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百田尚樹と産経は中学校から勉強し直せ

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あいちトリエンナーレ2019の件で、百田尚樹と産経が予想通りバカなことを言っている。

こちらは百田尚樹。

www.zakzak.co.jp

 愛知県の大村秀章知事に批判が殺到している。同県で開催されている国際芸術祭「あいちトリエンナーレ」で、昭和天皇の写真を焼いて灰を踏み付けるような映像作品や、「慰安婦像」として知られる少女像などが展示された企画展が開幕3日で中止になったが、「表現の自由」を掲げて自身の責任を認めないのだ。作家の百田尚樹氏は「大村氏はまったく『表現の自由』を理解していない」と言い切った。

(略)

 この問題を、どう考えるべきか。

 前出の百田氏は「『表現の自由』は無制限ではない。それを許してしまうと、人種差別や名誉毀損(きそん)も、『芸術』という看板を掲げれば可能になってしまう。あいちトリエンナーレはここを逸脱した。慰安婦像はアートとはいえない。反日プロパガンダのモニュメントだ。百歩譲って、大村氏がそれでも戦うなら税金を投じてやるべきではない。憲法12条の『公共の福祉』に忠実でなければならない」と語っている。

こちらが産経の「社説」。

www.sankei.com

 芸術であると言い張れば「表現の自由」の名の下にヘイト(憎悪)行為が許されるのか。

 そうではあるまい。

 だから多くの人が強い違和感や疑問を抱き、批判したのではないか。憲法は「表現の自由」をうたうとともに、その濫用(らんよう)をいさめている。

(略)

 同芸術祭実行委員会の会長代行を務める河村たかし名古屋市長は「日本国民の心を踏みにじる」として像の展示中止を求めた。

 これに対して実行委会長の大村秀章愛知県知事は、河村氏の要請を「表現の自由を保障した憲法第21条に違反する疑いが極めて濃厚」と非難した。

 これはおかしい。憲法第12条は国民に「表現の自由」などの憲法上の権利を濫用してはならないとし、「常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ」と記している。今回の展示のようなヘイト行為が「表現の自由」の範囲内に収まるとは、到底、理解しがたい。大村氏は開催を反省し、謝罪すべきだろう。県や名古屋市、文化庁の公金支出は論外である。

 芸術祭の津田大介芸術監督は表現の自由を議論する場としたかったと語ったが、世間を騒がせ、対立をあおる「炎上商法」のようにしかみえない。

 左右どちらの陣営であれ、ヘイト行為は「表現の自由」に含まれず、許されない。当然の常識を弁(わきま)えるべきである。

どちらも、憲法12条を持ち出して、「表現の自由」は無制限ではないし、少女像のような作品は「反日プロパガンダのモニュメント」(百田)「ヘイト行為」(産経)で芸術ではなく、「公共の福祉」に反する存在だから許されない、と言っているわけだが、これはいかに彼らが表現の自由や公共の福祉を理解していないかを示すものだ。

まず、憲法21条に「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」とあるように、「表現の自由」は意見や思想を表明するあらゆる表現行為に対して保障されるのであって、その表現が芸術であるかどうかとは関係がない。「芸術であると言い張れば…」などとつい口走ってしまうのは、この基本を理解していない証拠である。

第二に、ヘイトとは(人種、民族、国籍、性などの属性によって区別される)マイノリティに対して行われる、「その属性を理由とする差別的表現」「差別、敵意又は暴力の煽動」「表現による暴力、攻撃、迫害」[1]のことであって、戦時性暴力を告発する少女像や「絶対権力者たる大元帥としての昭和天皇を連想させる版画を焼く映像」などがこれに相当するはずがない。ただ単に一部の人間にとって気に入らないからという理由で作品を「ヘイト行為」呼ばわりするなど、許されることではない。

また、百田のように少女像を「反日プロパガンダ」などと言ってしまうのは、戦時性暴力という人権問題を、日本と韓国の間の国家間対立としか理解できない認知の歪みによるものだ。

そして「公共の福祉」。これについては、ベネッセの「定期テスト対策サイト 中学社会」の説明が大変わかりやすいので引用する。

「公共の福祉」とは,「社会全体の共通の利益」であり,「ほかの人の人権との衝突を調整するための原理」です。
この「公共の福祉」という言葉は,日本国憲法の中で使われています。

日本国憲法では,基本的人権が保障されています。
基本的人権には「平等権」「自由権」「社会権」などがあり,さまざまな権利が認められています。たとえば,「教育を受ける権利」「表現の自由」「信教の自由」など,これらはすべて基本的人権として保障されています。

しかし,これらの権利をすべての人が勝手に主張したら,ほかのだれかの基本的人権を奪うことになってしまうかもしれません

このようなことを防ぐために,日本国憲法は第12条の後半で次のように定めています。
「国民は,これを濫用(らんよう)してはならないのであって,常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。」
「これ」とは,憲法で保障されている自由や権利(基本的人権)のことです。基本的人権は自分ひとりだけのものではないので,わたしたち国民は,他人の権利を侵害するような権利の使い方(=権利の濫用)をしてはいけません。国民には,社会全体がよくなる(=公共の福祉)ように,権利を利用する責任があります。

少女像などの作品が、いったい誰の基本的人権を侵害しているというのか。

百田や産経は「公共の福祉」を、自民党改憲案の言う「公益及び公の秩序(ただし何が公益であるかは時の権力者が勝手に決める)」程度にしか理解していないのだろうが、これでは中学校の定期テストでも落第である。

だいたい、大嫌いなくせに日本国憲法を利用しようなどとするからこうなるのだ。百田もこの「社説」を書いた産経の記者も、もう一度中学校で「現代社会」を勉強してから出直してくるべきだろう。

[1] 師岡康子 『ヘイト・スピーチとは何か』 岩波新書 2013年 P.48

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