどうかは極めて怪しい。

 朝になって立番していた巡査達の会話で、南葛労働組合の幹部を全員逮捕してきてまず2名を銃殺した、ところが民家が近くにあり銃声が聞こえてはまずいので、残りは銃剣で突き殺したということを聞きました。私は同志の殺されたことをここで始めて知り、明け方に聞いた銃声の意味も判りました。

 朝になって我慢できなくなり便所に行かせてもらいました。便所への通路の両側にはすでに3、40の死体が積んでありました。この虐殺について、私は2階だったので直接は見ては居ませんが、階下に収容された人は皆見ているはずです。虐殺のことが判って収容された人は目だけギョロギョロしながら極度の不安に陥りました。誰一人声をたてず、身じろぎもせず、死人のようにしていました。

 虐殺は4日も一日中続きました。目かくしされ、裸にされた同胞を立たせ、拳銃をもった兵隊の号令のもとに銃剣で突き殺しました。倒れた死体は側にいた別の兵隊が積み重ねてゆくのを、この目ではっきり見ました。4日の夜は雨が降り続きましたが、虐殺は依然として行われ5日の夜まで続きました。(略)

 亀戸署で虐殺されたのは私が実際にみただけでも5、60人に達したと思います。虐殺された総数は大変な数にのぼったと思われます。

                             全虎巌

 

日時 九月二日午後十時過
場所 南葛飾郡本田町四ツ木荒川放水路堤上
犯人氏名 氏名不詳鮮人四名
罪名 強姦殺人
犯罪事実 四ツ木土堤に於て避難中の年令十六、七才、氏名不詳の娘を鮮人四名にて輪姦したる上殺害し、死体を荒川に投棄逃走す

これも容疑者被害者ともに不明、死体も見つかっていない「強姦殺人」事件である。犯行現場とされているのは荒川放水路の土手だが、人通りのない普段の夜とは違い、このときは押し寄せた避難民でごった返していた。しかも、9月2日には、既にこのあたりでも激しい朝鮮人狩りが始まっていた[5]。そんな状況の中で、果たして朝鮮人がこんな犯罪を実行できるものなのか。犯行の実在そのものが疑わしく、流言をそのまま「事件」にしてしまった可能性が高い。

 押上、大畑あたりに兄貴が家を借りていて、ゴム会社に勤めていたの。私は土方をしていた。八月の三一日は仕事がなくなって仲間もみんな休んでいたんだよ、それで、翌日が九月一日だ。

 午前十時ごろすごい雨が降って、あと二分で一二時になるというとき、グラグラときた。『これ何だ、これ何だ』と騒いだ。故国には地震がないからわからないんだよ。それで家は危ないからと荒川土手に行くと、もう人はいっぱいいた。火が燃えてくるから四ツ木橋を渡って一日の晩は同胞一四名でかたまっておった。女の人も二人いた。

 そこへ消防団が四人きて、縄で俺たちをじゅずつなぎに結わえて言うのよ。『俺たちは行くけど縄を切ったら殺す』って。じっとしていたら夜八時ごろ、向かいの荒川駅のほうの土手が騒がしい。まさかそれが朝鮮人を殺しているのだとは思いもしなかった。

 翌日の五時ごろ、また消防が四人来て、寺島警察に行くために四ツ木橋を渡った。そこへ三人連れてこられて、その三人が普通の人に袋だたきにされて殺されているのを、私らは横目にして橋を渡ったのよ。そのとき、俺の足にもトビが打ちこまれたのよ。

 橋は死体でいっぱいだった。土手にも、薪の山があるようにあちこち死体が積んであった。

                            曹仁承

 朝鮮人が殺されていた場所は、上平井橋の下といまの木根川橋の近くだった。上平井橋の下が二、三人でいまの木根川橋近くでは一○人ぐらいだった。朝鮮人が殺されはじめたのは九月二日ぐらいからだった。そのときは『朝鮮人が井戸に毒を投げた』『婦女暴行をしている』という流言がとんだが、人心が右往左往してしるときでデッチ上げかもしれないが……、わからない。気の毒なことをした。善良な朝鮮人も殺されて。その人は『何もしていない』と泣いて嘆願していた

                            池田〈仮名〉

 

