たとえば「バカチョン」という表現の差別性を指摘されると、いや、「チョン」は差別語じゃない、なぜなら本来こういう意味で・・・とか言い出す人が必ず出てくる。
とりあえず再録
— 杉村喜光:知泉(三省堂辞典発売中 (@tisensugimura) October 11, 2019
文化文政期の十返舎一九『東海道中膝栗毛』でも「バカでもチョンでも」と書かれていて、ここで言うチョンとは繰り返し記号「ゝ」のことで、文字にもなれない文字として「半人前」という意味で使われていた。バカチョンという略は戦後にカメラの呼び名で広まった。(続
本来は民族を揶揄する言葉では無かったが、70年代後半に差別を非難する論者が「バカチョンは差別用語だ」と騒ぎ始め、それにマスコミも乗ってしまったという経緯がある。
— 杉村喜光:知泉(三省堂辞典発売中 (@tisensugimura) October 11, 2019
実際には差別用語では無いが、それで嫌な思いをする人もいるので、あまり使わない方がよい言葉となっている。(続
これは今に始まったことではなく、ネット上では昔のパソコン通信の時代から何度となく繰り返されてきた光景だ。
しかし、この手の語源論は、差別語に関しては意味がない。旗や歌のようなシンボルと同様、言葉の意味も使われ方によってどんどん変わっていくからだ。
実際、一般の日本人にとって朝鮮人と接触する機会などほとんどなかった(せいぜい一生に一度か二度、朝鮮通信使の行列を見物できる可能性があったという程度の)江戸時代と、日本が朝鮮への干渉・侵略を繰り返し、最終的には植民地化してしまった明治以降では、日本人の朝鮮・朝鮮人への眼差しはまったく違うものとなっていた。そんな中で、「朝鮮(チョサン)」に発音の類似する「チョン」が、単なる「半人前」から「劣等民族、二級国民としての朝鮮人」を嘲笑する蔑称へとその意味を変えていったことは容易に想像できる。
そして日本人は、敗戦という時代の激変を経ても、変わらず「チョン」「チョンコ」「チョン公」といった侮蔑を在日コリアンに向かって浴びせ続けた。
当時は、バカチョンカメラの由来として「バカでもチョンでも撮れるカメラ」という説明がなされた。カメラを能動的に扱える「チョン」というのは、語彙としては朝鮮人に対する蔑称しかない。仮に後付けの説明だとしてもそういう意識があったのは事実で、朝鮮人と無関係というのはさすがに強弁が過ぎる。
— 若林 宣 (@t_wak) January 3, 2015
「ぼく自身を含む多くの在日コリアンが1970年代に『バカでも”チョン”でも』と吐き捨てるように侮蔑された経験をもっている」という文字列の意味がわかりませんか? https://t.co/dQZCB6yldd
— 金明秀 KIM, Myungsoo (@han_org) January 5, 2016
以下は、差別者集団「在特会」が大阪・鶴橋のコリアンタウンで行った「街宣」の模様である[1]。1970年代どころか21世紀の現在でもこの有り様なのだ。
コリアンタウンで、幾本もの日の丸が風に揺れる。
駅前を行きかう人々が好奇の目を向ける。何者なのか、何をするつもりなのか。値踏みするかのように集団を見つめ、そして結局、首を傾げて通りすぎる。
(略)
リーダー格の青年がマイクを手にした。
「みなさん、こちらは在日特権を許さない市民の会です!」
トラメガを通して、その声は路地裏まで響き渡った。
「本日は、この鶴橋において、在日朝鮮人の生活保護の問題について街宣したいと思います」
千日前通りを歩く人々の一部が足を止めた。マイクを手にした青年は穏やかな表情をしている。だが、紳士的な言葉遣いは冒頭だけだった。
「大阪ではね、1万人を超える外国人が生活保護でエサ食うとるんですよ。生活保護でエサ食うとるチョンコ、文句あったら出て来い!」
集団がいっせいに「そうだ!」「出て来い!」「チョンコ、いるのか!」と合いの手を入れる。
演説というよりは挑発である。ガード下を奇妙な高揚感が渦巻いた。
集団の叫び声がコンクリートの壁に反響し、周囲の波長を乱して滞留する。行き場をなくしたかのような熱気が、全体のボルテージを高めていた。だからこそ彼らの言葉は鋭いトゲと毒を伴い、聞き耳を立てる者に容赦なく突き刺さる。野次馬も、朝鮮人の蔑称である「チョンコ」の連発には、さすがに顔をしかめ、なにか見てはいけないものを見てしまったときのようなバツの悪い表情を浮かべながら、逃げるようにその場を去っていく。
(略)
鶴橋は在特会言うところの「在日の聖地」である。余所者からこれだけ痛罵を浴びせられれば地元住民から何らかのリアクションがあってもおかしくない。(略)だが、大きな混乱は起きなかった。ときおり野次を飛ばす者がいないこともなかったが、在特会側から「こっち来い、チョンコ!」「やるのか、こらあ!」といった罵声が返されるだけだった。
(略)
私は、古びた商店がひしめく路地の奥に足を進めていた。
「チョンコ!」「朝鮮人!」。路地裏にまで容赦なくトラメガの音が響く。チッと舌打ちしながらさらに奥へ逃れようとする私の視界に、その光景は唐突に飛び込んできた。
それは何かに打ちひしがれたように、うなだれて座り込む、老人たちの姿だった。
韓国食材店の前に並べられた丸椅子に腰をおろした年寄りたちは、背を丸め、ひざの上で両手を組み、嫌でも流れ込んでくる大音量の罵声に、じっと耐えていた。誰もが押し黙っていた。
「チョンコどもに、なんで日本人の税金を使われなくちゃならないんですか!とっとと祖国に帰れっ!」「帰れーっ!」
薄暗い路地に、ヒステリックな声が響き渡る。年寄りたちは微動だにしなかった。嵐がすぎ去るのをじっと待っているようだった。
この人々の「戦後」が、いまここで全否定されているのである。
ここで生まれ、ここで育ったのであろう。そしておそらくは、ここで死んでいく。耳を塞いで逃げ帰ろうとした私とは違う。この人たちには、どこにも逃げ場などない。こうしてじっと、罵声に耳を傾けていくしかない。
やりきれなかった。
「チョン」呼ばわりの差別は、こうした頭のおかしい極右集団だけがやっているのではない。文字通りの「普通の日本人」でさえ、ほとんど意識することもなくこういうことをやっている。
大阪と神戸間を運行する阪急バス切符売場で、韓国の青年が日本語ができず、英語をつかって苗字はKIMと答えたら名前を勝手にチョンと付けた件、本人は切符購入後、何も知らず、ありがとうございますと言って観光を楽しんだが、後に、兄から知らされてわかったと、こんな卑劣なことを楽しんでるとは。 pic.twitter.com/ULlXD9FvmA
— kuse_J (@kuse_ju) October 5, 2016
このような現実の中で、差別語の語源論はどのような効果を発揮するか。それは、「これは本来差別語じゃないんだけど、バカな左翼やマスコミが騒ぐからなるべく使わないようにしましょうね」と差別者を免罪し、擁護するものでしかない。
差別語の語源を持ち出してその差別性を否定するのは、無意味なだけでなく有害な謬論なのだ。
[1] 安田浩一 『ネットと愛国』 講談社 2012年 P.2-7
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