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学者をなめてる小林よしのり

倉橋耕平氏をエセ学者呼ばわり

「反省のできない漫画家」小林よしのりが、ゴー宣を批判されてまたこんなことを書いている。

BLOGOS(10/24)

漫画家をなめてるエセ学者・倉橋耕平

今朝、10月24日の朝日新聞の「耕論」というページで、倉橋耕平という自称・社会学者が『ゴーマニズム宣言』は読者参加型でポピュリズムであり、「真実」を描いていない、「主観」で描いていると、批判している。

生憎だが、わしは膨大な専門家の書籍・歴史資料を基に、「客観」で描いている。
つまり「史料批判」は厳密にやっているということだ。

(略)

実際の小林よしのりはというと、書斎の中だけでも、数千冊の本が収容されていて、もう置き場所もなく、リビングにも、食卓にも書物が積み重ねられていて、妻からいつも怒られる事態になっている。

さらに福岡には3LDKのマンションを持っていて、ここも書庫になっているから、まあ、そこいらの学者より本は読んでいるだろう。
少なくとも、確実に言えるのだが、この倉橋耕平よりも、わしの読書量の方が多い。これは確実である。

(略)

倉橋くん、少なくとも、わしの読書量を上回ってから、「学者」を名乗った方がいいよ。

小林はこう言うが、問題は読書量などではなく読んでいるものの中身だろう。たとえ蔵書が何万冊あろうが、読んで影響を受けている本というのが、『戦争論』の引用・参考文献に挙げられているような、こんな代物↓ばかりでは意味がない。

  • 『仕組まれた“南京大虐殺”』 大井満/展転社
  • 『南京事件の総括~虐殺否定十五の論拠~』 田中正明/謙光社
  • 『正論』平成10年4月号 「改めて『ラーベ日記』を徹底検証する」 東中野修道/産経新聞社
  • 『散華の心と鎮魂の誠』 靖国神社編/展転社
  • 『教科書では教えない戦後民主主義の幻想』 藤井厳喜/日新報道
  • 『歴史教育を考える』 坂本多加雄/PHP新書
  • 『歴史を裁く愚かさ』 西尾幹二/PHP
  • 『償いは済んでいる』 上坂冬子/講談社
  • 『国が亡びる』 中川八洋/徳間書店
  • 『世界から見た大東亜戦争』 名越二荒之助/展転社
  • 『検証 戦後教育』 高橋史朗/広池出版
  • 『従軍慰安婦問題の経緯』 上杉千年/國民會館叢書
  • 『「従軍慰安婦」論は破綻した』 西岡力/日本政策研究センター
  • 『教科書が教えない歴史』 藤岡信勝・自由主義史観研究会/産経新聞社
  • 『大東亜戦争への道』 中村粲/展転社
  • 『封印の昭和史~「戦後50年」自虐の終焉~』小室直樹・渡辺昇一/徳間書店
  • 『正論』平成8年12月号「『三光作戦』の教科書削除を要求する」 田辺敏雄/産経新聞社

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実際『戦争論』では、たとえば大井満『仕組まれた“南京大虐殺”』に書かれていたデタラメ(元ネタは自称ジャーナリスト鈴木明が拾ってきた戦場の噂話)を鵜呑みにしたあげく、実際には国民政府軍と激闘を交えながらの敵前強行上陸だった呉淞ウースン上陸作戦をまったく違う話に書き換えてしまっている[1]。しかも、こんなウソを根拠に女性や子どもの殺戮まで正当化しているのだからタチが悪い。

知るのだ! 日本人に隠されている事実を!
事実から目をそむけて歴史を語ることはできない!