日時 九月二日夜
場所 吾嬬町
犯人氏名 氏名不詳鮮人一名
罪名 強姦
犯罪事実 吾嬬町に於て氏名不詳銘酒屋女風の内地婦人を強姦す

これも加害者被害者ともに不明の「事件」である。被害者が所在不明で事情聴取もできていないわけで、事件の実在自体が疑わしい。

 

日時 九月三日早朝
場所 南葛飾郡砂町小学校脇 蓮田付近
犯人氏名 氏名不詳鮮人一名
罪名 殺人
犯罪事実 仕事師風の内地人、挙動不審の一鮮人を捕へ誰何すいかしたるに、突如隠し持ちたる拳銃にて該男を狙撃し之を殪たおし、続き同所通行中の職人風の内地人に対し二弾を発射し、一弾後頭部に命中、擦過傷を負はしめ逃走す

挙動不審者を捕えて誰何したのなら、殺された男性は地元の自警団員ということになるが、であれば氏名不詳の「仕事師風の内地人」などとされているのはおかしい。また、通行中に撃たれたという軽傷の被害者も、事情聴取できていれば氏名が分かっているはずである。(この文書では、氏名の確認できた被害者についてはそれが明記されている。)つまり、この事件も被害者証言が取れていないわけで、加害者を朝鮮人とする根拠もない。結局、これも風説をそのまま「事実として肯定」してしまった可能性が高い。

放火

日時 九月一日午後八時過
場所 日本橋区北鞘町一石橋際大谷ママ倉庫
犯人氏名 氏名不詳鮮人一名
罪名 放火
犯罪事実 同上倉庫付属木造物置庇先に放火したり

 

日時 自九月一日夜 至九月二日
場所 (一) 月島二号地
(二) 月島渡辺倉庫の号
(三) 深川区東森下町志る粉しるこ
犯人氏名 自称金某外ほか氏名不詳鮮人四名
罪名 放火殺人未遂
犯罪事実 凶器を携えたる不逞鮮人五名、本所区菊川町方面より月島に入込み、警戒中の民衆に「ピストル」を発射し、或は日本刀、棍棒等を以て襲撃し、内四名取押へらる。内一名の鮮人は燐寸マッチを所持し居り、九月一日夜深川区東森下町付近志る粉屋に放火し、又一名自称高等学院生徒金某は放火用と認むべき赤真綿様の燃焼力強烈なる物五十匁、及紙小撚り様の物、数百本を所持し居り、九月二日午後九時頃、月島二号地渡辺倉庫の号一棟を焼毀す

 

東京横浜における火災の原因については、前記「事項調査書」中で、「朝鮮人の犯罪」とは別に調査結果がまとめられている[6]。

第一章 火災の原因

第一 概説

(略)即ち東京市に在りては九月一日震災直後より五日間に於て独立出火の場所実に百三十八ヶ所の多きに上りたれども、其の内放火と認めらるるものは八件にして而しかも其の大部分は直ただちに消止めらる。他に延焼したるもの寡すくなし。鮮人の放火と認むべき三件に付ても、其の犯人は直に殺害せられ又は其の所在不明に属し、放火の動機を知ることを得ざるは頗すこぶる遺憾とする所なり。(略)

こちらの記載と突き合わせて見ると、まず日本橋大倉倉庫の件は、「黒上衣白ズボンを着し中肉中背四十才前後但し犯人氏名不詳鮮人一名男」が放火したとされているだけで、犯人は捕まっておらず、朝鮮人とする根拠も不明である。

月島渡辺倉庫の件は、「月島自警団長加藤重六等取調の結果自称高等学校生徒金某(鮮人)の放火したるものなること判明」とあるのだが、同じ月島渡辺倉庫の十八号倉庫が焼けたのは「築地本願寺方面よりの飛火」が原因とされており、そこが発火点となって「渡辺倉庫に相次で出火した」うちこれだけが放火とする根拠は、結局自警団がそう言っているから、という以外にない。しかも、犯人とされた朝鮮人高校生はその場で殺されており、真相は闇の中である。

汁粉屋の件も、「深川区月島自警団長加藤重六深川区東光町一番地□□二字不明沼田辰五郎等取調の結果氏名並に住所不詳一鮮人の放火に依ること判明」とあるだけで、自警団がそう言っているからという以外、殺された朝鮮人が犯人とする根拠はない。

結局、後者の2件は、本所方面から月島に移動してきた朝鮮人5名が地元自警団とトラブルになり、一名は逃げたが4名が殺されたという事件であって、殺した側の自警団が被害者を放火犯だと主張しているだけなのである。その根拠も、単にマッチを持っていたとか、真綿などの可燃物を持っていたから、ということに過ぎない。

