前回記事で取り上げた「橋本琴絵」アカウントは、ネアンデルタール人を極悪非道とする理由として、「弔意がない」ことを挙げている。
死者を悼む心の有無を靖国参拝に直結させる強引さも噴飯モノだが、死者を丁寧に埋葬していたネアンデルタール人にこのような非難があたらないことは前回も指摘したとおりである。
しかし、死者の埋葬はこのネアンデルタール人の事例(約5万年前)がほぼ最古で、それ以前には見られない。そして、近親者が死んでも埋葬もせず放置していたのなら、確かに家族の概念があったかどうかも怪しいと言えるだろう。つまり、ネアンデルタール以前の旧人類になら、橋本の挙げた条件は恐らく当てはまると言っていいわけだ。
ところで、以下は『日本書紀』巻第三、神武即位前紀の冒頭部分である。
神日本磐余彦かむやまといわれびこ天皇 神武天皇
神日本磐余彦天皇、諱ただのいみなは彦火火出見ひこほほでみ。彦波瀲武鵜萱草葺不合ひこなぎさたけうがやふきあへず尊の第四子なり。(略)年四十五歳に及いたりて諸の兄及び子等に謂かたりて曰はく、「昔我が天神あまつかみ、高皇産霊たかみむすひ尊・大日霊おほひるめ尊、此の豊葦原瑞穂国とよあしはらみつほのくにを挙げて、我が天祖あまつみおや彦火瓊々杵ひこほのににぎ尊に授けたまへり。是に、彦火瓊々杵尊、 天関あまのいはくらを開ひきひらき雲路を披おしわけ、仙蹕驅みさきはらひおひて戻止いたります。(略)皇祖皇考みおや、乃神乃聖かみひじりにして、慶よろこびを積み暉ひかりを重ねて、多さはに年所としを歴たり。天祖あまつみおやの降跡あまくだりましてより以逮このかた、今に一百七十九万二千四百七十余歳。而しかるを、遼遡とほくはるかなる地くに、猶未なほいまだ王沢みうつくしびに霑うるほはず。(略)」とのたまふ。
天孫降臨、つまり天照大神(大日霊は天照の別名)が孫のニニギを豊葦原瑞穂国(=日本)の支配者とすべく遣わしてから現在(神武の時代)まで、179万年以上が経過しているというのだ。
これではネアンデルタールどころではない。天皇家の祖先であるニニギも、その祖母の天照も、初期の原人ホモ・ハビリスかホモ・エルガスターあたりだったことになる。もちろん、橋本が挙げている条件はすべて当てはまるだろう。
ウヨの皆さんは、皇祖天照大神を極悪非道呼ばわりする橋本を糾弾しなくていいのだろうか?ww
※本記事中に引用した日本書紀の読み下し文は、坂本太郎・家永三郎・井上光貞・大野晋校注 『日本書紀(一)』(岩波文庫 1994年)による。
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