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小林よしのり徹底批判(5)続・ガンディーには見抜かれていた

小林よしのりは、ガンディーに関してこんなことを書いた[1]。デタラメなのは調べればすぐ分かることだが、『戦争論』を読んでのぼせ上がるようなちょろい読者がそんなことをするはずはないと分かっていたからだろう。

日本が白人を追い散らした時

インドのガンジーも チャンドラ・ボース

インドネシアスカルノ

ビルマのアウン・サンも

みんな大喜びしたのだ

アジア人が白人と戦って勝てるのだと!

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ガンディーが日本軍を歓迎などしていなかったことはこちらの記事でも説明したが、念のためガンディー自身の書いたものから追加で紹介する。

まず、ガンディーが「非常に親日的な決議草案文書」を書いたと小林が主張する1942年4月に『ハリジャン』紙に掲載された論評「非暴力の抵抗」[2]:

 日本軍がわれわれの戸口にまで迫って来ている。非暴力の手段をもって、われわれは何をなすべきだろうか?(略)非暴力の抵抗者は、彼らにどんな援助をも、水さえも与えることを拒否するだろう。なぜなら、他人が自分の国を盗むのを手伝う義務はいっさいないのだから。けれども、もし一人の日本兵が道に迷い、渇きのために死にそうになって、一人の人間として助けを求めるならば、いかなる者をも敵とみなすことのない非暴力の抵抗者は、渇ける者に水を与えるだろう。いっぽう、もし日本軍が水を与えよと強要するならば、抵抗者たちはあくまでも抵抗して死ぬにちがいない。彼らは抵抗者を皆殺しにすることも考えられる。けれども、このような非暴力の抵抗の根底には、侵略者もやがては精神的に、あるいは肉体的にも、非暴力の抵抗者を殺害するのに飽きるだろうとの信念が潜んでいるのである。(略)けれども抵抗者たちは、日本人が全く無慈悲で、どれだけの人間を殺しても平気でいるのを見ることになるかもしれない。それでもなお非暴力の抵抗者は、屈従よりも全滅を選ぶだろうから、かならずや最後の勝利をかち得るだろう

(略)

 終わりに四番目のグループは、非暴力の抵抗者たちである。彼らの数がほんのひと握りしかないとしたら、彼らの抵抗は、未来への鑑かがみとして意味をもつほかは効果はないだろう。このような抵抗者たちは、いつどこでも平静な心をもって死んでゆくだろうが、侵略者の前にひざまずくことはないだろう。彼らは甘い約束事にだまされるようなことはないだろう。また第三者の助けをかりて、英国の軛から解放されることを求めたりはしない。彼らは自らの闘いの方法に絶対的な信念をもち、他の方法を顧みることはない。彼らは、おそらく解放というようなものがあるとも知らないような、幾百万の物言わぬ民衆に代わって闘っているのである。そして、イギリス人には憎悪を、日本人には特別な愛情をもつというようなことはしない。彼らは他のすべての国民に祈るように、両者にも幸多かれと祈る。すなわち彼らは、両者に正しいことをなしてもらいたいと願うのである。どんな環境のもとでも、非暴力のみが人間に正義をなさしめるものであることを、彼らは信じている。それゆえに、十分な数の同志が得られないために、非暴力の抵抗者たちが目的を達成できなくとも、彼らはその道を放棄することなく、ひたすら死に至るまで追求するだろう。

(略)

こちらはその三ヶ月後(同年7月)に『ハリジャン』紙に掲載された有名な論評「すべての日本人に」(前回掲載分に追加して再掲)[3]:

 最初にわたしは、あなたがた日本人に悪意をもっているわけではありませんが、あなたがたが中国に加えている攻撃を極度にきらっていることを、はっきり申し上げておかなければなりません。あなたがたは、崇高な高みから帝国主義的な野望にまで堕してしまわれたのです。あなたがたはその野心の実現に失敗し、ただアジア解体の張本人になり果てるかもしれません。かくして、知らず知らずのうちに、あなたがたは世界連邦と兄弟愛――それらなくしては、人類に希望はありえないのですが――を妨げることになるでしょう。

(略)

 こうした楽しい思い出を背景にもっておりますだけに、わたしにはどうしても理由のないものに思われるあなたがたの中国に対する攻撃のことや、報道が信頼できるなら、あの偉大な古い歴史をもつ国土をあなたがたが無慈悲にも蹂躙していることを思うたびに、わたしは深い悲しみをおぼえます。