強盗・傷害

日時 九月一日午後六時頃
場所 本所区中ノ郷付近
犯人氏名 鄭熙瑩
罪名 強盗
犯罪事実 住所氏名不詳の罹災者より数回に衣類諸道具類を略奪し、手車にて吾嬬町請地方面へ運搬の途中取押えらる
目下事実取調中

強盗とは言っても、被災者から衣類や身の回り品を強奪した、という程度の事件。犯人とされた朝鮮人も被災者であり、当時、こうした被災者同士の奪い合いは珍しくなかった。例えば、こちらの記事で紹介した横浜の被災者の手記[7]にも、こんな一節がある。

(略)見舞に来て呉れた人々の話に横浜は端から端まで焼け尽されたと聞いて驚いた。成程昨夜来比附近に避難した被災民は、無慮五万人と語られて居る。中学校は校舎も運動場も、立錐の余地なき群集である。又彼等は雨露を凌ぐ仮小屋を造るに急なりとは言へ、附近の家屋の戸障子と言はず、財物と言はず、手当り次第掠奪をする。比辺に住む人は、実に迷惑をして、之が警視に全く疲れた。往年サンフランシスコの震災の時には、泥棒が多かつた。殊に大きな窃盗や、かつぱらいが、沢山横行した相だが、而も此度の日本人の泥棒振りは、劣等人種である事を遺憾なく暴露して居る。家主が其戸を外されては産婦が寝て居るからと採りすがると「何をおれは焼出されだ。家も無ければ財産もない。貴様等は家がある丈よい。文句を言ふと叩き殺すぞ」と言ひつつ持つて行く。其の面の僧さ加減、実に詞の外である。我々国民として彼等の心理状態を実に情けなく思はずに居られない。親と言はず子と言はず、今尚盛に陋事を行って居る。否、親は子供が他家の物を盗んで来ると褒ほめて居ると言ふ有様、之を見て数育上児童の前途を思へば、将来大に研究を要する事と思はれる。

 実に大正時代の文明的国民と言へるかと云ひたくなる。戦国時代の原始状態に俄に逆転してしまつたものだと思はれる。日本人は果して真実な文化を理解し得る国民であるや、否やを疑はざるを得ない。(略)

 

日時 自九月一日午後十一時 至九月二日午前二時頃
場所 本所区柳島元町一六九番地呉服商中里奥三方
犯人氏名 姜金山外氏名不詳鮮人三十名位
罪名 強盗
犯罪事実 (一) 火災避難の為め混乱せるに乗じ、五、六名にて中里方へ乱入し、店員に暴行を加へ反物類数十点を強奪し、
(二) 次で三十名位一団となり店頭に押し寄せ内十数名、店内に乱入し、土足の儘まま奥座敷及二階に押し上り、店員に暴行を加へ、各一抱位宛ずつ呉服類を強奪す
犯人中姜金山は亀戸署に拘禁せられたるも、前同一事由にて解放せられ目下所在不明

こちらは前の例に比べれば本格的な強盗である。しかし、30人ほどもいた犯人のうち、捕まったのはたった1名、しかもその1名もあの亀戸署から「解放」されて行方不明というのだから、その朝鮮人1名が実在したのかさえ疑わしい。

 

日時 自九月一日午後六時 至同日午後十一時
場所 (一) 本所区押上町一六五番地呉服商牧野弥八方
(二) (文字不明)
(三) 同区柳島元町一六五番地洋食店安田但二方
(四) 同町一六九番地村上興蔵方
犯人氏名 氏名不詳鮮人十五、六名位
罪名 強盗
犯罪事実 大震火災の混乱に乗じ、不逞鮮人団左の掠奪を為す
(一) 十五、六名の一団牧野方避難運搬手伝人なるが如く装ひ、各一抱位宛の反物類を窃取し、
(二) 二名八名四名宛各一団となり三度鹿取方へ侵入し鞄、帽子、足袋其他多数の商品を窃取し用意の南京袋に詰め込持去り
(三) 十数名の一団二度安田洋食店へ侵入し酒食を貧り、乱暴狼藷を極め
(四) 五名一団となり村上方へ侵入し金品を掠奪せんとす

 

