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死刑の代わりに現場射殺している国は本当にあった!

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日本で死刑が執行され、これをEUなどから非人道的だと批判されると、お前たちは犯人を死刑にする代わりに現場で射殺しているではないか、殺しているのは同じなのに偉そうに説教するな、と「反論」する人たちが必ず湧いてくる。

武装した凶悪犯を正当防衛や緊急避難の目的でやむなく射殺するのと、既に捕えられ、抵抗する手段を一切持たない囚人を刑罰として処刑するのとではまったく意味が違うのだが、この二つの区別がつかない困った人たちが、どうやらこの国には大量にいるらしい。


殺したいが、捕まえて裁判にかけても死刑にはできないからここで射殺(簡易処刑)してしまえ、なんて、そんな野蛮な国などあるはずがない・・・と思っていたのだが、いろいろ調べているうちに、そんな国が本当にあったことが分かってしまった。

この点については、自説を撤回しなければならない。

といっても、それは死刑制度を廃止してしまったヨーロッパの先進国などではない。73年前まで東アジアに実在した、「大日本帝国」という国である。

1910年、大日本帝国は、それまでもさんざん内政干渉や武力介入を続けてきた隣国朝鮮をついに「併合」し、植民地化した。当然ながら、国を奪われた朝鮮の人々は激しく反発し、民族の独立を回復しようとした。

1919年3月、宗教指導者らによる独立宣言を契機に、独立を求める大規模な示威運動が始まった。「3・1運動」である。[1]

(略)一月二二日徳寿宮に幽閉されていた高宗(李朝第二六代の王)が急死したことも、朝鮮人の民族的感情をたかめていた。葬儀の日は三月三日と定められ、参列のため全国から多数の人びとがソウル(京城)に集まってきた。
 この機会をとらえ、天道教の第三代教主孫秉熙らは、キリスト教徒・仏教徒と協議したうえ、三月一日ソウルで独立宣言を発した。各教団の組織などをつうじて計画がつたえられていたため、ソウルのパゴダ(塔洞)公園には数万の民衆があつまり、大極旗をかかげ、「独立万歳」を叫びながら、市街をデモ行進した。運動はたちまち全土に波及し、五月末までに示威回数一五四二回、延べ参加人員二◯五万人にたっし、鴨緑江をこえて間島や沿海州にもおよんだ。


 日本側は憲兵警察・軍隊を出動させ、在郷軍人や消防隊なども動員して、運動をきびしく弾圧した。このため、最初は平和的示威であった運動も三月中旬から激烈な闘争や蜂起へと転化し、かま・くわ・棍棒で武装した朝鮮人が、官公署を襲撃する事態となり、その数は合計二七八か所にたっした。
 原内閣は四月四日、内地から歩兵六大隊および憲兵・補助憲兵約四一五名を朝鮮に派兵することを決定して、武力弾圧を強化した。

闘争とか蜂起と言っても、一方は鎌や鍬程度しか持たない民衆、他方は近代兵器を装備した軍隊なのだからおよそ勝負にならない。実際に行われたのは、日本の官憲・軍隊によるほぼ一方的な殺戮である。この武力弾圧による朝鮮人側の被害は、殺された者7,509名、逮捕された者46,306名、焼かれた民家715戸、教会47と伝えられている。[2]

まだ中学生のときにこの三・一運動に参加して自らも逮捕・勾留された経験を持つ、ある朝鮮人革命家は、後に次のように語っている。[3]

(略)死刑になったものはなかった――死刑にするような合法的な口実がなかったのだ。「われわれはただ朝鮮独立のため闘うのであり、反日本の立場ではない」とデモ参加者たちが公然と強く唱えている限り、朝鮮の法律では死刑にできない。死刑は殺人の場合以外適用できないから、日本人は逮捕する代わり民衆を街頭で殺した――うまい手だ。

典型的な簡易処刑ではないか。しかも、死刑制度を廃止したために凶悪犯を逮捕・起訴しても死刑にはできないから殺しているのではなく、死刑制度はあるのに微罪すぎて死刑になどできないから殺しているというのだから、なお悪い。

「裁判抜きの簡易処刑」を非難する皆さんは、なぜこの卑劣な国を非難しないのだろうか。

[1] 江口圭一 『日本の歴史(14) 二つの大戦』 小学館 1993年 P.81-82
[2] 同 P.82
[3] ニム・ウェールズ 『アリランの歌 ―ある朝鮮人革命家の生涯―』 岩波書店 1987年 P.79

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