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写真の誤用ひとつで本多勝一に勝ったと信じ込むネトウヨの脳内勝利法

本多勝一は嘘つき?

当ブログでは、被害者証言の引用などでしばしば本多勝一の著書を参照する。

すると、こんな反応が飛んでくる。

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本多勝一は嘘つきであり、だからその著書など信用に値しないと言いたいらしい。

この人が本多氏を「嘘つき」だという根拠は何なのか。リンク先の「ぼやきくっくり」というブログでは、本多氏の著書に掲載されている写真の一枚が「捏造」だとして非難している。

 先日ツイッターでも紹介しましたが、週刊新潮9月25日号にて、「中国の旅」の著者で元朝日新聞記者の本多勝一が、「南京大虐殺」派が使っていた象徴的写真を捏造写真であることを認めました

この話の元ネタは、週刊新潮2014年9月25日号掲載の記事 『伝説の記者「本多勝一」が“誤用”を認めた「南京事件」捏造写真』 だ。

 笑顔の日本兵と一緒に、少年少女、防空頭巾をかぶった女性もまた笑顔で橋を渡る――。

 上の写真のキャプションには〈我が兵士に護られて野良仕事より部落へかへる日の丸部落の女子供の群〉とある。朝日新聞社が発行していた『アサヒグラフ』1937年11月10日号に掲載された1枚である。

 そして、同じ写真が72年発行の『中国の日本軍』という書籍に使われている。著者は、当時、朝日新聞が誇るスター記者だった本多勝一氏(82)。だが、そのキャプションには、〈婦女子を狩り集めて連れて行く日本兵たち。強姦や輪姦は七、八歳の幼女から、七十歳を越えた老女にまで及んだ〉とあるのだ。

(略)

 本多氏に問い合わせると、文書で回答が寄せられた。

「『中国の日本軍』の写真説明は、同書の凡例に明記してあるとおり、〈すべて中国側の調査・証言にもとづく〉ものです。(略)『中国の日本軍』の写真が、『アサヒグラフ』に別のキャプションで掲載されているとの指摘は、俺の記憶では初めてです。確かに『誤用』のようです」

 伝説の記者が誤用を認めた。

『中国の日本軍』における写真の誤用

虐殺の現場写真でもなんでもないこの写真が「「南京大虐殺」派が使っていた象徴的写真」だとは思えないが、これがもともと『アサヒグラフ』1937年11月10日号に掲載された、従軍記者撮影の写真であることは事実である。

この写真を南京市当局が南京大虐殺関連写真として収録し、それを本多氏が『中国の日本軍』にキャプションも含めそのまま転載した[1]。当時(1970年代)中国側の写真検証はかなり甘く、出所のはっきりしない「それらしい」写真を安易に南京大虐殺関連のものとして採用する傾向があった。(現在は改善されている。)その意味では確かに誤用ではある。

戦場の現実に近いのはどちらか

だが、これだけなら単なる写真一枚の誤用に過ぎない。本多氏を「捏造」「嘘つき」と言うためには、写真に付されたキャプションも含めて、南京戦当時の日本のプロパガンダ報道こそが正しく、強姦・虐殺が続発したとする本多氏の著書はデタラメだと証明する必要がある。

では、当時の実相はどうか。南京戦に従軍した日本軍兵士自身の証言[2]を見てみよう。

第16師団歩兵第33連隊第1大隊 兵卒(階級不明):

 掃蕩する時、家を一軒一軒まわり女の子を見つけるとその場で強姦した。(略)何人ぐらいしたか覚えていないけど、印象に残るのは逃げている母と娘を捕まえた時、母親は我々に娘は小さいから自分をやってと頼んだ事だった。我々は「アホカー」と母をふりはらった。やる時は二、三人で行ってやる。もちろんやる時悪いと思ってたし、逆に日本がやられ自分たちの子ども、あるいは女性がやられたらどうなるかを考えたこともある。それでも、自分もいつ死ぬか分からない状況なので、生きている間に、天皇の命令とかは関係なくて自分がやりたいことをした。そんなことは当たり前になった。(略)南京城内ではなく郊外では、憲兵に見つかったらうるさいから女の人を殺したりした(略)

第16師団歩兵第33連隊第3大隊 伍長:

(強姦は)そこら中でやっとった。つきものじゃ。そこら中で女担いどるのや、女を強姦しとるのを見たで。婆さんも見境なしじゃ。強姦して殺すんじゃ。もう無茶苦茶じゃ。

 陥落して二日ばかりたったころじゃ。下関あたりに徴発に出たときじゃ。民家のあるとこに米や食べ物を徴発したんじゃ。そんな時に女も徴発するんじや。家の長持ちの蓋を開けると中に若い嫁さんが隠れとったんじゃ。纏足で速く逃げられんで、そいつを捕まえて、その場で服を脱がして強姦したんじゃ。ズボン一つでパンツみたいな物は穿いておらんで、すぐにできた。やった後、「やめたれ」て言うたんやけどな、銃で胸を撃って殺した。暗黙のうちの了解やな。後で憲兵隊が来て、ばれると罪になるから殺したんじゃ。それを知っとるさかい、やった後、殺すんじや。

(略)十人おって九人まで強姦しとらん者はおらん。自慢話にもなっとる。

(略)

 街の中でも女が隠れとる所を良く知っとるわ。若いもんも、お婆あも、みんなやった。それからばれたらまずいから殺すんじゃ。南京に入る前から、南京に入ったら女はやりたい放題、物はとりたい放題じゃ、と言われておった。「七十くらいのお婆あをやった。腰が軽うなった」と自慢しよる奴もおった。(略)慰安所作っても強姦は減らんわ。(略)街に行ったら“ただ”やからな。