日時 九月二日午後二時頃
場所 深川区富川町三五番地高橋勝治方焼跡前人道
犯人氏名 氏名不詳鮮人三名
罪名 強盗傷人
犯罪事実 鮮人三名避難中の高橋勝治を襲ひ兇器を突付け且つ一肩、及手首を掴み左足に切創を負はせ金円を強取せんとしたるも同人の抵抗する処となり強盗の目的を達せず逃走す

これらの事件も犯人が全員氏名不詳であり、朝鮮人だったとする根拠は不明である。そもそも、「大震火災の混乱」の中で日本人が簡単に朝鮮人を見分けられるくらいなら、日本人誤殺事件など起こらなかったはずである。

 

日時 九月二日午後十時頃
場所 南葛飾郡松川字新町三九六二番地四軒長屋裏手
犯人氏名 氏名不詳鮮人一名
罪名 傷害
犯罪事実 榎本豊吉が夜警中四軒長屋右角空家裏手便所脇に佇める挙動不審の一鮮人を発見し提灯を差付けたる処突然棍棒を以て同人の頭額部を殴打傷害し避難池中に逃込み群衆に取押へらる

この朝鮮人「犯人」は群衆に取り押さえられたのに氏名不詳。つまり、殺されたのである。朝鮮人殺害事件が、なぜか朝鮮人による傷害事件にすり替えられている。

 

日時 九月一日午後十二時
場所 横浜市中村町字平楽百十五番地附近
犯人氏名 氏名不詳鮮人一名
罪名 公務執行妨害 傷害
犯罪事実 同行の一鮮人が寿警察署勤務巡査影山辰男に誰何せられ之に応答せざりしが為将に捕へられむとするや被告は突然鋭利なる刃物を以て同巡査の左手甲を刺し負傷せしむ

この犯人も捕まっておらず、朝鮮人とする根拠は不明。なお、同じ事件が横浜市震災誌[8]には次のように記載されている。

 市内八幡橋詰巡査の言に依れば、巡査影山辰雄は九月一日、市内中村町唐澤に於て放火中の鮮人を認め、乏を捕縛せんとして左指を負傷せり。

場所は近隣だが微妙に違い、犯行に至る経緯や状況も異なっており、この事件に関する報告の信憑性には疑問がある。ちなみに、前記「事項調査書」[6]によれば、横浜で発生した火災(計228件)のうち、放火を原因とするものはない。

殺人未遂等

日時 九月二日午後九時頃
場所 南葛飾郡吾嬬町請地京成電車踏切
犯人氏名 崔先卜 金実経
罪名 殺人未遂
犯罪事実 二日夜共に居所を立出で、吾嬬町請地東武鉄道踏切付近に至り崔先卜は氏名不詳の鮮人より拳銃一挺を受取り同所付近京成電車踏切付近警戒中の在郷軍人等に対し該拳銃一発発射し逃走す

 

日時 九月二日午後十一時頃
場所 同町伊藤染工場
犯人氏名 林松致
罪名 殺人未遂
犯罪事実 震災後白磨六連発拳銃一挺及実包二、三十発携帯外出し、二日伊藤染工場屋根上より無抵抗の群衆に対し拳銃数発を発射逃走す。

犯人とされた朝鮮人は逃走し捕まっていないのに、なぜか持ち物や行動などが妙に具体的に記載された不可解な事例。

 

日時 九月二日午後十一時頃
場所 南葛飾郡小松川町荒川放水路堤防上
犯人氏名 氏名不詳鮮人一名
罪名 殺人予備
犯罪事実 印半纏黒ズボン巻脚絆を着し、白鉢巻を為し白鞘を帯び、決死の装を為したる一鮮人、右手に一尺八寸位の抜刀を携へ、多数の罹災者の避難し居たる荒川堤防上に現はれ自警団員の如く装ひ避難者の隙を窺ひ居る中、附近警戒中の稲月啓次郎等に取押へられ、後逃走す

自警団を装った朝鮮人がいたという事例だが、結局逃亡して氏名も分からず、朝鮮人だとする確証もない。そもそも、これが殺人予備罪になるなら、日本刀や竹槍、鳶口を持って徘徊していた自警団員は全員同罪のはずである。

 