 世界の列強と肩を並べたいというのは、あなたがたのりっぱな野望でありました。けれども、あなたがたの中国に対する侵略や枢軸国との同盟は、たしかに、そうした野心が昂じた不当な逸脱だったのです。

 その国の古典文芸をあなたがたが摂取されてきた、あの偉大な古い国の民族があなたがたの隣人であるという事実に、あなたがたが誇りを感じていられるものとばかり思っていました。お互いの歴史・伝統・文芸を理解し合うことは、あなたがた両国民を友人として結びつけこそすれ、今日のように敵同志にするはずはありません。

 もしわたしが自由な身であったなら、そして貴国を訪れることが許されますなら、わたしの体力は弱ってはいますが、わが身の健康を、いや生命をも賭してあなたがたの国に赴き、あなたがたが中国に対して、世界に対して、ひいてはあなたがた自身に対して行なっている罪悪をやめるよう懇願するでありましょう。

(略)

 しかしこの闘いには、外国からの援助を必要とはしません。聞くところでは、あなたがたのインド攻撃が差し迫っているというこのまたとない機会をとらえて、わたしたちが連合国を窮地に追いやっているというふうに伝えられているそうですが、それは由々しい誤報です。もしわたしたちがイギリスの苦境に乗じて好機をつかもうと思っているのなら、すで三年前大戦が勃発すると同時に、行動を起こしていたはずです。

(略)

 あなたがたが、もしインドから快く歓迎されるものと信じていられるなら、幻滅の悲哀を感じることになるだろうという事実について、思い違いのないようおことわりしておきましょう。イギリスの撤退を要求する運動の目的と狙いは、インドを解放することによって、いわゆるイギリス帝国主義であろうと、ドイツのナチズムであろうと、あるいはあなたがた日本型のものであろうと、すべての軍国主義的・帝国主義的野心に抵抗する準備をインドがととのえることにあります。もしわたしたちがそれを実行に移さなければ、わたしたちは、非暴力こそ軍国主義精神や野心の唯一つの解毒剤であることを信じていながら、世界の軍国主義化をただ傍観しているだけの卑怯者になり果てるでありましょう。(略)

 わたしたちのイギリスへの訴えには、インドに連合国の軍隊を駐留させてもよいという自由インドの意向も合わせて述べられています。その提案は、わたしたちに連合国の大義を傷つけるつもりは毛頭ないことを明らかにするためと、イギリス人が撤退した後、この国に乗り込みさえすればよいというような誘惑を、あなたがたに誤って抱かせないようにするためでした。ここにくりかえすまでもありませんが、もしあなたがたがなにかそのような考えを抱いて、それを実行に移すならば、わたしたちは国をあげて力を結集し、かならずあなたがたに抵抗するでありましょう。(略)

 あなたがたからわたしの訴えに応えを期待するのは、イギリスから応えを得るよりもはるかに望み薄です。イギリス人は正義感を失ってはいませんし、また彼らのほうでもわたしを知ってくれていると思います。わたしは、あなたがたを判断できるほどよく存じ上げてはおりません。これまでわたしが読んだすべてのものは、あなたがたはいかなる訴えにも耳を傾けようとはなさらない、ただ剣にのみ耳をかす民族だと語っていますそのように考えるのはあなたがたをはなはだしく誤解していることでありますように、そして、わたしがあなたがたの心の正しい琴線にふれることができますようにと、どんなにか念じていることでしょう! ともかく、わたしは人間性には相反応し合うものがあるとの不滅の信念を抱いています。その信念の力のゆえに、わたしは、インドでいまにも乗り出そうとしている運動を考えています。そして、あなたがたにこの訴えをするようわたしをうながしたのも、他ならぬその信念です。

ガンディーはいかなる外国の力も借りず、非暴力不服従の闘いによってインドの解放を達成することに生涯を賭けた人である。そのガンディーを、日本軍が勝っているときはこれを歓迎し、負けだすと手のひらを返したかのように描くのは、ガンディーに対するひどい侮辱である。

[1] 小林よしのり 『新ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論』 幻冬舎 1998年 P.31
[2] マハトマ・ガンディー(森本達夫訳)『わたしの非暴力2』 みすず書房 1997年 P.30-32
[3] 同 P.33-38

 

わたしの非暴力〈1〉 (みすずライブラリー)

わたしの非暴力〈1〉 (みすずライブラリー)

 
わたしの非暴力〈2〉 (みすずライブラリー)

わたしの非暴力〈2〉 (みすずライブラリー)