今日、TLにこんなツイートが流れてきた。アニメ映画『この世界の片隅に』を見て、当時同じ呉にいた祖母から聞いた話を思い出した、という内容だ。
この世界の片隅に。視聴後、実際同じ昭和20年に呉にいた祖母の話を軽くまとめました。
— 神野佑樹 (@TDO_YKamino) 2016年12月6日
「海軍出発式と食事」です。
※祖母からの伝え聞きなので、表現が違う場所もあります。 pic.twitter.com/qQwGzqiHfP
学徒動員の工場労働による疲労と空腹でヘロヘロになっていたお祖母さんは、出征する水兵たちに与えられる食事が羨ましかったという。しかしそれは、二度と帰らなかった水兵たちが食べた、恐らくは最後のご馳走だった。
このツイートを見て、私はこんな話を思い出した。日中戦争のはじめ、地獄の上海戦を生き延びた三好捷三氏の手記『上海敵前上陸』に出てくる話だ。
三好氏は、上海戦に続く南京攻略戦の途中でマラリアとアメーバ赤痢で動けなくなり、ちょうど南京が陥落した日に、病院船で内地に送還された。この船で、氏は重傷を負った一人の若い兵士と同室になった[1]。
私が船室に帰ると、横に瀕死の重傷を負った若い兵隊が眠っていた。彼は内地までもつだろうかと考えると、この兵隊があわれでならなかった。やがて看護婦が食事を運んできて一人一人の患者の前においていった。その夕食は飯盒ではなく、兵営のメンコ (アルミ製の食器) でもなく、一人一人膳にのせられており、目をみはるようなご馳走であった。膳の上には二十センチ以上もある鯛の塩焼きがのっていた。鯛のほかにも数皿があり、とうてい一人では食べきれないほどである。
上海に来るときの輸送船では麦めしと切干し大根だけの毎日であったが、わずかに百日後、病気になって帰る兵隊には山海の珍味である。どちらも同じ兵隊なのに、行きと帰りではこうもちがうのかと、私は不思議に思った。
この膳が出てきたとたん、私の横で眠っているとばかり思っていた重傷の若い兵隊が、身体を起こした。彼はハシをとろうとするのだがなかなか思うようにならない。私は見るに見かねて、その兵隊にハシをもたせてやった。
「おまえ、そんなに苦しそうなのに、メシを食っていいのか」
私がこうたずねると、その兵隊は声もたえだえにいった。
「はい、死んでもよいと思います。目の前にこんなご馳走をならべられて、食べなかったら死にきれません。死んでもよいから食べます」
こういって、おぼつかない手つきで少し食べていたが、すぐハシをおいて横になってしまった。この若い兵隊は、夜あけとともに故国の土をふむこともなく死んでいった。
この豪華な食事は、南京占領を祝してのご馳走だったのだろう。上海に送り込まれた兵たちは、行きの船では麦飯と切り干し大根しか与えられず、上陸後はほとんど補給もないまま戦わされて死んでいった。かろうじて生き延びたこの若い兵士も、せっかく目の前に置かれた最後の夕食を、満足に食べることもできずに死んだ。
[1] 三好捷三 『上海敵前上陸』 1979年 図書出版 P.216