日時 九月三日午前九時頃
場所 本所区菊川町十字路付近
犯人氏名 自称 李王源
罪名 毒殺予備
犯罪事実 毒薬投入の目的を有したりと認むべき日本衣を着せる一鮮人、毒薬亜砒酸七、八匁を懐中し、本所区徳右衛門町、菊川町方面焼跡残留者が唯一の飲料水供給所として貴重せる菊川町の水道消火栓附近を彷徨中取押へらる。該鮮人は用向及行先等を秘し殊に亜砒酸を食塩なりと強弁したる為め群衆より強ひて亜砒酸を嚥下せしめられて忽ち悶死す

亜砒酸(三酸化二ヒ素)は、「石見銀山ねずみ捕り」と呼ばれた伝統的な殺鼠剤である。「毒薬投入の目的を有したりと認むべき」というのは一方的な決めつけに過ぎず、群衆に見咎められた朝鮮人が、たまたま所持していた殺鼠剤を無理やり飲まされて殺されたというのが事件の実相だろう。これも、朝鮮人殺害事件の被害者が「毒殺予備」の加害者にされた、すり替え事例である。

ちなみに、亜砒酸は確かに猛毒だが、飲み物のグラスに混入するならともかく、井戸や水道に投じたのでは薄まってしまって効果がない。井戸への投毒に意味がないことは、当時の科学知識からも明白だった。

 

日時 九月二日午後十一時頃
場所 南葛飾郡小松川橋第一二橋中間堤上
犯人氏名 氏名不詳鮮人三十名位
罪名 脅迫
犯罪事実 不逞鮮人三十名位の一団小松川橋第一二橋間の堤上に縄を張り、軍務を帯び通行の陸軍野戦重砲兵第七聯隊第一中隊長代理陸軍中尉高橋克己、乗用「サイドカー」付自動自転車を阻止し、各自棍棒を手にし之を包囲し将に同中尉に対し危害を加へんとしたるも、一二問答中突如自転車爆進したる為め危害を加ふるに至らず

自警団による朝鮮人狩りが行われていた真っ最中に、朝鮮人の一団が交通を遮断し、通りかかった軍人を襲おうとしたという不可解な事件。これも犯人を朝鮮人とする根拠が不明であり、この集団は日本人の自警団だった可能性が高い。実際、警視庁編『大正大震火災誌』に収録された亀戸署の活動報告中に、次のような記載がある[9]。

 九月二日午後七時頃、「鮮人数百名管内に侵入し、強盗・強姦・殺裁等暴行至らざるところなし」、との流言行はるると同時に、小松川方面に於て警鐘を乱打して非常を報ずるあり、事変の発生せるものの如くなれば、古森署長は軍隊の援助をもとむると共に、署員を二分し、一隊をして平井橋方面に出動せしめ、自ら他の一隊を率ゐて吾嬬町多宮原に向ひしに、多宮原に避難せる凡二万の民衆は流言に驚きて悉く結束し鮮人を索もとむるに余念なく、闘争・殺傷所在に行われて騒擾の街ちまたと化したれども、遂に鮮人暴行の形跡を認めず、即ち付近を物色し鮮人二百五十名を収容して之を調査するに亦得る所なし、而て民衆の行動は次第に過激となり、警察官及び軍人に対してまで誰何すいか訊問を試み暴挙に出んとせり。然るに鮮人暴行の説が流言に過ぎざること漸ようやく明かとなりたれば、同三日以来其旨を一般民衆に宣伝せしも肯定する者なく、自警団の凶暴はさらに甚しく鮮人の保護収容に従事せる一巡査に瀕死の重傷を負はしめ、又砂村の自警団員中の数名の如きは、良民に対して迫害を加えたる際、巡査の制止せるを憤り之を傷付けしかば、直に逮捕したるに、署内の留置場に於て喧騒を極め、更に鎮撫の軍隊にも反抗して刺殺されたり。(略)

爆発物関連等

日時 九月二日午後八時頃
場所 南葛飾郡荒川放水路本田橋際堤上
犯人氏名 呉海模
罪名 爆発物取締罰則違反
犯罪事実 大震火災の為の混乱中、爆発物「ダイナマイト」十一箇、雷管十五箇、導火線五本を所持し、本田橋際堤上「トロ」車上に於て逮捕せらる。
目下予審中

当時開削工事中だった荒川放水路の河川敷で工事用のトロッコの中に寝ていた朝鮮人が自警団に見つかった際、その場にダイナマイトもあったというだけの「事件」[10]。起訴されたものの、ダイナマイトを使って危害を与えようとする意志は立証できず(当たり前である)、単なる爆発物取締規則違反(それでさえこの被告人の責任ではないはずだが)として判決が下されている[11]。

