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自らの差別体質をまったく理解していない相撲協会

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「土俵の女人禁制」問題で、また相撲協会がバカなことを言い出した。禁制を変えるつもりはさらさらないが、緊急時だけは例外として女性が土俵に上がるのを許すというのだ[1]。

 女性は土俵に上がれないとする大相撲の「女人禁制」が注目される中、日本相撲協会は28日、東京都墨田区の両国国技館で「土俵と女性について」を議題に臨時の理事会を開いた。八角理事長(元横綱北勝海)は会合後に談話を発表し、緊急時には例外として女性が土俵に上がれるとの見解を改めて示し、この問題について議論を継続して一般男女への意識調査などを行うことなどを発表した。

協会が言っているのは要するにこういうこと↓なのだが、もちろん当の協会はまったく理解していないのだろう。


理事長談話では、土俵の女人禁制は神道の不浄観に基づくものではないとしつつ、禁制を正当化する他の理由を見つけようと理屈をこねている[2]。

 兵庫県宝塚市の巡業では、中川智子市長に土俵下でのあいさつをお願いしました。ご不快な思いをさせ、誠に申し訳なく恐縮しております。あいさつや表彰でも、女性を土俵に上げない伝統の例外にしない理由を改めて説明する責任があると考えます。
 (略)歴代の理事長や理事は、次の理由を挙げてきました。第一に相撲(相撲全般)は神事を起源としていること、第二に大相撲(相撲全般ではなく協会が管轄する「大相撲」)の伝統文化を守りたいこと、第三に大相撲の土俵は力士らにとっては男が上がる神聖な戦いの場、鍛錬の場であることです。
 第一の「神事」という言葉は神道を思い起こさせます。そのため「女性を不浄とみていた神道の昔の考え方を女人禁制の根拠としている」といった解釈が語られますが、これは誤解です。大相撲にとっての神事とは、農作物の豊作を願い感謝するといった素朴な庶民信仰であって習俗に近いものです。大相撲の土俵では「土俵祭(神様をお迎ええする儀式)神送りの儀」など神道式祈願を執り行っています。歴代の理事長らが神事を持ち出しながら女性差別の意図を強く否定したのは、こうした背景があったからです。
 多くの親方たちの胸の中心にあつたのは、第三の「神聖な戦い、鍛錬の場」という思いではなかつかと思います。1978年に当時の労働省の森山真弓婦人少年局長から尋ねられた伊勢ノ海理事(元幕内柏戸)は「けっして女性差別ではありません。そう受け取られているとしたら大変な誤解です。土俵は力士にとって神聖な戦いの場、鍛錬の場。力士は裸にまわしを締めて土俵に上がる。そういう大相撲の力士には男しかなれない。大相撲の土俵には男しか上がることがなかった。そうした相撲の伝統を守りたいのです」と説明しました。
(略)
 私どもがこだわりを持つのは大相撲の土俵に限ります。大銀杏(おおいちよう)と締め込み、部屋制度のもとでの男の共同生活などとともに、土俵は男の戦いの場という約束事は、江戸の大相撲以来の伝統です。力自慢の男たちが強さを追求するには、これらの伝統のすべてが欠かせないと教え込まれてきました。

矛盾だらけである。大相撲の神事が「素朴な庶民信仰」程度のものなら、かたくなに女人禁制にこだわる必要などないだろう。逆に、土俵がそれほど神聖な「戦いの場、鍛錬の場」であるというなら、男であっても相撲と関係ない者を上がらせるべきではないはずだ。さらに、伝統にこだわるのは大相撲の土俵に限られるというのなら、どうして地方巡業の土俵に女性が上がることまで拒否するのか? まったく説明になっていないではないか。


要するに、相撲協会は自分たちがやっていることがまぎれもない女性差別であることも、なぜそれが差別であるのかも、まるで理解していないのだ。

何度でも言うが、こんな差別団体に公益法人である資格はないし、改善できないなら滅びてしまったほうがいい。

[1] 『「女人禁制 緊急時は例外」 相撲協会が一般の意識調査へ』 東京新聞 2018/4/29
[2] 『大相撲女人禁制問題 理事長談話詳報』 東京新聞 2018/4/29

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