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残虐行為の記憶は最終的に人の心を壊す

ツイッターで「ブースカちゃん」さんが、日中戦争に従軍した経験を持つ方に、「聞いてはいけない質問」をしてしまったという話を書かれていた。


「ナッシー翁」さんの所属部隊である歩兵第68連隊は、上海戦のあと南京攻略戦に参加し、民間人をも含む大量の「捕虜」を虐殺する結果となった南京城内の掃蕩にも参加している。1937年12月16日(南京陥落から3日後)の同連隊第3大隊陣中日誌には、「爾後じご捕虜兵は一応調査の上各隊に於て厳重処分すること」との記載がある[1][2]。厳重処分とは、つまり殺せということだ。

歩兵第68連隊はその後も敗戦まで中国各地を転戦しているので、この方が中国で何らかの残虐行為に参加した可能性は高いだろう。


戦後復員した元日本兵たちは、戦場での苦労話を語ることはあっても、自分が手を下した残虐行為については、家族にもほとんど語らなかった。

しかし、いくら沈黙し、忘れようとしても、戦争だったから、命令には逆らえなかったからと自分自身に言い訳をしても、残虐行為の記憶は確実に心を蝕んでいく[3]。

保坂 (略)僕は医学システムの評論やレポートなんかも書くから医者からよく相談されるんですけど、八十代で死にそうなおじいさんがいるというんですよ。

京極 ほう。

保坂 四十代の医者が僕のところにきて、もう動けないはずの患者が、突如立ち上がって廊下を走り出すというんですよ。そして、訳わかんないことを言って、土下座してしきりにあやまるというんです。そういう人たちには共通のものがある。僕はこう言うんです。「どの部隊がどこにいって戦ったかというのを、だいたいは僕はわかるから、患者の家族に所属部隊を聞いてごらん」。みんな中国へ行ってますよ。医者はびっくりします。

京極 ひどいことをしたのをひた隠しにして生きて来られたんですね。

保坂 それを日本はまだ解決していない。

このような最期を迎えないためには、すべてを告白し、謝罪して許しを乞う以外にはないのだが、もちろんそのような行為には大変な勇気を要する。

それができた人は、本当に少ない。

[1] 藤原彰 『新版 南京大虐殺』 岩波ブックレット 1988年 P.31
[2]『陣中日誌 第5号 自昭和12年12月1日至昭和12年12月31日 歩兵第68連隊第3大隊本部(2)』 国立公文書館アジア歴史資料センター C11112199800
[3] 『スペシャル対談 京極夏彦×保阪正康』 IN・POCKET 2003年9月号 講談社 P.30-31

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