 

日時 九月二日
場所 北豊島郡南干住町字南千住鉄道線路内
犯人氏名 卞奉道
罪名 銃砲火薬取締罰則違反
犯罪事実 鮮人卞之泳より貰受けたる山桜印「ダイナマイト」二箇を同居先南千住張尚杢方に蔵置し二日同所附近鉄道線路に持ち出し、遺失したり。公判中

所持していたダイナマイトを鉄道線路上で《紛失した》という不可解な事件。

 

日時 九月三日午前六時頃
場所 日本橋区両国橋西袂
犯人氏名 氏名不詳鮮人一名
罪名 爆発物取締罰則違反
犯罪事実 近衛歩兵第一連隊陸軍歩兵二等卒浦谷善次が両国付近巡察中、両国橋袂に於て警官二名に追はれ逃走し来りたる一鮮人を取押へんとしたる処該鮮人は所持の鉄棒を以て浦谷二等卒に抵抗せる上、右快より爆弾を取出し投付けんとしたるより射殺せらる

兵隊に射殺された朝鮮人が爆弾犯にされている事例。そもそも、鉄棒で抵抗できるような至近距離で爆弾が炸裂したら自分も巻き込まれるわけで、本当に爆弾を所持していたのかも不明である。

 

日時 九月二日午後十二時頃
場所 南葛飾郡瑞江村下江戸川橋
犯人氏名 氏名不詳鮮人一名
罪名 橋梁破壊
犯罪事実 下江戸川橋を破壊せんとし鉄棒を以て同橋々柱を破壊中、警備中の騎兵第十五聯隊付騎兵軍曹坂本朝光及同一等卒長沼団十郎等に発見、射殺せらる

これも、朝鮮人を射殺した後、抗弁できない死者に犯罪を押し付けている事例。たった一人で、鉄棒をふるって橋を破壊しようとするなど、非現実的と言わざるを得ない。

流言蜚語

日時 九月二日午後十一時頃
場所 南葛飾郡吾嬬町大字木の下一八一番地附近道路
犯人氏名 氏名不詳鮮人一名
罪名 流言蜚語
犯罪事実 大震火災の為め混乱に陥りたる吾嬬町道路に於て「海嘯々々」と連呼疾走し虚報を伝へて民心を擾乱す。一旦取押へられたるも後、逃走す

 

日時 九月三日午前二時頃
場所 南葛飾郡吾嬬町請地東武鉄道線路上
犯人氏名 氏名不詳鮮人一名
罪名 流言蜚語
犯罪事実 東武鉄道線路上に睡眠せる避難者の枕辺に水を注ぎ掛け「海嘯々々」と連呼、亀戸方面に疾走せる為め一大混乱を惹起す

これらも犯人が捕まっておらず、朝鮮人だったとする根拠は不明。最も許しがたいのは、流言蜚語の最大の被害者である朝鮮人にその責任を押し付けようとしている点である。

なお、警視庁編『大正大震火災誌』には、海嘯(津波)に関する流言として以下のものが記載されている[12]が、上記2例は見当たらない。また、「朝鮮人による海嘯連呼」が、それ自体流言として記録されている点が注目される。

日時

流言内容(採集場所)

1日13時頃

東京湾に猛烈な海嘯襲来する。

14時頃

海嘯将に来らんとす(日本橋・久松)

2日14時頃

海嘯襲来す(本所・相生)

17時頃

朝鮮人110余名寺島署管内四ツ木橋付近に集まり、海嘯来ると連呼しつつ凶器で暴行、あるいは放火する者あり。

3日12時頃

海嘯将に来らんとす(本所・向島)

13時頃

東京湾沿岸に大海嘯ありて被害甚し(小石川・富坂)

窃盗他

以上見てきたように、殺人、強姦、放火、強盗といった重大な「朝鮮人の犯罪」では、事件の存在自体が怪しいか、犯人が捕まっておらず朝鮮人だとする根拠も不明であるか、あるいは現場で「犯人」が殺されていて犯意を確認しようがないなど、いずれも司法省の主張する内容の信憑性は低い。

ところが、窃盗、拾得物横領(ネコババ)、贓物(盗品)運搬といった軽微な犯罪になると様相が違い、ほとんどの事件できちんと容疑者が捕まり、起訴もされているのだ。以下、簡単にまとめてみる。