まず第9章でも少し触れたが便衣兵についての事実を紹介しよう

第三師団の先鋒部隊が上海の呉淞ウースン桟橋に上陸したおりであった

桟橋近くには 日本人の婦人団体とおぼしき人々が列をなし
手に手に日の丸の小旗を振っての歓迎で
上陸する将兵たちの顔にも思わず微笑が浮かんだ

そして隊列が婦人団体のすぐ近くまで来た時であった

突如小旗は捨てられ さっと身をひるがえすと 背後に隠していた数丁の機銃が 猛然と火をふいた

あっという間もない
たちまちのうちに一個中隊はほぼ全滅

かろうじて難を逃れた兵士らは ただ無念の涙を飲むばかりであった。
この一事は広く将兵の知るところとなり 中国兵への怒りと憎しみを倍加させたのである

大井満『仕組まれた南京大虐殺』からの引用である

よく「女子供の死体まであった」とかいう証言があるが 女子供が便衣兵なら殺されたって仕方がない

デタラメな元ネタから妄想を膨らませてあり得ない絵を描いてしまうような漫画家に、倉橋氏をエセ学者呼ばわりする資格はないだろう。

「一次史料」が重要と言いつつ自分では無視するダブルスタンダード

上のBLOGOS記事でも重要だと言い、自分は厳密にやっていると主張する「史料批判」だが、この点について小林は、以前にもこんな文章を書いている[2]。この「論文」の趣旨は今回同様、自分と意見の合わない(南京大虐殺の存在や「従軍慰安婦」に対する日本軍の加害を認める)学者や知識人たちへのディスりである。

歴史を歪めるのは誰か 学者・知識人へのわが一撃!
史料批判なき叙述は単なる読み物でしかない

 本来、漫画家であるはずのわしが今回、「論文」という形式を取らねばならなかったのには、やむにやまれぬ理由がある。今から書くことは漫画という表現では不可能であり、漫画という表現に偏見すら持っている知識人には、一度活字のみでたっぷりと、ねっちりと説明して聞かせるしかないと判断したからである。(略)全知識人諸君へ、歴史を叙述する際の、基本的なトレイニングについて忠告させて頂きたい。

(略)

 というのも史料区分としては「第一次史料」は事件発生当時、発生場所で当時の関係者が記したものであり、『終戦秘史』のように事件から暫く時間が経過した後に、関係者が記したものは第二次史料と解すべきだからである。この一次史料、二次史料を基に作成されたものを、「第三次史料」としてよい。四次史料となると、作者・作成年代。作成場所が判明しないものなので史料価値はほとんどなくなる。

 どの史料にも「史料批判」を加えることは「歴史を書くトレイニング」の基本中の基本。本来、歴史学者ならば当然に日常行っていることであろう。

(略)

 正式な作戦行動であれば、命令書が存在するはずである。たとえ命令書などの書類が処分されたとしても、日付も場所も特定されているのだから、実行した部隊の陣中日誌や将兵の日記に当たることができる。第一次史料の裏付けは不可欠である。少なくとも実行した部隊、命令した人物の特定だけはしなければならない。ところがそれがどこにも書かれていない。福田和也氏も、そういう必要不可欠な裏付け作業を全く行っていない。奥宮著書を丸写ししただけである。

(略)

「史料批判」は、わしのような素人にもできる。入手した史料が一次、二次、三次、四次史料のどの区分に属するか判断して読み、著者の経歴や、当時書かれた日記、当時の報道、他の関係者が残した記録など、できるだけ一次史料に当たってみるのである。それを日本の義務教育卒業程度の「国語力」で読む。疑問や不明瞭な箇所を発見したら、他の史料で確認を取るまで信じ込まない。名の通った歴史家、評論家諸氏が、たまたま手元にあった本の一冊や二冊を読んで、頭から信じ込んで歴史叙述の根拠にしてしまう愚は、どうか避けて頂きたい。

史料批判というのは、一次史料で裏付けが取れないことは事実じゃない、というような単純なものではないし、そもそも検閲済みの「当時の報道」など一次史料ではない。だが、現場で事件を体験した当事者が間を置かずに書いた日記の類が事実関係を判断するための極めて重要な史料であることは、確かに小林の言うとおりである。

