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多摩川の猫 ― あるいは、同じ場所にいても見えるものは人によってまったく違うということ

 

ASCII.jpの連載で、“這いつくばって猫に近づけ”というシリーズがある。さまざまなデジカメやスマホを駆使して、「この愛すべき動物を、いかに可愛く撮影するか。猫写真家の荻窪氏がそのテクニックを伝授する」という趣旨の連載である。

最初に断っておくが、私は荻窪氏やこの連載を批判するつもりは毛頭ない。これはこれでいいのである。ただ、タイトルのとおり、同じ場所にいても(あるいは たとえ同じものを見ていても)経験と意識の持ち方によって、そこで見えてくるものはまったく違う、ということを言いたいのだ。

撮影はほとんど屋外で行われているので、写っている猫たちの多くは、街の人々に世話してもらっている地域猫か、あるいは野良猫だろう。

 

このシリーズには時々、多摩川河川敷が撮影場所として登場する。例えば、次のような記事である。

ここに写っている猫たちは、みなのんびりと気ままな暮らしを楽しんでいるように見える。しかし、河川敷での野良猫の生活がそんな甘いものであるはずがないのは、ちょっと考えれば想像がつくはずだ。

 

一方で、多摩川の猫たちを長年撮り続けている小西修氏という写真家がいる。小西氏夫妻は、多摩川で暮らす不遇な猫たちと、そうした猫たちを見捨てることができずに餌を与え、一緒に暮らしている野宿者の方たちへの支援を続けている。

小西夫妻の活動は、『ひとりと一匹たち 多摩川河川敷の物語』として、2009年、ETV特集で放送された:

写真家、小西修が多摩川にすむ猫を撮影しはじめて16年になる。河川敷に捨てられた猫たちが懸命に生きる姿に心ひかれてきた。小西にとって猫とつきあうことは、ホームレスとつきあうことでもある。ほとんどすべての猫は、ホームレスとなった人々が世話をしているからである。

東京と神奈川の境界を流れる多摩川。その河川敷に暮らすホームレスは、およそ900人、全国の河川の中でも最多である。もう10年近くテント小屋で暮らす60代、最近、急増した30代・40代のホームレス・・・。けがや不況、人間関係の挫折、ホームレスになった理由はさまざまだ。彼らは社会からはじき出された自分と重ね合わせるように、捨てられた猫に愛情を注いでいる。

今、世界不況の波が河川敷を襲っている。ホームレスの多くは空き缶を集めて売り、生活の糧を得ているが、その空き缶の相場は、去年秋に比べ、4分の1にまで下落した。河川敷の世界も、かつてない危機にみまわれているのだ。その中で、ホームレスたちは、新しい仕事を探し、自分の食費を切り詰めながら、猫たちの餌を確保しようとしている。

ホームレスたちは河川敷暮らしを“丘から川に降りる”という。そして、一度降りると、“丘”に上がるのは、物理的にも精神的にも困難だ。ある30代のホームレスは、“丘”について“なんか怖いのだ”と語る。競争原理が支配する“丘”の世界、不要になった生き物を壊れた玩具の様に捨てていく“丘”の世界。そこは川に降りた者たちの目に、どのように映っているのだろう。番組では、小西さんと一緒に多摩川を歩き、猫とホームレスの秋から冬にかけての数か月を取材する。“ひとり”たちと“一匹”たちの悲しくも優しい物語、そこからは弱者の存在を許さない社会の様が浮かび上がってくる。

 

小西夫妻のブログ「多摩ねこ日記」には、そうした日々の活動が記録されている。正直言って、読むのが辛い内容である。最近のエントリーからいくつか紹介する。

2015/8/5

河川敷は多湿なこともあり、暑さも相まって重い熱風のなかを歩いているようでした。3匹の猫のお世話をしている Yさんの所にも寄ってみました。それなりに元気そうには見えましたが、やはり体力のない子猫は鼻気管炎に苦しんでいました。すぐに投薬を済ませてから普段の子猫の様子を聞いてみました。まだ食欲があるので、このまま薬を続ければ大丈夫だと判断しました。(略)