日付

場所

氏名

犯行内容

9/1 神田 韓竜普 帽子1個を拾得、金17円77銭を窃取
9/1 下谷 白七竜 懐中時計ほか10点を窃取
9/1 本所 宋在宣 羽二重襦袢ほか9点を窃取
9/1 浅草 金性守 金側懐中時計1個ほか17点、がま口4個ほか数点を窃取
9/1 南千住 鄭徳元 洋傘32本ほか1点を窃取、19円60銭等在中のがま口1個を拾得
9/1 本所 金大茎
金徳俊
盗品衣類100点を運搬
9/1,2 浅草 崔孟泆 女物袷1枚ほか数点を窃取
9/2 府下吾妻町 南圭元 衣類2点在中の紙包みを窃取
9/2 府下金町村 盧鉉斗 匕首一振(遺失物)を窃取
9/2 本所 崔京吉 金75円ほか雑品8点を横領
9/2 横浜
海神奈川駅
氏名不詳
4名
貨車内の貨物を窃取しようとしたが未遂
9/2 横浜
海神奈川駅
氏名不詳
約20名
貨車より綿布筵包み1個、砂糖袋約半貨車を窃取
9/2 横浜
海神奈川駅
氏名不詳
十数名
貨車より反物三四十反、鰹節若干を窃取
9/2 横浜市内焼跡 李郷宰 焼銭1円78銭を窃取
9/2 横浜市内焼跡 姜鳳禹 焼銭98円16銭5厘を窃取
9/2 横浜市内焼跡 李竜雨 焼銭3円14銭を窃取
9/2 横浜税関 金東山 大巾羅紗5尋、毛糸10捨等窃取
9/3 横浜市根岸町 全長吾 自転車1輌、衣類数点を窃取

これはいったいどういうことなのか?

最も合理的な説明は、これらの軽微な犯罪だけが実際に行われた「朝鮮人の犯罪」であり、殺人強姦その他の重大犯罪は臨時震災救護事務局警備部による協定に従って「風説を事実として出来る限り肯定」した結果作り出された、実体のない(または日本人の犯罪を朝鮮人に押し付けた)ものだったから、というものだろう。

東京地方裁判所の南谷智俤検事正は、9月8日頃、朝鮮人の犯罪に関して次のような見解を述べている[13]。

今回の大震災に際し、不逞鮮人が帝都に跋扈ばっこしつヽありとの風説に対し当局に於ても相当警戒調査してゐるが、右は流言蜚語行はれてゐるのみである、七日夕刻まで左様な事実は絶対にない、もちろん鮮人の中には不良の徒もあるから、警察署に検束し、厳重取調べを行つてゐるが、あるいは多少の窃盗罪その他の犯罪人を出すかも知れないが、流言のやうな犯罪は絶対にないことヽ信ずる云々

南谷検事正は、警備部のまとめた協定については知らなかったのだろう。だから正直に、実際の捜査状況をそのまましゃべってしまったのである。

[1] 姜徳相・琴秉洞 『現代史資料6 関東大震災と朝鮮人』 みすず書房 1963年 P.79-80
[2] 同 P.420-426
[3] 金富子 『関東大震災時の「レイピスト神話」と朝鮮人虐殺』 大原社会問題研究所雑誌 2014年7月(669)号 
[4] 加藤直樹 『九月、東京の路上で 1923年関東大震災ジェノサイドの残響』 ころから 2014年 P.74
[5] 関東大震災時に虐殺された朝鮮人の遺骨を発掘し追悼する会 『風よ 鳳仙花の歌をはこべ』 教育史料出版会 1992年 P.49-54
[6] 姜徳相・琴秉洞 P.372-391
[7] 横浜市役所市史編纂係 『横浜市震災誌』 第五冊 1927年 P.592-593
[8] 同 第四冊 1927年 P.34
[9] 警視庁編 『大正大震火災誌』 1925年 P.1243
[10] 「朝鮮人虐殺はなかった」はなぜデタラメか その6「悪いことをした朝鮮人もいた」のか
[11] 山田昭次 『関東大震災時の朝鮮人虐殺 ― その国家責任と民衆責任』 創史社 2003年 P.95
[12] 中央防災会議 『1923関東大震災報告書(第2編)』 2008年 流言蜚語と都市
[13] 山田昭次編 『朝鮮人虐殺関連新聞報道史料 別巻』 緑陰書房 2004年 P.335

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