では小林は、南京攻略戦に従軍した兵士たちが残した次のような陣中日記をどう評価するのか。日時も場所も明確であり、これらはまさに正真正銘の一次史料である。これらの日記では、1937年12月16日から17日にかけて揚子江岸で行われた無抵抗の捕虜(一般市民も含む)の大量虐殺事件が、当事者として関わった複数の兵士によって別々に記録され、しかもその内容はよく一致している。この事実を否定することは不可能だろう。

画像出典:NNNドキュメント「南京事件II 歴史修正を検証せよ」

黒須忠信(仮名・山砲兵第19連隊第3大隊・上等兵)陣中日記[3]:

拾二月拾六日 晴
 午后一時我が段列より二十名は残兵掃湯〔蕩〕の目的にて馬風〔幕府〕山方面 に向ふ 、二三日前捕慮〔虜〕せし支那兵の一部五千名を揚子江の沿岸に連れ出し機関銃を以て射殺す、其の后銃剣にて思う存分に突刺す、自分も此の時ばが〔か〕りと憎き支那兵を三十人も突刺した事であろう。
 山となって居る死人の上をあがって突刺す気持ちは鬼をもひヽ〔し〕がん勇気が出て力一ぱいに突刺したり、うーんうーんとうめく支那兵の声、年寄も居れば子供も居る、一人残らず殺す、刀を借りて首をも切って見た、こんな事は今まで中にない珍しい出来事であった、(略)帰りし時は午后八時となり腕は相当つかれて居た。

近藤栄四郎(仮名・山砲兵第19連隊第8中隊・伍長)出征日誌[4]:

〔十二月〕十六日
(略)
 午后南京城見学の許しが出たので勇躍して行馬で行く、そして食料品店で洋酒各種を徴発して帰る、丁度見本の様だ、お陰で随分酩酊した。
 夕方二万の捕慮〔虜〕が火災を起し警戒に行った中隊の兵の交代に行く、遂に二万の内三分の一、七千人を今日揚子江畔にて銃殺と決し護衛に行く、そして全部処分を終る、生き残りを銃剣にて刺殺する
 月は十四日、山の端にかかり皎々として青き影の処、断末魔の苦しみの声は全く惨しさこの上なし、戦場ならざれば見るを得ざるところなり、九時半頃帰る、一生忘るる事の出来ざる光影〔景〕であった。

宮本省吾(仮名・歩兵第65連隊第4中隊・少尉)陣中日記[5]:

〔十二月〕十四日
 午前五時出発、南京近くの敵の残兵を掃揚〔蕩〕すべく出発す、攻撃せざるに凡て敵は戦意なく投降して来る、次々と一兵に血ぬらずして武装を解除し何千に達す、夕方南京に捕虜を引率し来り城外の兵舎に入る無慮万以上に達す、直ちに警備につく、(略)捕虜中には空腹にて途中菜を食ふ者もあり、中には二、三日中食を採らぬ者もあり喝〔渇〕を訴へる者あり全く可愛想なるも戦争の上なればある程度迄断乎たる処置をとらねばならぬ 、(略)通訳より「日本軍は皆に対し危害を与へず唯逃ぐる事暴れる様なる事あれば直ちに射殺する」との事を通じ支那捕虜全員に対し言達せし為一般に平穏であった、唯水と食料の不足で、全く平公〔閉口〕した様である。

〔十二月〕十五日
(略)
 夕方より一部食事をやる、兵へも食糧配給出来ざる様にて捕慮〔虜〕兵の給食は勿論容易なるものでない。

〔十二月〕十六日
 警戒の厳重は益々加はりそれでも〔午〕前十時に第二中隊と衛兵を交代し一安心す、しかし其れも疎〔束〕の間で午食事中俄に火災起り非常なる騒ぎとなり三分の一程延焼す、午后三時大隊は最後の取るべき手段を決し、捕慮〔虜〕兵約三千を揚子江岸に引率し之を射殺す、戦場ならでは出来ず又見れぬ 光景である。