昨今は夜になると今まで見たことのない猫がおぃちゃんの周囲を彷徨っているそうです。どうやら複数の成猫が捨てられている様子です。話している途中で「お、急がなきゃ」とおぃちゃんは思い立ったように回収した戦利品を売りに行きました。
明日の猫のフードと自分用の豆腐を買うためなのです。

2015/8/14

一昨日に続きカラコがいた場所の猫たちに会いに行きました。暑さで地面からの湿気と蒸し返すような熱気が顔まで届いてきます。しゃがむだけで地面からの熱がなおよく伝わってきます。お腹が空いていたのでしょう。どの猫も奪いとるように大量のフードを平らげました。

一匹の三毛猫が随分と蚊に刺されています。警戒心は強いのですが、食べている最中にごまかしながら手早く薬(dermolisan) を塗っておきました。水入れの水も50℃くらいはあったでしょうか。幸いにも近くに水道があるので、冷たいものと変えて次に移動しました。

約2kmほど移動するとフジワラサンに会えます。おぃちゃんが面倒を見ている猫ですが、ここに足を運ぶ方が名付けたのだそうです。たまたまクルミの大きな木がそばにあることから、猛暑のときは日影に入れるのです。穏やかな性格の猫ですが、過酷な多摩川の夏の真っ只中、食欲はどうしても落ちてきます。それでも、フジワラサンのように水を飲める環境にいる猫はまだ幸せなほうです。

2015/9/8

不安定な天候が続くせいか、子猫や老猫は体調を崩しているのものが目立ちます。多摩川の雨の日の夜などはけっこうな寒さですから、その影響もあるでしょう。

他の場所で給餌・治療をした帰りにミミのおぃちゃんとすれ違い声をかけられました。おぃちゃんはアルミ缶を売りに行こうとしていたところでしたが、足を止めて「うちのチビの様子がおかしいんだ」と言って私を呼び止めたのです。(略)

食欲がないと聞いていたのですが、私が持参したウェットフードは実によく食べてくれました。投薬をしてしばらくはそれを続け、様子を見ることにしました。(略)

チビは7月下旬に捨てられ、河川敷にある水道に水汲みに来たおぃちゃんに助けられた猫です。暑さ厳しいときだったようで、その時におぃちゃんが来なければ今の命は無かったことでしょう。

2015/9/16

巡回の初っぱなにハンペラのおぃちゃんの所に行きました。おぃちゃんの小屋は今回の台風の影響による増水で約30cmの冠水だったようです。小屋の外壁には水かさの跡が残っています。おぃちゃんの私物には大きな被害はなかったようです。

でも、悲しいことに3代目イシマツが9日夜に増水した濁流に流されてしまいました。深夜、ゴーゴーと音を立てて一瞬にして増水した水にのみ込まれたのです。外に居たのです。

相棒のオニシチは小屋の中に居たために助かりました。猫は昼夜問わず専用の入り口から出入りするので、ほんのちょっとした運命の別れ道でした。(略)

過去にいちばん猫が多かったときは15匹くらいいました。でも、今はオニシチ1匹になってしまいました。

 

とても同じ多摩川の話とは思えない違いだ。(ここでは引用しなかったが、実際にはもっとひどい話もたくさんある。)

誰もが小西夫妻のような活動ができるわけではない。それは当然だ。しかし、身近な場所にこんな現実があることを知れば、普段の生活の中で見えるものも違ってくる。そして、見えるものが違えば、取れる行動も違ってくる。

たとえば、可愛い猫の写真や動画を見てどうしても飼いたくなったとき、ペットショップに子猫を買いにいくのではなく、保護された猫たちの譲渡会に行って里親として引き取ることもできるし、周囲で猫を飼いたがっている人にそうするよう勧めることもできるだろう。そして、そうした小さな行動の積み重ねが、きっと河川敷に遺棄される不幸な猫たちの数を減らすことにもつながっていく。

 

多摩川猫物語    それでも猫は生きていく

多摩川猫物語 それでも猫は生きていく