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天皇を何と呼ぶかなど個人の自由。他人に指図される筋合いはない。

自称「神祇官代」の妙なツイート

先日、TLに妙なツイートが流れてきた。「神祇官代」と称する、今年2月に登録されたばかりのアカウントによるものだ。

こんなツイートに17万も「いいね」がついている。それだけ、自発的に天皇の「臣下」になりたい者たちがいるということだ。しかも、天皇だけでなく「貴人」の名前も「みだりに唱え」てはならないのだという。まさに中世ジャップランドに生きているのだろう。情けない話だ。

ちなみに「神祇官」とは、古代天皇制国家の律令制で定められた官庁の一つで、その職掌は神祇の祭祀、祝部はふりべ・神戸かんべの名籍の管理、大嘗祭・鎮魂祭、御巫みかんなぎ・卜兆ぼくちょう、官事の「惣判」(決裁)だった[1]が、次第に衰亡し、応仁の乱で官舎が焼失した後は再建されることなく、「神道家元」の吉田家が明治維新までその代理(神祇官代)とされた[2]。(その後、明治初期に一時的に復興。)

されば年中の祭式は如何にして行はれしかといふに、内野の神祇官跡に仮屋を設けて、その内にて式を行い居りしかど、いつまでもかくてあるべきにあらねば、遂に吉田社を以て、神祇官代とし、奉幣使等はここより、発遣することとなり、以て明治維新に至れり、

もちろん、現代には「神祇官」も「神祇官代」も存在しない。

言うまでもないことだが、天皇や皇族を何と呼ぶかなど個人の勝手。こんな「臣下」代表ワナビーに指図されるいわれなどない。

裕仁は存命中から「昭和天皇」

ちなみに、裕仁は存命中から普通に「昭和天皇」と呼ばれていた。ちょっと調べただけでも、いくらでも事例が出てくる。

  • 宮崎市編 『宮崎市行幸記念誌 昭和十年 陸軍特別大演習 昭和天皇』 1936年
  • 樋口清之, 草柳文恵 『日本史の中の昭和天皇(天皇陛下御在位50年特集)』 月刊自由民主 1976年10月号
  • 別冊一億人の昭和史 『昭和天皇史 近代日本とともに80年』 毎日新聞社 1980年12月
  • 天皇皇后両陛下御大婚六十年記念 『第一二四代昭和天皇陛下』 日本叙勲出版協会 1984年
  • 小堀桂一郎 『昭和天皇論』 日本教文社 1986年

自民党や叙勲出版協会も不敬だったのか?w

[1] 安丸良夫 『神々の明治維新』 岩波新書 1979年 P.49
[2] 佐伯有義編 『神祇官考証』 梁川保嘉発行 1900年 P.33