〔十二月〕十七日(小雪)
 本日は一部は南京入場式に参加、大部は捕慮〔虜〕兵の処分に任ず、小官は八時半出発南京に行軍、午后晴れの南京入場式に参加、壮〔荘〕厳なる史的光景を見〔目〕のあたり見ることが出来た。
 夕方漸く帰り直ちに捕虜兵の処分に加はり出発す、二万以上の事とて終に大失態に会い友軍にも多数死傷者を出してしまった。
 中隊死者一傷者二に達す。

〔十二月〕十八日 曇
 昨日来の出来事にて暁方漸く寝に付〔就〕く、起床する間もなく昼食をとる様である。
 午后敵死体の片付けをなす、暗くなるも終わらず、明日又なす事にして引上ぐ、風寒し。

遠藤高明(仮名・歩兵第65連隊第8中隊・少尉)陣中日記[6]:

十二月十六日 晴
(略)午後零時三十分捕虜収容所火災の為出動を命ぜられ同三時帰還す、(略)捕虜総数一万七千二十五名、夕刻より軍命令により捕虜の三分の一を江岸に引出しI(注:第1大隊)に於て射殺す
 一日二合宛給養するに百俵を要し兵自身徴発により給養し居る今日到底不可能事にして軍より適当に処分すべしとの命令ありたるものヽ如し。

十二月十七日 晴
 幕府山頂警備の為午前七時兵九名を差し出す、南京入場式参加の為十三Dを代表Rより兵を堵列せしめらる、午前八時より小隊より兵十名と共に出発和平門より入城、中央軍官学校前国民政府道路上にて軍司令官松井閣下の閲兵を受く、(略)帰舎午後五時三十分、宿舎より式場迄三里あり疲労す、夜捕虜残余一万余処刑の為兵五名差出す(略)風出て寒し。

十二月十八日
 午前一時処刑不完全の為生存捕虜あり整理の為出動を命ぜられ刑場に赴く、寒風吹き募り同三時頃より吹雪となり骨まで凍え夜明けの待遠しさ言語に絶す、同八時三十分完了、(略)午後二時より同七時三十分まで処刑場死体壱万有余取片付けの為兵二十五名出動せしむ。

十二月十九日 晴
 前日に引続き死体取片付けの為午前八時より兵十五名差出す、(略)

小林が「歴史を叙述する際の、基本的なトレイニング」がどうこうと説教するこの「論文」が掲載されたのは、『正論』2000年6月号である。対して、これらの陣中日記を収録した『南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち』の発行はその4年前の1996年3月、日記の一部が「週刊金曜日」誌上で初めて公開されたのは更に前の1993年12月である。つまり、小林がこれらの日記の存在を知らなかったはずはない。

ではなぜ小林は、「一次史料」の重要性を得々と説いてみせる「論文」の中で、これらの日記を無視しているのか。一次史料の存在(あるいは不在)を理由に他者を攻撃しながら、自分にとって都合の悪い一次史料は否定的言及すらせず完全スルーでは、ダブルスタンダードそのものだろう。

何の史料的裏付けもないヨタ話に騙されてあり得ないシーンを描くような漫画家が、決定的な一次史料を無視したまま「史料批判」について説教し、あげく「倉橋くん、少なくとも、わしの読書量を上回ってから、「学者」を名乗った方がいいよ」などと語ってしまうのだから、もはや笑うしかない。

[1] 小林よしのり 『新ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論』 幻冬舎 1998年 P.127-128
[2] 小林よしのり 『歴史を歪めるのは誰か 学者・知識人へのわが一撃!』 正論 2000年6月号 P.56-73
[3] 小野賢二・藤原彰・本多勝一 『南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち』 大月書店 1996年 P.350-351
[4] 同 P.325-326
[5] 同 P.133-134
[6] 同 P.219-220

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