第16師団歩兵第33連隊第3大隊 一等兵:

(略)腹へってくたくたになっても女を見るといきり立って捕まえよったわ。恥ずかしいからもうこれ以上言わさんでや……。部隊のもんはみんなやっとたわ。黙認じゃ。女は殴って、殴って半殺しにしたわな。抵抗されるからじゃ。若い女は腰振って入れさせんようにするからじゃ。嫁〔既に結婚している女性〕はやりやすかったわな。恥ずかしいからこれ以上は勘弁してください。

 抵抗するから殴りつけたんじゃ。させたもんは殺しはせんかったが、させんもんは殺したわな。

(略)

 戦友が戦死すると、復讐心が出て、中国人に酷いことやるようになったわな。(略)家に入っていって親に女を出せと言うたんやが、出さんかったから殺したんじゃ。殺した後、娘が飛び出してきてな、バッと捕まえてみんなでやったわ。六人くらいでやったかな。娘は死んだようになっとったわな。かわいそうなんか思わんかった。「恨むなら蒋介石を恨めよ」ってな具合じゃだった。徴発でも女でも、「蒋介石が悪い」と思うとった。

(略)(強姦した中国の女性は)十人じゃきかんわさ、三十人くらいじゃろうか、ようは覚えとらん。それは勘弁してくれ……。第一線部隊はそんなもんじゃ。第一線部隊は非情な部隊じゃ。討伐しに行ったら女漁りさね。討伐はいきなり襲うんで、女は逃げることできんから、よう捕まえたわ。これが目的みたいなもんじゃった。(略)

第16師団歩兵第33連隊第2大隊 兵卒(階級不明):

 南京では、暇でほかに何もすることないから、女の子を強姦した。部隊の兵隊が、勝手に出ていって、クーニャン徴発していると知っていても、将校は何も言わず黙認やった。(略)

 クーニャン捜しは分隊や数人で行くことが多いな。見つけるとな、分隊の何人もで押さえつけたんや。それで、女の子を強姦する順番をくじで決めた。一番のくじを引いた者が、墨を塗っている女の子の顔をきれいに拭いてからやった。交替で五人も六人も押さえつけてやったら、そらもう、泡を吹いているで。兵隊もかつえ〔飢え〕ている。女の子は殺される恐ろしさでぶるぶる震えている。(略)

 十九や二十の娘を引っ張り出すと、親がついてきて頭を地面にぶつけてな、助けてくれという仕種をするんや。助けてくれと言われても、兵隊はみんなかつえてるから、だれも親の言うことを聞かん。まだ男と寝たことのない女の子を、三人も五人もで押さえ込んだら泡を吹いて気失うとるで。親がやめて!と言っても、やらな仕方ない。(略)日本中の兵隊がこんなことをいっぱいしてきた。言うか言わんだけのことや、男やもの、分隊十人のうちみんなやっとる。(略)

 現役の兵隊は、あまり経験がないからおとなしいけどな。召集兵ほどひどかった。妻帯して女を知っとるから、寝たいんや。赤紙一枚で天皇陛下の御ために、編されてみな戦争に行ったわけや。

第16師団歩兵第33連隊第1大隊 兵卒(階級不明):

 同年兵が女を捕まえるときわしもついて行ったことありました。(略)女の人は顔を黒くしていた。鉄砲を持ってるので怖くて泣きながらついてきた。家の中で分隊の者が強姦して、わしは、外で歩哨、見張りやな。立たされた。きつい女で抵抗して強姦できない時は、腹立てて胸など撃って殺してましたな。射撃の目標にしたこともありました。命令やからしょうがない。木にくくりつけて射撃の練習でみんなで撃ちました。かわいそうと思いましたが命令やからな。

第16師団歩兵第33連隊大隊砲 兵卒(階級不明):

 自分は初年兵やったんで、女の子のさがし役や。さがさんと怒られるので、背に腹は代えられん。上の人の言うことは絶対やで、必死で女の子を引き出した。家の中でもなんでもないところに隠れてる。壁やレンガの裏に隠れてる。家を出たら竹やぶとか、畑のわらの中にも隠れてたな。女二人連れてきたら、中隊長にもあてがわんならん。あとの一人を分隊十人ほどがえらいさんの班長さんから交替してやるわけや。(略)そうやって女の子を輪姦して後で殺してしまうわけや。

フェイクニュースを根拠に本多氏を嘘つき呼ばわりする右派の脳内勝利法

『アサヒグラフ』掲載の写真には下のようなキャプションがついているが、いったいこの兵士は誰から女子供を護るというのか。女子供を襲い、強姦虐殺していた最大の脅威は日本軍そのものだろう。

当時日本のマスコミが大々的に展開していた翼賛プロパガンダ報道は、戦場の現実とはおよそかけ離れたフェイクニュースに過ぎない。それはそうした報道に携わった記者たち自身が後に語っていることからも明らかだ。そんなものを根拠に本多氏を「嘘つき」だとする右派の妄想は、現実を見ずに頭の中だけで「勝った、勝った」と自惚れる「脳内勝利法」とでも呼ぶべきだろう。

ちなみに、週刊新潮が「笑顔の日本兵と一緒に、少年少女、防空頭巾をかぶった女性もまた笑顔で橋を渡る」と解説するこの写真だが、写っている女性や少女たちの表情がまったく笑顔に見えないのは私だけだろうか。

 

[1] 本多勝一 『中国の日本軍』 創樹社 1972年 P.118-119
[2] 松岡環 『南京戦 閉ざされた記憶を尋ねて』 社会評論社 2002年 P.269-335

 

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